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# 『英語バカのすすめ 私はこうして英語を学んだ』
2020/03/22 15:31
英語バカのすすめ 私はこうして英語を学んだ 横山雅彦 ちくまプリマー新書 2020年



90年代からゼロ年代の予備校で一世を風靡した「ロジカル・リーディング」の生みの親であり、自らを「英語バカ」と認める著者による、自らの英語学習史をまとめたものである。著者は予備校講師としてももちろんのことながら、全国的に見ても類稀なる英語の使い手であり、その学習法や心得については気になっていた。

現在は大学の准教授という立場で大学生に英語を教える著者は、初めて英語に接した小学校高学年から現在までの並大抵ではない「英語バカ」としての生き様を、余すことなく書き尽くしている。海外経験ゼロで英語を習得したその方法は、持ち得る資源を全力で活用して英語を身に付けようと努力し、英語を使う実践の場に立たされたら、そのチャンスを最大限に利用するということだろうか。著者は生まれ故郷をたびたび「片田舎」と表現するが、そこにも英語の世界に触れるチャンスは転がっていて、それをしっかりと手にした行動力には脱帽である。

また、著者が同年代の日本人の中ではおそらくトップレベルの英語力を持っていたであろうことは、英語弁論大会の受賞歴からわかるのだが、自らは到底及ばないと認める英語の使い手に出会い、その人からも学んできた積み重ねも大きいと思う。自分でも相当に英語ができると思っていた著者だが、だからこそ自分よりはるかに卓越した人物をしっかりと嗅ぎ分け、その人物から謙虚な姿勢で学ぼうとする。著者はそのような方々を「ロールモデル」と呼んでいるが、人生の中で良い時期に適切なロールモデルを見つけて学ぶという部分は、大いに参考になった。ある意味、著者が出会ってきた英語の達人たちの歴史を綴った書という見方もできる。

読めば読むほど、英語の果てしなさを感じ途方に暮れそうになるが、それ以上に、果てしない道に向かう勇気がもらえる。英語をやってきた者の端くれとして、さらなる研鑽を目指したい思いだ。
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# 『全解説 英語革命2020』
2018/06/09 18:16
全解説 英語革命2020 安河内哲也 文藝春秋 2018年



大きな教育改革が起こる2020年度、日本の英語教育も大きな転換期を迎える。それは、これまでの「読む」に圧倒的な比重が置かれていた大学入試のあり方を見直し、「話す」も含めた4技能を図る試験に転換するという、革命的な出来事である。筆者は、20年以上予備校の教壇に立ち、旧来型の授業を実践しつつも、やがて4技能試験の導入に向けて政府の有識者会議の委員まで務めるようになった人物である。本書は、20年以上大学入試の英語と関わり続け、その改革を目指してきた人自身が、英語教育改革を解説したものである。

中学・高校の授業のやり方は、基本的には「受験があるから」という視点を無視することはできない。特に難関大学の入試傾向が与える影響力は計り知れず、大学の出題傾向がそのまま高校の授業に影響する。ならば、中等教育における出口に当たる大学入試を変革することで、中等教育における英語教育にも変革をもたらそうというのが、改革の趣旨である。

本書は、改革における思想、新試験の勉強法、予想される問題点、英語教師の役割の見直し、塾・予備校の在り方など、多岐にわたる事項について、平易に解説されている。改革に関する基本情報がよくわかる。

難解な文を読解する英文読解こそ思考を鍛えるという反論が予想される。しかし、私は4技能はそれぞれにつながっているという考えを持っている。どの技能であっても、1技能だけ勉強するというスタイルには限界があり、複数の技能を統合することで、それぞれの力が伸びるものだと持っている。会話を扱えば文法力が落ちるというほど単純なことではないだろう。また、各大学別の対策をやるのではなく、本質的な力をつければ良いだけという指導方針で授業に向かえる利点もある。その点では、4技能試験の導入に賛成である。

一方で、「英語の授業は英語で」を実践してきた教師も、改めて授業方法を見なおす必要はあると思う。生徒はどこまで理解できていたか。生徒は本当に活き活きと活動していたか。英語で授業することが目的となり、生徒の実力を伸ばすという視点が欠けていなかったか。本書で述べられているように、英語教師の役割はスポーツのコーチと似ているのだ。やり方次第では、一気に英語嫌いを増やしかねないほどの危険性をもった入試改革であるということを忘れずにいることが大切であろう。

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# 『英単語の世界 多義語と意味変化から見る』
2016/11/26 16:09
英単語の世界 多義語と意味変化から見る 寺澤盾 中公新書 2016年



英語に限らず、言葉を学んでいく上でやっかいなのが、多義語の存在だ。本書は、多義語が生じる背景を、語の歴史的な変遷を軸に、メタファーとの関連にも注目して紐解いていくものだ。帯に書かれている"a hand of banana"とは、人間の手とバナナの房が類似していることから生まれた表現である。時にsuitはそれを着ている人物の代わりに用いられることもある。多義語が発生するメカニズムの説明は、それだけで十分に興味深いものではあるが、そのメカニズムを明らかにし、単語の学習に役立つようにという意図も本書にはあるようだ。

また、本書のもう1つの側面は、ある意味領域を表すためにどんな単語が使われてきたかという研究領域である名義論や、メタファー研究についての入門書でもあるという点だ。特に名義論の分野からは、トイレを表す表現や、義務を表す表現の変遷を見ることができ、英語教育の点からも非常に有益な情報が多かった。現在の英文法教育で教えられている事柄の中には、現在の使用から考えると頻度が低かったり、他の表現に移り変わりつつある文法事項が多々あるそうだ。最新の状況をコーパスなどのデータを用いて分析した研究に敏感であることの重要さに気づかされる。

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# 『英語学習は早いほど良いのか』
2015/09/06 20:29
英語学習は早いほど良いのか バトラー後藤裕子 岩波新書 2015年



日本をはじめとした東アジア圏で、どこまでも過熱していくように思える英語教育。日本でも、小学校での英語が必修化され、高校の英語の授業は英語で行うことが基本とされ、スーパー・グローバル・ハイスクール(SGH)の指定という取り組みも始まり、英語英語と叫ばれる世の中になったと非常に強く感じられる。それでは、第二言語習得理論に関する実践的な研究成果に鑑みたとき、現在の取り組みはどのような意味を持っているのだろうか。

ともすると、英語教育は実践研究の成果云々ではなく、理念優先で語られることが多い。例えば、子どもが言語を獲得する過程を考えたら、英語は英語で教えるべきだという意見や、文法の重要性を訴えて、訳読形式の授業こそ最良の方法と主張する意見などだ。前者に対しては、子どもの言語獲得の環境をそのまま外国語学習に応用可能なのか。後者に対しては、訳読形式において、アウトプットの練習はどうするのか。そういった疑問が浮かぶ。また、果たして様々な授業形式に対して、どのような効果がどれだけあったのか、検証されていることはあまりないように思う。

本書が取り扱うのは、このような具体的な授業方法に関することではないが、実証的な立場からわかっていること、わかっていないことを取り上げて、外国語教育研究の現状がまとめられているのは、大いに参考になる。音声の習得1つとっても、各研究で用いられた手続きを細かく批判的に検討すれば、まだまだ確実なことは少ないのだな、というのが正直なところの感想である。また、他のヨーロッパ語と比べて、日本語は英語との違いの多く、日本は外に出れば自然と英語が聞こえてくる環境でもない。欧米での第二言語習得研究をどこまで日本に応用できるかすらも定かではない。現在わかっていることを基にした筆者なりの見解も併せて、言語教育の政策立案に関わる人々をはじめ、英語教育に躍起になっている人々にも広く目を通してもらいたい。

「自分は何年間も英語を勉強してきたのに一向に英語が喋れなかった。だから、日本の英語教育は変えるべきだ。」などという意見が平気でまかり通ってしまうのが、今の日本のように思える。同じロジックで、音楽、スポーツ、数学などの教育について語る人がいるだろうかと考えると、いかに英語教育に関する議論が感情的で個人的な意見に大きく左右されたものであるかがわかる。ここで1度冷静な視点で英語教育について考えてみることが、結果的に日本の英語教育の進むべき道を模索するヒントになるのではないだろうか。

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# 『英語が面白くなる 東大のディープな英語』
2015/03/18 21:12
英語が面白くなる 東大のディープな英語 佐藤ヒロシ 中経出版 2013年



東大の英語入試問題は、誰も知らないような単語や文法のマニアックな知識を試すのではなく、基礎的な力がどれだけ使える形で身に付いているかを確認するものである。本書を読むと、そのようなことを痛感せざるを得ない。筆者は長年予備校で東大英語を教えてきた実績があり、設問に対するアプローチが深い。特に、筆者はたった1問の何気なく見える問題であっても、その背景に隠された出題意図を鋭く分析する。東大で過去にどんな問題が出題されたかという歴史的な視点を加味することで、東大が同じテーマを繰り返し出題していることがわかるし、他大学の問題と比較することで、東大が問わんとしていることが見えてくる。

「受験問題はまるでパズルのようで、英語力を試していない悪問だ」と批判する者は少なからずいるが、そんな人にこそ本書を読んでもらい、入試問題の英語が本来持つ面白さを実感してもらいたい。大学入試問題の良問とは、無味乾燥なパズルなどではないことがよくわかるはずだ。

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# 『英語はいらない!?』
2010/10/28 16:13
英語はいらない!? 鈴木孝夫 PHP新書 2000年



国際化・グローバル化の中で、英語の重要性がますます叫ばれる中、個人個人はどのように英語と向き合えば良いのか。また、日本を牽引するエリート達についてはどうなのか。このような疑問に答える本。

「英語はいらない」という文句の後に、「!」と「?」が付いている。このタイトルが本書の内容を実によく表していると感心してしまう。すなわち、「英語はいらない!」が意味するところは、英語は不要ということ。「英語はいらない?」が示すのは、英語力を軽視することへの警鐘である。その両方の主張を纏めた結果が、この題である。少なくとも、私はそのように読み取った。

まず、「!」について。これは、主に「英米語」としての英語を国民全員が身に付けるのは不要であるという主張。さらには、英語英語と必死になって、その他の言語を軽視してしまうことへの危惧も含まれている。国際語としての地位を確立した以上、英語はアメリカとイギリスの言語ではなくなった。英米の文化や社会と切り離し、自分のことについて発進できる英語力の強化を筆者は主張する。また、英語に囚われてしまい、ロシア語・アラビア語・朝鮮語といった言語に精通した人材を十分に育成できないのは、国益の面から見ても嘆かわしいことであるという。

次に、「?」について。これは、主に現在日本の先端に立つ政治家や企業の重役は徹底的に英語を勉強しろということ。小学校の英語教育が云々と言っているうちに、日本が立ち行かなくなってしまうという危機感から、筆者はそう主張する。

歯に衣着せぬやや過激な議論も見られるが、英語教育・政治・外交など、幅広い面で示唆に富んだ英語論。一読の価値はあるのではないだろうか。

ところどころの挿話が、面白い。外国人を見かけたらすぐに英語で話しかけるという癖を無くせという警告には納得してしまった。また、実は英語教師よりもフランス語教師の方が英語ができるという指摘も、なるほどと思わせる。

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# 『英文読解完全マニュアル』
2010/09/18 14:46
英文読解完全マニュアル 澤井繁男 ちくま新書 2002年



決して英文が読めないわけではない。基本的なことはわかっている。だけど、その先が… というような人向けに書かれたのが、本書。大学受験で出題された文章の中でも、英検準1級レベルと言えるような読み応えのある文章を題材にし、英語上級者への道筋を示す。

本書で扱われているは、上位の大学を出た人であっても、十分には身に付いていない可能性のある事項だ。名詞構文のような、大学受験用の参考書でも見かけるような事項は元より、なかなか受験用の参考書ではお目にかかれない内容も散見している。特に、訳し方のポイントなど、深く突っ込まれると、案外理解できていない領域があるのだなと、自分の英語力に対する反省が促される。

本書の初めでは、現在の学校で行われる英語教育に対する、筆者の批判的な見解が述べられる。生徒の論理的思考力を無視した、辞書を引かせない授業、英文の背景にある文法事項や語法などの要素を解説できない教師(特に公立校)の能力の低さなど、なるほどなと思わせる批判もある。

筆者は現場の痛いところを突いてきていると言えるだろう。しかし、それでは、筆者が英語教育を通して伝えたいことは何か。それは、今後中学生・高校生が社会に出て行く上で、どのように活かされるのか。筆者が盛んに主張する「論理的思考力」は、英文読解・和訳を通さなければ身に付かないのか。あるいは、英語は論理的思考力を身に付けるための道具で良いのか。英語の面白さとは、語学的な面だけで十分なのか。言語を実際に使用する楽しさについてはどう考えるのか。

辞書指導についても、検討すべき点はある。確かに辞書が素晴らしい英語教材であるのはわかる。しかし、右も左もわからない中学1年生が、辞書から様々なことを学ぶことは可能なのか。ある程度知識が身に付いてから辞書を引いて整理していく、というやり方だってあるのではないだろうか。

このような点について考えさせられるという点では、本書は英文読解法を題材としつつも、英語教育論のあり方について考えるきっかけも与えてくれる。

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# 『日本人が必ず迷う・間違う英語の「壁」突破法』
2010/08/29 20:56
日本人が必ず迷う・間違う英語の「壁」突破法 飯室真紀子 講談社 2001年



英検の1級や準1級を目指そうという人であっても、曖昧だったり、知らなかったりする表現や語法が、かなりあるのが現状だ。筆者の豊富な指導経験から、日本人が引っかかる表現を厳選し、英語上級者への道を示す本。

第Ⅰ部では、日本人がミスしがちな語法について解説。大学受験でお馴染みの表現から、参考書ではお目にかかれないものまで、幅広く取り上げられている充実の内容。語彙力というと、単語の数に目が行きがちだが、実際は1つ1つの単語を深く知っていることも、語彙力の大切な要素。

第Ⅱ部では、知っているようで知らない、言えるようで言えない表現が続々と登場。nightとeveningの境目が述べられていたり、日本語の「驚く」を表す単語が程度別に並べられたり、色や野菜に関する派生語が芋づる式に上げられていたりと、深さと幅の両方がターゲットにされる。量が多く、1回読んだだけでは覚えられない。

この手の本は、書き手によって、「正しい表現」の基準が若干異なることがままある。何冊か類書を読み、自分で調べ、実際に使い、理解を深めていくのが理想だ。

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# 『英語多読法 やさしい本で始めれば使える英語は必ず身につく!』
2010/07/16 14:43
英語多読法 やさしい本で始めれば使える英語は必ず身につく! 古川昭夫 小学館101新書 2010年



英会話学校に通わなくても、挫折することなく学習を続け、高い英語力を身に付けることは可能。その鍵となるのが、多読という方法だ。本書は、多読の意義から、予備校SEGでの実践法まで解説する、多読への入り口となる本。

非常に丁寧に、多読について幅広く述べている。多読賛成派の主張、反対派の主張をバランス良く取り上げ、理想的な多読指導法を探る姿勢は良い。勉強法や指導法は、ともすると理念や理想が先行してしまうものだ。なぜ、その方法が良いのか、問題はないのか、欠点をどのようにして克服するか、といった観点が置き去りになってしまいがちだ。それに対して、本書は文法・語彙の重要性を随所で指摘していて、とことん量をこなしていくのみという、多読の一般的なイメージを見事に覆すとともに、批判への真摯な回答も提示している。

また、そもそも、英語の読書を苦痛ではなく楽しみとすることが何よりも効果を発揮すると述べているのもポイント。「苦労して辞書を引いてこそ、英語力が身に付く」といった哲学を持った先生の下で学び、英語が嫌になってしまった人にとっては、目から鱗の朗報だ。

巻末では、多読に関する入門書やウェブサイトも紹介されていて、これまでの蓄積を大いに活用していこうという意気込みが感じられる。塾の経営者の著作ながら、塾の宣伝に終始していない点も、好感が持てる。英語を勉強したい人はもちろん、英語教育に携わっている人にも一読の価値あり。

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# 『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』
2010/05/27 20:30
博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話 サイモン・ウィンチェスター 鈴木主税 ハヤカワ文庫 2006年



英語の辞書においては、もはや絶対的な権威を持つと言っても過言ではないのが、OED(Oxford English Dictionary)。この辞書は、英語のすべての語について、いつ使われ始めたかという歴史的な側面と、どんな意味があるのかという言語的な側面を紹介すべく、実際に当時の書物に用いられていた文例を載せている、とんでもない手間のかかった代物である。当然、辞書の編纂には、膨大な時間と人手を要した。本書は、編纂過程において多大な貢献を果たした2人の人物、編纂者のジェームズ・マレーと、篤志協力者のW・C・マイナーに焦点を当て、辞典編纂の裏で起こった出来事を纏め上げたノンフィクションである。

恐るべき業績の背景には、まるで誰かに仕組まれたかのような必然が潜んでいるのだろうか。読後、そのようなことを考えてしまった。2人の出会いと、OEDの完成に至るまでの過程には、数々の偶然の積み重ねがある。

マイナーがOEDの作成に協力することになるきっかけは、けっして喜ばしいことではない。マイナーは、元は非常に優秀な家系に生まれ落ちた軍医である。ところが、南北戦争の経験からやがて精神を病み、殺人事件を犯し、精神病院行きを余儀なくされてしまう。ところが、マレーが出した広告を偶然目にしたマイナーは、類稀な知性とこだわりを発揮して、辞典編集の篤志協力者の中でトップレベルの貢献度を示すことになったのだ。指定された時代の書籍を読み、注目すべき語を見つけては、それをカードに書き出し、文例を正確に書き写すというのが、篤志協力者の仕事。それは、一見単純そうに見え、それでいて、「注目すべき」とは何かという、曖昧な問題も含んだ作業。マイナーは、まさに編纂者達の意図を汲んだ理想的なカードを作り、しかもそれを辞書編纂のペースに合わせて送るという偉業を成し遂げた。マレーが、謎の人物、マイナーの元を尋ねてからは、2人は親しい友人となった。この2人の友情物語も、非常に印象に残る。

物語は、マイナーの殺人事件に始まり、2人の生い立ち、辞書編纂の物語が描かれるにつれ、徐々に2人の人生が交わっていくという構成で、物語としても見事な出来栄え。また、奇跡の辞書が完成されるには、おそらく不可欠だったと思われる、マイナーの殺人事件の被害者となってしまったジョージ・メリットを、是非記憶に刻んでおいてもらいたいというあとがきからは、筆者の誠意が伝わってくる。40万もの言葉を収録した大辞典完成の裏にあった悲しい出来事が、物語を引き締める。

最後にある、豊﨑由美氏の解説も、秀逸。本書の魅力を余すことなく簡潔に纏めている。

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