音に色が見える世界 「共感覚」とは何か 岩崎純一 PHP新書 2009年
五感が完全に分断されていないゆえに、ひとつの刺激に対して様々な感覚器官が反応するのが、共感覚。例えば、本書のタイトルにあるように、ある音を聞くと、それに対応する色が見えるなど。本書は、共感覚者である筆者が、自らの経験を基に共感覚について語り、さらに、共感覚者から見た日本文化について語る本である。
本書は、全体の半分弱が共感覚という現象についての記述、残りがそれを受けての現代日本文化論となっている。筆者は、五感を分断する考え方は、近代西洋において急速に台頭した思想であり、人間本来の感覚とはかけ離れたものであると主張する。筆者によれば、子どもの多くは共感覚者であり、西洋文明でさえ、かつては共感覚的な文化が存在したのだという。もちろんのこと、明治の近代化を迎える前の日本文化においても、共感覚は一般的なものであったという。筆者は、日本の古典文学に精通しているゆえに、共感覚だからこそ理解できる、短歌・古語の深い意味を豊富な事例で解説していく。また、日本の色彩語と西洋の色彩語の比較も試みる。それらの中には、なるほどと思うことも多い。
筆者は、これらの例に基づき、西洋文明の考え方を前提にした共感覚研究は、実り多いものにはならないと警鐘を鳴らす。それは、近代西洋の常識でもって語られる研究では、人間の感覚を本質的には追求できないからである。その根拠は、まさに筆者の存在と筆者の人生そのものなのである。西洋中心的に動いている学問体系に対して、一石を投じる文章がここにある。
人間本来の性質について述べる文脈であっても、「大和民族」や「日本人古来の感覚」という言葉が並んでいるのは、若干の抵抗を感じるが、西洋の思想を無批判に受け入れてしまう傾向に対する批判は、しっかりと受け止めるべきであろう。そして、筆者が口を酸っぱくして語るように、自文化の理解を深めていく姿勢は本当に大切なことであろう。
また、筆者は共感覚ゆえに、学校の勉強での苦労も絶えなかった。共感覚的な理解の仕方と、周りの人間の理解の仕方に、質的な差があったからである。そのような苦労話を聞くと、世の中の少しでも多くの人が、共感覚に対して、単なる不思議現象としての理解ではなく、きちんとした理解を持って欲しいと思ってしまう。もちろん、自分も含めて。
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