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# 『AIの衝撃 人工知能は人類の敵か』
2015/11/23 17:24
AIの衝撃 人工知能は人類の敵か 小林雅一 講談社現代新書 2015年



機械=単純作業と計算の優れているが、融通が利かず複雑な思考はできない
人間=柔軟性に富み、複雑な思考が可能である

このような二項対立的な図式は既に過去のものとなり、コンピュータの進化が人間の雇用や生存まで脅かす可能性が議論される時代に突入しようとしているが、現状である。本書は、最新のAI技術のしくみや、それが今後の社会にどのような影響を与えているのかについて扱ったものである。最新のAI搭載ロボットは、もはやNHKの「ロボコン」に登場するようなものではない。お掃除ロボットに代表されるように、人間が操作せずとも「自ら考え」行動する力を身につけているのだ。

機械学習の研究が進んだ今、画像認識の技術は格段に向上し、その成果は自動運転車の導入を待つレベルにまで来ている。また、グーグルなどが一刻を争って進めているIoT (Internet of Things)など、私たちの生活の行動を記録したデータを収集し、AIが勝手にデータ分析を進め、それを商機に活かすというビジネスモデルが生まれてきている。

これまでの常識を超えた事態に対して社会はどのように向き合っていくべきなのか、容易に答えは出そうにない。しかし、少なくともこれらの知識を持ったうえで今後の動向を見守ることは大切であると思う。

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# 『音楽嗜好症──脳神経科医と音楽に憑かれた人々』
2014/12/02 20:18
音楽嗜好症──脳神経科医と音楽に憑かれた人々 オリヴァー・サックス著 大田直子訳 ハヤカワ文庫 2014年



「音楽嗜好症」とは、英語のmusicophiliaの訳語。ただの音楽好きというよりは、音楽に対して常軌を逸した偏愛ぶりを見せたり、音楽の分野で特異な才能を発揮したりする人々の総称として、本書では用いられている。人は、事故などで脳に損傷を受けることで、演奏や作曲など突如音楽に目覚めることがある。また、認知症やウィリアムズ症候群のように、他の認知的な面が時に日常生活に支障をきたすレベルであるにもかかわらず、音楽に関しては素晴らしい才能を見せる人々もいる。その一方で、頭脳明晰で他の能力に関しても問題のない人が、なぜか音楽だけはまったく理解不能で、音楽を苦手としていることもある。

とかく、音楽は不思議に溢れたものなのだが、その謎に対して脳神経科学の分野で蓄積された知を結集して挑もうというのが、著者のオリヴァー・サックスである。著者は医学者でありながら数多くのエッセイで知られる人物で、本書をはじめ、実際の臨床で出会った患者や、読者からの手紙に基づいた豊富な事例をもとにした読み応えある著書を執筆していることで有名だ。それゆえに、摩訶不思議な音楽の世界に迫るべく、時に様々な仮説を立て、人間と音楽の関係を解き明かそうとする。その思考の過程を楽しむのも、本書ならではの読み方と言えよう。

音楽は、人間の心を豊かにする可能性を秘めたものであろうが、科学的な分析に馴染むのか疑問に思ってしまうほど、捉えどころのない面もある。著者によると、人間や社会について優れた論考を残した哲学者の中には、音楽についてまったく触れていない人物もいるという。それだけ、音楽とは神秘的で、わからない人にはわからないものなのだろうか。音楽を科学で分析しようという試みは、人間の謎に迫る営みなのかもしれない。

巻末の訳者と成毛眞による解説も、本書の素晴らしさや魅力を存分に伝えているので、是非一読されたい。

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# 『医学的根拠とは何か』
2013/12/13 00:35
医学的根拠とは何か 津田敏秀 岩波新書 2013年



現代の医学の研究は、臨床の場で得たデータを分析して理論を形成していく試みであるのだが、日本ではそのような試みが為されず、医学の研究者は研究室に閉じこもって動物実験や細胞レベルの実験を繰り返し、むしろ人間そのものから離れていっているという。本書は、EBM (Evidence-Based Medicine) の観点から日本の医療、医学従事者の問題点を挙げ、改善を訴えるものである。

iPS細胞の研究で京大山中教授がノーベル賞を受賞するなど、日本の医学研究は、世界でもトップレベルだと、勝手に思っていたので、本書で明かされる真実は衝撃的であった。データを読み間違えたり、意図的にデータを出さないで自説を主張したりと、日本の医学会に蔓延っているのは、人間のデータを介さないで研究を行う医師達であった。EBMでは、疫学、すなわち統計的なデータを通して病気の原因を探ろうとする学問が重要視される。しかし、一般的には、疫学の方法論や貢献度について語られることは少ないように思う。最先端の機器を用いた細胞や分子レベルの研究や、難しい手術に挑む神の手を持った外科医の姿がメディアを通して人々の記憶に刻まれることはあっても、データの解析法が取り上げられることはないのではないだろうか。

本書のまえがきで、筆者は本書の構想を知り合いの精神科医に話したところ、「おまえ殺されるぞ」と冗談交じりに言われたというエピソードを書いている。本書を読み進めるにつれて、これはあながち嘘ではないと思えた。メカニズム云々にこだわり、データが示す内容については「個別の事例にあてはまるとは限らない」と主張する医師を、容赦なく名指しで批判したりと、筆者の気持ちの強さは並大抵ではない。本書で紹介される医学の実情は確かに驚きである。おそらく、文系でも社会学や心理学を専攻した人であれば、医師よりも統計的なデータの読み方ができるのではないかと思えてしまうほど、現在の日本の医学ではデータでもって裏付けるという科学的な思考が通用しない。

科学的なデータを用いた思考ができないと、どのような問題が起こるか。本書は、かつての公害問題からごくごく最近の時事問題に至るまで、医療と社会の関係についても論じている。医療に関わるニュースの見方が変わる。

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# 『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』
2013/11/18 23:37
生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門 松井孝典 文春新書 2013年



近年、地球外生命の探索が進むにつれて注目を集めるようになった学問分野であるのが、アストロバイオロジーだ。本書は、その新領域の学問を1人の学者が系統的に論じた入門書である。

まず思うのは、アストロバイオロジーという分野の扱う領域がいかに広いかという事実である。中学・高校までの理科でいう、物理・化学・生物・地学のあらゆる領域が関わり、また、これらの分野が互いにどう関連するかが見えてくる。各分野のつながりが見えてくる過程は、大きな感動を呼ぶ。

話題は多岐にわたり、古代哲学者の思想、生物の細胞に関する基礎知識、進化論、分子生物学など・・・ しかし、1人の筆者がまとめているゆえに、これらの連関がしっかりと見えてくる。さらに、ウイルスや極限環境に生息する生物など、一見地球外生命の探索と関係のないように思える研究も、本書でその裏にある意義が述べられた後は、関心が芽生えてくる。

地球外生命の探索は、なぜ我々はここにいるのか、我々は特別な存在なのかといった、人間や生命に対する根源的な問題に関わる。学問の境界を越えてその謎に迫ろうという試みには、知的好奇心が大いに刺激された。

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# 『音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか』
2011/01/21 09:22
音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか 福井一 化学同人 2010年



音楽とは、結局よくわからないものなのだろうか。音楽は、科学的に分析できないのであろうか。本書がこのような問いに対して提示する答えは、「ノー」である。本書によれば、音楽は科学的に分析することが可能であるのだ。近年の神経生理学的な知見や、脳科学の知見に照らし合わせ、音楽を分析する。

本書の特徴は、まず、音楽を崇高なものと捉え、そこに科学の介入を許さない、芸術至上主義的な見方への反論である。生理学的なデータを用いて、科学的な分析手法を音楽に応用できることを随所で示す。その中では、音楽を崇拝し過ぎて、神秘主義やオカルトに陥る危険性も指摘している。本書の第2の特徴は、人間の心は最終的には物質の反応に還元できるという見方である。筆者は心身二元論を批判する。これらの特徴は、科学哲学との関わりも強く、音楽というテーマの持つ複雑性を物語っている。
様々な神経生理学的な証拠を挙げ、音楽と人間・生物の関係を見てきた後、最後の方で述べられるのは、音楽が進化上果たした役割である。しかし、これだけ科学的という視点を維持しようとしてきた本書において、ここの部分は推察の域を出ないのではないかという疑問が湧いてくる。進化という見方は、条件を統制した結果出た証拠ではなく、あくまで予想の範囲だ。この点をどう考慮するかが、ポイントになる。

また、筆者が随所で指摘する、近年の音楽をめぐる状況に対する批判も、再考すべき部分があるように思う。筆者は音楽が個人化していく状況を危惧し、音楽はそもそも集団でおこなうものであると主張する。しかし、筆者が述べるように、音楽が社会生活上生じるストレスの解消に必要であるならば、個人化は必然的な傾向であるのではないだろうか。かつての社会とは異なり、個々人の抱える問題が複雑化・多様化する中、同じストレスであっても、中身が違うということは、ままある。そのような状況において、個人が自分に合った音楽を用いて各々のストレスを解消するのは、実に理に適っている現象、あるいは不可避の現象ではないだろうか。

このような批判は考えられるが、本書の価値は、音楽療法の効果を科学的に検証し、それを積極的に活用していこうという姿勢にある。音楽が果たす実利的な役割を意識し、さらに効果をきちんと実証していこうと努力することは、非常に意義深いことだと思う。それでも、音楽について科学の視点から見解を述べる動きは、まだまだ黎明期にあるように思える。そもそも論に多くのページが割かれているわりに、肝心の科学的な分析については、わかっていないことが多いという始末だ。ただし、だからこそ、安易に「○○の音楽は△△に効果がある」という巷に溢れる文句を鵜呑みにしてはいけないなと注意できるという面もある。

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# 『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』
2010/10/22 10:22
E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世 ハヤカワ文庫 2010年



もし、ある人物の年代記を「伝記」と呼ぶとしたら、方程式の歴史は伝記と言えるのだろうか。本書の主人公は方程式だ。もちろん、方程式誕生に多大な貢献を果たしたアインシュタインの名は無視することができないし、本書でも彼の業績はページ数を割いて扱われている。しかし、この偉大な方程式は、様々な人々を巻き込み、あたかもそれ自体が人間であるかのように独り歩きを始めた。主人公「E=mc2」が関与するところには、数々の喜怒哀楽が生まれ、新しい技術も誕生した。そして、原子力という人類の歴史に功罪をもたらしたものも。

本書は、方程式E=mc2の歴史について概観する。初めに、式が持つ5つの記号の意味が語られ(この部分も面白い)、アインシュタインと方程式との邂逅、彼に続いて功績を残した科学者達の人間ドラマ、原子爆弾を巡る各国の緊迫した政治などが描かれる。最後には、本書の名脇役達、すなわち、方程式に関わった偉人達のその後が簡潔に語られ、方程式物語の幕が閉じる。

素人としては、1つの方程式についてこんなにも膨大な歴史があったのかとただ驚くのみであった。それでも、筆者からしたら泣く泣く伝記から削らざるを得なかったエピソードや科学理論がまだまだあるということで、巻末には数十ページにわたる注釈が施されている。わからないと思ったこと、もっと知りたいと思ったことがあれば、読者はここを参照することで、E=mc2のさらなる深い深い世界に入っていくことができる。本書は、E=mc2の伝記であり、なおかつ冒険ガイドブックでもあるのだ。

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# 『数学はインドのロープ魔術を解く 楽しさ本位の数学世界ガイド』
2010/09/28 10:15
数学はインドのロープ魔術を解く 楽しさ本位の数学世界ガイド デイヴィッド・アチソン 伊藤文英 ハヤカワ文庫 2004年



2000年以上前から存在し、中学生が学習する三平方の定理から、ケプラーの惑星運動に関する法則、カオス、現代の技術への応用まで、様々な数学のトピックについて、面白いところに絞って紹介する本。三平方の定理の証明法など忘れていた私は、鮮やかな証明に「なるほど」と思ってしまった。

日常生活への応用例も興味深い。例えば、缶詰の中身の量を変えず、缶の表面積を最大にする(すなわち、缶の資源を最も節約できる)ようにするには、どうすれば良いのかという問題がある。そうか、関数の最大値・最小値という問題も、このように示されれば、現実味を帯びるのだなと、大きな感動を覚えた(ちなみに答えは、「底面の直径と缶の高さを等しくする」)。

内容は高度であっても、絵や図が豊富で、楽しく読める。説明に必要な証明過程が適宜取捨選択されているので、スピード感を持って読むことができる。さらに興味を持った読者用の読書案内も充実していて、世界を広げられるようになっている。

数学は苦手ではなかったが好きではなかったという人に特にお薦めできる、目から鱗の数学再入門本。

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# 『「渋滞」の先頭は何をしているのか?』
2010/09/07 12:56
「渋滞」の先頭は何をしているのか? 西成活裕 宝島社新書 2009年



渋滞を、自己駆動粒子という概念で捉えると、思わぬ世界が広がる。車の流れはもちろんのこと、たくさんの人が群がった状態、蟻の列、インターネットの混雑、電車・バスの遅れ… 工学の視点から渋滞を解析し、渋滞解消に役立てることを目指す学問、「渋滞学」の基本概念を一般向けに解説した本。個人個人が今すぐにでも実践できる取り組みも多く紹介。

私はかつて、「渋滞の先頭は一体何をしているのだろう?」と疑問に思ったことがある。塾の先生からは、大体の場合は工事などで車線が減少する点に突き当たると教わった。それは、れっきとした事実であり、そのような渋滞はボトルネックと言われている。しかし、ボトルネックのない場合でも渋滞は起こり得るのだ。自動車が列になって走っているとき、ある車が少し減速したとする。減速は、後ろの車に次々と伝わっていき、最終的にはどこかの車が停車する。そして、俗に言う渋滞が起こるのだ。何だか、わかるようなわからないような。これが、本書の言う自然渋滞だ。この場合、渋滞を走る車はどれも、一瞬だが渋滞の先頭を走ることになる。「先頭のバカは何やっている」と思っている瞬間に、自らが渋滞の先頭を行くことも十分あり得るのだ。

自己駆動粒子という概念(詳しくは本文で説明されている)を用いることで、渋滞の考え方は、幅広い現象に応用できる。本書で紹介される1つ1つの現象自体も面白い。しかし、渋滞解消には、個々人が利他精神をどのくらい発揮できるかも鍵になるというのが、最も興味深い点。テクノロジーの発展によって渋滞解消を目指そうという取り組みはもちろんあるけれども、人間の心持ちも馬鹿にできないくらい重要なのだ。

そうなると、どうやって人間の利他精神を引き出すかといった、社会学や心理学の知見も大きく関わってくる。渋滞学の分野横断的、学際的側面を垣間見た瞬間だ。

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# 『カオスが紡ぐ夢の中で』
2010/06/12 11:17
カオスが紡ぐ夢の中で 金子邦彦 ハヤカワ文庫 2010年



複雑系研究の第一人者によるエッセイ、小説「カオス出門」「進物史観」を収録。表現形式が多彩なだけに、切り口も多彩。複雑系とは、カオスとは、いかに。

本書を何かしらのジャンルに分類することは、困難を極める。エッセイもあるけれど、小説もある。内容は複雑系やカオスになっているが、扱っている対象は、日常の出来事から物語を作り出すコンピュータまで。それでいて、「複雑系入門」「科学啓蒙書」なんてラベルを付けたら、筆者に怒られてしまうであろう(理由は本書参照)。分類不能さを楽しむことが、本書を楽しむ秘訣である。

序盤のエッセイでは、筆者と複雑系との出会いに関するエピソードも挿入しつつ、時に科学全般に関して語る。特に、欧米で流行ったものは何でも良しとして、日本の研究に注意を払わない姿勢に対する批判は痛烈。さらには、メディアや大学の研究費獲得競争に対しても、批判的な目を向ける。

後半の大部分を占める「小説 進物史観」は、物語を自動的に生成する機械と、その研究に携わる研究者達の奮闘が描かれる。もちろん、複雑系に関する話題も登場するが、人間はなぜ物語を求めるのかという哲学的なテーマ、物語の手法といった文学や批評と関連するテーマも取り上げられている、摩訶不思議な作品。

ちなみに、巻末のインタビュー形式のあとがきは、筆者が作り出した仮想のインタビュー。そして、解説は、「小説 進物史観」に出てくる、仮想の小説家(便宜的に設けられた「作者」)、円城塔。この辺りが、作者のひねくれ具合と、新たな表現に対する旺盛な好奇心を物語っている。

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# 『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法 初歩からベイズ推定まで』
2010/03/07 14:43
リスク・リテラシーが身につく統計的思考法 初歩からベイズ推定まで ゲルト・ギーゲレンツァー 吉田利子 ハヤカワ文庫 2010年



現代の世の中は、不確実なことばかり。「これをすることによるメリットとデメリットは何か」などと、リスクについて考えるべきことは多い。しかし、そのためのツールが果たしてどのくらい普及していると言えるのだろうか。本書は、豊富な事例を基に、確率的な思考法に慣れて、各人がリスクについて正しく判断できるようになることを目指したものである。

原書の副題は、How to Know When Numbers Deceive Youということで、確率的な思考法が、現代社会を生き抜く上での必須条件だと考えるのが筆者の立場。それもそのはず。本書で扱われる例は、乳癌の検診で陽性と診断されたとき実際に癌に罹っている確率、法廷で証拠として提出されたDNA鑑定が容疑者のDNAと一致したとき容疑者が犯人である確率など、まさに生きることと密接に関わった内容ばかり。高校で学習する、サイコロが、コインが、くじ引きが、などといった、実生活との結びつきの弱く、切迫性のない事項ではない。その他にも、例えば、ある治療法の効果を説明する際、「○%の減少」という説明を見たときの注意など、確率のみに限らず、数字に利用されたり踊らされたりしないように気を付けるための考え方も、しっかりと説明されている。そして、反対に人に説明するときにはどのような方法を使うべきかという注意点についても丁寧に述べられている。数字を足したり掛け合わせたりといった、ややこしい手続きを経なくとも、理解しやすい方法は存在するのだ。詳しくは省略するが、それは、具体的に1000人なり10万人の集団を想定し、具体的な人数で考える方法。この方法を用いると、アメリカ、ドイツの大学生の半分以上が、正答率9割を超えたという。

本書の随所に見られるのは、リスクを正しく説明しない(説明できない)医療従事者や、法廷の検察や弁護士、巧みに数字を利用して利益を上げようとする企業への批判である。このような指摘を見ていると、確率という分野は、数学の中で最も社会との関わりが強い分野なのではないかと思えてくる。確率を勉強することの意味は、この1冊を読むことで明らかになると言っても過言ではない。

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