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# 『火の賜物 ヒトは料理で進化した』
2010/08/13 11:01
火の賜物 ヒトは料理で進化した リチャード・ランガム 依田卓巳 NTT出版 2010年



実は、人類の歴史上、料理が果たしてきた役割は計り知れない。料理という視点から人類の進化・社会の歴史を眺めてみると、意外なことがわかってくる。我々と料理との関係とは。人類学的な見地を中心に据えつつ、栄養学や社会学的な観点からも迫る。

これまで、人類が進化する過程で料理の存在が大きかったという説に出会ったことはなかった。直立二足歩行、道具の使用、言葉の使用、そして、せいぜい火の使用。人類を人類たらしめる要素と言えば、そんなところだ。

しかし、料理が人類の進化上決定的な役割を担ったというのが、筆者の主張だ。1つ目が、消化器官の問題。調理を施した食物は、生の食物に比べて、圧倒的に消化効率が良い。それゆえに、ヒトは消化器官を短くし、消化にかかる時間とエネルギーを減らし、他の生物よりも有意に立ったという。2つ目は、性別分業の問題。料理には、いかんせん時間がかかる。食料を敵から守る必要から、共同体の仕組みが強化されるとともに、料理が女性の仕事となっていったという。

1つ目の消化器官の問題は、具体的な事例が豊富に示され、非常に納得のいくものになっている。文化人類学や栄養学、生物学の研究成果を踏まえた記述は、明快でわかりやすい。調理技術が進んだ現在は、消化効率が以前よりも上がっているゆえに、肥満の問題も深刻化している。このゆゆしき事態については、最終章でじっくりと論じられている。第2の性別分業の問題は、当然ながらジェンダーの問題と切っても切れない関係にある。特に、食料を守ることが以前よりも容易になりつつある現代では、男女の分業をどう捉えれば良いのか。人類がこれまで通してきたやり方と、現代求められる状況には、齟齬が生じてきている。筆者は、今まで料理が女性の仕事として押し付けられてきた過程を論じた。その後の議論は、社会全体を巻き込みながら、妥協点を探していくものになろう。

料理に注目するだけで、人間の歴史や社会をこうも新鮮に眺めることができるのかと思わされる、知的好奇心を刺激する本。アプローチも様々なので、対象とする人を選ばない、多くの人々にお薦めできる書物と言えるだろう。
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# 『セクシィ古文』
2010/07/22 11:18
セクシィ古文 田中貴子・田中圭一 メディアファクトリー新書 2010年



学校の教科書では絶対に取り上げられないような、古文のエロティックな世界が次々と紹介される。原文、くだけた現代語訳、状況を描写した絶妙な漫画とともに、古文に描かれるエロを楽しめる本。

古文に描かれたエロを読む。本書を一言で表現するなら、このような言葉が適切だと思う。エロという言葉は、小中学生が興味本位で知ろうとすることにも使えるし、大人の真面目な性的な問題についても用いることができる。本書の内容は、まさにそのような幅広いエロなのだ。

『源氏物語』が、やはり古文とエロのキーワードを結ぶ作品としては最も有名どころであろう。しかし、本書で扱われる作品には、『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』など、教科書でも定番の説話集からの出典も多い。実は、性的な話題が好まれていたという現実がわかるとともに、教科書からはわからない、奥深い世界が広がっているかがわかる。

ただし、当時の時代背景ゆえに、男尊女卑の世界が描かれているのは、れっきとした事実。実質的にはレイプに当たってしまうであろう話も載っていて、その辺りに不快な思いを抱く人がいるであろう。その点では、万人にはお勧めできない。笑い話として読める話も多いだけに、残念。もちろん、現実は現実として知らなければいけないという考え方もあろうが。

それでも、本書の価値は大いにある。とにかく原文を読んでほしいという著者の願いから、すべての話には原文が付いている。作品の解説も、案外真面目。それでいて歯に衣着せぬ物言いも魅力的。1度目の読みでは、原文や解説までは印象に残りにくいかもしれないが、2度、3度と読めば、本当の意味で古文ができるようになるのではないかと思う。

もし、自分が男子校の国語教師だったら、10冊くらいまとめ買いして、生徒にいつでも貸し出しできるようにしたかもしれない。

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# 『モードの方程式』
2010/06/19 17:31
モードの方程式 中野香織 新潮文庫 2007年



普段何気なく着ている衣服にも、隠された物語がある。日常に潜む思わぬ事実を纏め上げたエッセイ。

各項目は、約3ページずつで進むことが多く、簡潔に終わっていくところが読みやすい。時に辛口に、時になるほどと思わせる語り口で、衣服にまつわる薀蓄、衣服が発するメッセージについて縦横無尽に語り尽くす。

タイトルに「方程式」とあるように、衣服が発するメッセージを読み取ることも、本書の大きなテーマ。不思議なことに、衣服に多大な関心を抱く人も、まったく無頓着な人も、老若男女問わず、着る物によってメッセージを発しているのだ。例えば、スカートの下にジャージを穿く女子中高生の姿が、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」という映画ののヒロインの姿に重なってしまうという指摘は面白い。

男にスカートを許すべきかなど、男女のファッションに関するキーワードの取りまとめ方も巧い。ファッションが、文化、思想、社会といかに密接な関わりを持っているかがわかる。

また、軽妙洒脱な筆致で語られるエッセイは、筆者の文章が巧みであることを物語る。話題をどう落とし込むか、どう書くか、そんなところも学べる優れ物。

それだけに、巻末の文庫版特別収録の、筆者、河毛俊作、栗野宏文3者による対談は、少し残念。クールビズ批判に始まり、男性のカジュアルダウン批判、最近の若者がファッションの型を身につけないことへの嘆き、男性性はどこへ行ったのだという懸念… 現在の流行から発せられるメッセージについてでも話してくれたら、巻末に相応しかったであろうに。

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# 『チョムスキー入門』
2010/02/11 23:48
チョムスキー入門 ジョン・C・マーハ ジュディ・グローヴスイラスト 芦村京 明石書店 2004年



人文学の世界では、大変引用されるのがチョムスキー。その数は、聖書やギリシア哲学の偉人には劣るものの、現在存命の者の中では最多であるという。本書は、そのタイトルが示す通り、チョムスキーという人物を紹介する本である。それゆえに、彼の言語理論の裏にある哲学的な思想はもとより、彼の政治的発言の根源となる考えまでが網羅され、チョムスキーという1人の人間像を浮き彫りにする。

どちらかというと、言語理論よりは思想的な背景についてまとめられている。チョムスキーの理論は、言語の生得性を基盤にしたり、理想的な話し手を想定することが、以前の言語理論と異なる点である。本書はその思想を、プラトンやデカルトの思想と関連させたり、ガリレオなど自然科学者の思想と対比させつつ紹介することで、チョムスキーが言語について何を考え、どこに向かおうとしているのか、豊かな情報を提供してくれる。また、様々な批判に対するチョムスキーの解答も簡潔にまとめられていて、チョムスキーの理論の特徴がよくわかる。

そして、本書が他の本と異なっている点は、全体の30~40%位を割いて、チョムスキーの政治的な発言についても扱っているところである。まるで社会からは断絶されたことを研究しているかのように思われがちな言語学者が、なぜ政治に対してあれだけ痛烈な批判をするのか。本書では、そのような問いかけ自体がチョムスキーにとっては不可解なものであると述べられる。なぜなら、田中克彦氏による解説でも述べられているように、「あなたの言っていることは本当か?」と考えることに、専門的な資格などいらないからだ。それこそが、民主主義の世界に生きる者のあるべき姿なのであろう。

類書にはない絵の多さが、本書の魅力。取り上げられている内容は、おそらくは非常に高度なことであろう。それでも、ほぼ毎ページに登場してくる挿絵や漫画のおかげで、理解が助けられる(それとも、わかった気になっているだけなのだろうか…)。

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# 『読ませるブログ 心をつかむ文章術』
2010/01/20 11:08
読ませるブログ 心をつかむ文章術 樋口裕一 ベスト新書 2009年



何万ものブログが溢れる現在、どのようなブログは読まれ、どのようなブログは読者を失うのだろうか。受験界の小論文指導に長年携わってきた筆者が、自分のブログを読んでもらうためのコツを伝授する。

このような本をブログによって紹介するのは、いささか変な気もするが・・・

現在のインターネット社会を批判する言説も多々ある中、筆者はブログの利点や長所を述べている。これは新鮮である。その背景には、ものを書くことが人間そもそもの欲求であるという点と、人に読まれることを意識したブログを書くことで、文章力も鍛えられるという考えがある。したがって、本書はブログをまだ開設したことがない人にも一読の価値ある内容になっている。

かつては特権的な階級のみに許された、万人に情報を発するという行為。現在は多くの人が自ら情報を発することが可能になった。これを、時代の
変化による恩恵と捉える筆者の姿勢には好感が持てる。

読み手をひきつけるための修辞法や書き出しの工夫など、いっぺんにすべてを応用できなくても、それらを意識して文章を書くのと、何も意識しないで書くのとでは、文章の質や視点の面白さには雲泥の差が生じるであろう。

さて、このような本をブログ上で取り扱うのは、少し気が引けるものである。当然この本を読んだのだから、記事の随所に工夫が見られるべきではないかという指摘が出るのがもっともなため。いやはや、言うは易く、行うは難し・・・

ちなみに、筆者のブログは、樋口裕一の筆不精作家のブログ

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# 『世界カワイイ革命』
2009/12/07 10:36
世界カワイイ革命 櫻井孝昌 PHP新書 2009年



今や、日本語の「かわいい」は、"KAWAII"の形でもって、世界に通用する言葉へと変化した。日本のファッション誌を読み、ゴスロリや制服ファッションについて研究し、原宿に行くことを夢見る海外の少女たちが、急増しているという。本書は、そのような現状を海外の現地で行った取材を通して伝えるとともに、今後日本が、どのような戦略で「カワイイ」文化と向き合っていくべきかの方針を示す。

筆者は、外務省のアニメ文化外交に関する有識者会議の委員である。ヨーロッパやタイでの取材に基づき、日本のファッションがいかに世界で熱狂的に受け入れられているかを、これでもかという豊富な事例で示す。フランスやイタリアで日本のポップカルチャーに関するイベントを開けば、何万人もの人が集う。ゴスロリや制服ファッションを身に纏う海外の少女は、日本人に近づこうと努力する。しかも、このような現象は、日本人が意識しない間に、勝手に広がって行った現象なのであるという。日本のソフトパワーもここまで来たのかという驚きを隠せない。

意外なのが、海外では、漫画やアニメの世界とファッションとの結びつきが非常に強いということである。すなわち、日本の秋葉原と原宿の距離は、海外の人々にとってはそう遠いものではないというのだ。フランスやイタリアで日本のポップカルチャーに関するイベントを開けば、何万人もの人が集う。そこでは、漫画やアニメに関するコーナーとファッション関連のブースが平然と並ぶ。日本の感覚からすると、非常に珍しい光景ではないだろうか。

これほどまでに熱狂的な様を見せるカワイイ事情だが、それに対して日本人は、積極的に対応できていない。例えば、原宿などに店を構えるブランド店は、規模が小さく、海外での展開に対する負担が大きすぎず、踏み出せないのだという。このような現状を克服すべく、筆者は官の力を使いつつ、ファッションビルごと海外展開することを提案する。他にも、現地事情に通じた人間の存在は大きくなるだろう。

他にも、現地事情と言語に通じた人間の存在は大きくなるだろう。現在、外国語が使える日本人は、結構いるにもかかわらず、その才能を持て余している人材がいるのも現状であろう。一方、アパレルブランドは、海外向けの通信販売用に、外国語表記のHPをやっとこさ作成しているといった現状である。このような需給バランスのズレを考えると、何とも歯がゆくなる。本書が、多くの人のアイデアを結集するきっかけになったら、今後カワイイ業界の勢力がとんでもなく拡大するかもしれない。

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# 『音に色が見える世界 「共感覚」とは何か』
2009/12/01 12:55
音に色が見える世界 「共感覚」とは何か 岩崎純一 PHP新書 2009年



五感が完全に分断されていないゆえに、ひとつの刺激に対して様々な感覚器官が反応するのが、共感覚。例えば、本書のタイトルにあるように、ある音を聞くと、それに対応する色が見えるなど。本書は、共感覚者である筆者が、自らの経験を基に共感覚について語り、さらに、共感覚者から見た日本文化について語る本である。

本書は、全体の半分弱が共感覚という現象についての記述、残りがそれを受けての現代日本文化論となっている。筆者は、五感を分断する考え方は、近代西洋において急速に台頭した思想であり、人間本来の感覚とはかけ離れたものであると主張する。筆者によれば、子どもの多くは共感覚者であり、西洋文明でさえ、かつては共感覚的な文化が存在したのだという。もちろんのこと、明治の近代化を迎える前の日本文化においても、共感覚は一般的なものであったという。筆者は、日本の古典文学に精通しているゆえに、共感覚だからこそ理解できる、短歌・古語の深い意味を豊富な事例で解説していく。また、日本の色彩語と西洋の色彩語の比較も試みる。それらの中には、なるほどと思うことも多い。

筆者は、これらの例に基づき、西洋文明の考え方を前提にした共感覚研究は、実り多いものにはならないと警鐘を鳴らす。それは、近代西洋の常識でもって語られる研究では、人間の感覚を本質的には追求できないからである。その根拠は、まさに筆者の存在と筆者の人生そのものなのである。西洋中心的に動いている学問体系に対して、一石を投じる文章がここにある。

人間本来の性質について述べる文脈であっても、「大和民族」や「日本人古来の感覚」という言葉が並んでいるのは、若干の抵抗を感じるが、西洋の思想を無批判に受け入れてしまう傾向に対する批判は、しっかりと受け止めるべきであろう。そして、筆者が口を酸っぱくして語るように、自文化の理解を深めていく姿勢は本当に大切なことであろう。

また、筆者は共感覚ゆえに、学校の勉強での苦労も絶えなかった。共感覚的な理解の仕方と、周りの人間の理解の仕方に、質的な差があったからである。そのような苦労話を聞くと、世の中の少しでも多くの人が、共感覚に対して、単なる不思議現象としての理解ではなく、きちんとした理解を持って欲しいと思ってしまう。もちろん、自分も含めて。

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# 『語り得ぬもの:村上春樹の女性表象』
2009/11/06 20:50
語り得ぬもの:村上春樹の女性表象 渡辺みえこ 御茶の水書房 2009年




村上春樹の2作品、『ノルウェイの森』『スプートニクの恋人』には、それぞれレズビアンの女性が登場する。本書は、その2作品の発表された時代の思想についても言及しつつ、社会において暗黙の下で抹殺されてきた女性の性やレズビアンという視点で、作品を分析する。

現代のみを知っているだけでは、文学作品の女性表象を深く理解することはできないと強く感じさせる内容。筆者は、古来からの女性差別、70年代、80年代のフェミニズム運動の動きも述べたうえで、村上春樹の2作品におけるレズビアンの描写を分析していく。
特に興味深いのが、かつて女性の同性愛は最も禁忌するものとみなされ、徹底的に弾圧されてきたという点である。そのような出来事は、実際の事件だけでなく、文学作品にも描かれている。筆者は、豊富な事例を提供しつつ、論を展開する。
また、女性が性の喜びを享受するということに対する、男性中心社会からの抑圧という視点も考えさせられる。筆者は、ブライダル・シーツなど、処女性の神聖視や、それを示すことを強制され、恐怖に怯える女性について、歴史的な資料や文学作品から分析する。

さて、現在はレズビアンに対する見方がどうなっているのであろうか?現在、ポルノグラフィにおいて、レズビアンが一分野を確立していると言えるかもしれない。また、今年の10月からアニメが放送されている『ささめきこと』は、女性の同性愛を扱った物語である。さらに、一迅社の『コミック百合姫』など、女性同士の恋愛を扱った作品のみを掲載する漫画雑誌も登場している。しかし、これらは、どれも男性の視点を抜きにして語ることができない。なぜなら、ポルノグラフィはもちろんのこと、これらの漫画も、(少なくとも形式的には)男性向けに発行されているものだからである。筆者の言うように、女性によって語られる女性の同性愛というものが、もっとポピュラーになっても良いように思う。もっとも、私が女性向けの漫画の世界をあまり知らないというのはあるが。女性については、逆にBLという視点も、検討の余地があろう。

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# 『聖書が面白いほどわかる本』
2009/11/04 22:54
聖書が面白いほどわかる本 鹿嶋春平太 中経の文庫



聖書に詳しい人が、高校生に語るという設定の本。それだけに、聖書について基本的なところからまとめられている。聖書は一体誰が書いたのか?聖書は、人間の身体や魂、死生観をどのように捉えているのか?ユダヤ教とキリスト教の違いとは何か?罪とは何を指すのか?などなど…

この本を読んで思うのは、いかに自分が聖書の概念について知ったかぶりをしていたかということだ。聖書の中にある物語は、様々な本や創作で語られたりすることが多い。しかし、聖書の根本にある思想となると、案外見逃されているとは言えまいか。
本書は、聖書を基礎の基礎から説明していく。だから、上記のような、基本的で聞くのを躊躇いそうな疑問までもが取り扱われている。しかも、日本人にとって分かりにくいと思われる概念や思想については、丁寧に噛み砕くことを心がけている記述も有り難い。特に、創造主、イエス、イエスの死後の現代、という流れの中でキリスト教の思想を説明している最終章の内容は圧巻。

聖書について知ってみたいが、何の手掛かりもなく、難解な概念や思想のもとに挫折してしまいそうというのが、多くの日本人の本音であろう。本書は、聖書について知る手引となる、入門書としては、非常に優れたものである。

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# 『四コマ漫画』
2009/10/26 14:46
四コマ漫画 清水勲 岩波新書 2009年




既に葛飾北斎の時代から存在していたと言われる四コマ漫画。本書は、その歴史を紐解き、四コマ漫画の変遷を追う。

四コマ漫画には、こんなにも豊かな歴史があるのかと驚かされる。明治期の作品の中にさえ、現代から見ても面白い作品がある。
また、四コマ漫画の歴史は、世の中の流れと密接に関わっているということが、とてもよく伝わってくる。それは、そもそも明治時代に与えられた、時代の風刺という役割を、時代が変化しても四コマ漫画が担い続けてきたということなのかもしれない。例えば、高度経済成長期には、サラリーマンを主人公に据えた四コマ漫画が生まれた。他にも、明治・昭和の時代は、新聞四コマが非常に盛んであったのが、新聞離れが進むとともにその勢いを失うという流れは、世相をよく反映していると思う。

本書は内容の特性上、多くの資料が載せられているのも魅力である。資料を見ると、漫画の描き方の変化もよくわかり、興味が沸く。例えば、昔の漫画には、吹き出しを用いないでコマの外に台詞を示しているものがある。コマ割りも、現在最もポピュラーと思われる縦に4コマ並べたものだけでなく、2×2コマで描いているものもある。巻末には、代表的作家についての紹介、主な出来事の年表もまとめられていて、非常に親切。過去から現代を見つめ直すという、歴史を勉強する醍醐味を得られる。

近年は、四コマ漫画の雑誌が数多く出版される空前の四コマブームであるといえる。本書で取り上げられている「らき☆すた」だけでなく、2009年にアニメ化されて大ブームになった「けいおん」も記憶に新しい。本書は、そんな時代に相応しい教養を身に付けさせてくれる本ではないだろうか。

ちなみに、本書の筆者は今年で70歳を迎える。それでも昔の作品に固執せず、現代の作品にも興味を持ち続けている姿勢には感服してしまう。

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