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# 『日本語スケッチ帳』
2014/07/09 18:06
日本語スケッチ帳 田中章夫 岩波新書 2014年



言葉は生き物であり、時間とともに変化する。本書は、日本語の現在について様々なトピックを交えながら縦横無尽に語ったものである。そこにはただの誤用や勘違いという言い方では表しきれない、生きた言葉ならではの現象が溢れている。

特に外国語や古語の表現を多く引用し、外国語との比較や現代の日本語の歴史的な変遷について扱っている点が興味深い。案外、一方の専門家にとっては真新しくないような事柄であっても、他方にとっては新しい発見であったりする。この点が、諸外国の日本語学科で教鞭をとり続けた著者ならではの個性かもしれない。

本来、言語学の世界は純粋に言葉の現象を追いかける学問であって、誤用だ変だなどど言って「正しい」用法を教えようとする学問ではない。著者も説教臭く誤用に関して嘆くのではなく、あくまで現象として論じている。そのため、東京語と方言の違いや意味の変遷などの記述は大変興味深い。
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# 『あの歌詞は、なぜ心に残るのか Jポップの日本語力』
2014/02/08 11:31
あの歌詞は、なぜ心に残るのか Jポップの日本語力  山田敏弘 祥伝社新書 2014年



日本語では、助詞や助動詞が意味を伝達する上で大切な役割を担っているにもかかわらず、学校教育の過程ではそれほど大きな取り扱いがなく、個々の意味や役割について深く考えることもなく大人になった人も多いのではないだろうか。また、いわゆる「若者言葉」とでも言われるような「乱れた」日本語について、そのような表現が生まれた背景を文法的に考えてみた人はどれだけいるのだろうか。本書では、Jポップの歌詞を日本語文法という視点から分析し、表面的な見方では見逃してしまいそうな歌詞に込められた深い意味を分析しようという探究がなされる。

本書を読んでいると、たった数語である助詞や助動詞、普段何気なく使っている「~してくれる」などの表現の持つ意味の大きさ、それらが表わす深遠な意味について感嘆してしまう。文法的な分析が主であるので、各表現の意味について体系的な分析指標を得られるわけではないが、「こんな視点もあったのか」と思わされるような指摘の数々を読むにつれ、身の回りに溢れるJポップの歌詞に対する見方が変わるような気になる。

また、本筋以外であるにもかかわらず魅力的なトピックを扱っているのが全5本のコラムである。鼻濁音や特殊なルビに対する筆者の意見は興味深い。

文法を扱えば必ず出てくるのが、「間違った用法」である。ら抜き言葉をはじめ、現代を歌い上げるJポップにおいてはしばしば「今風の」言い方が用いられていて、それを誤りだとか、言葉の乱れだとか指摘するのは簡単なことである。しかし、筆者はあくまで言語学者としての立場を貫き、新しい表現が生まれる合理的な理由を追究したり、興味深い表現だという評価を下したりして、一切批判的な見方はしない。そのような立場が一貫しているからこそ、Jポップの歌詞を現代の日本語を表す鏡として、語の表す本質的な意味を考えたり、文法の果たす役割について考えたりできるのであろう。英語、日本語にかかわらず、言語教育の方法という視点からも、本書に学ぶことは多い。

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# 『辞書の仕事』
2014/02/05 11:39
辞書の仕事 増井元 岩波新書 2013年



長年、広辞苑の編集に携わってきた著者が語る辞書作成にまつわる小話集。一般には「辞書の仕事」と言われてもピンとくるものがないが、本書を読み進めていくにしたがって、その一角を垣間見ることができる。

印象に残った記述がいくつかあるのだが、その1つに二重の意味で「言葉のかがみ(鑑・鏡)」としての役割を持つ辞書の姿がある。編集部には常に、「言葉の乱れ」に関するコメントや指摘が寄せられるそうだ。辞書は正しい記述を求める拠りどころであるとともに、新しく世間に定着してきた言葉を収録するという役割も果たさないといけない。新しい言い方を「言葉の乱れ」と考えるか、言葉は変化するものとして寛容に捉えるか。また、辞書は「正しい」言葉や用法を載せることが義務なのか、そして「正しい」言葉を載せること自体は本当に可能なのか。辞典編集者としても解決のつかない問題が提示される。辞書に収録されている言葉1つ取ってみても、その裏に抱える問題に考えさせられる。

英語など外国語の辞書と比べて、日本語の辞書は語法やコロケーションの分野に弱いという指摘にも考えさせられた。例えば、筆者は「買う」という単語に購入の意味以外の用法もあり(「顰蹙を買う」など)、当たり前のように使っている「買う」の用例さえも、実は奥深いとともに、辞書にはこのような語と語のつながりを記述する必要があることを示している。英語と日本語の2つの言語では圧倒的に市場規模が異なるので、国語辞典の場合はこだわりの辞書を作っても、常に採算の問題が浮上してくる。それでも、逆引き辞典が思わぬ反響を呼んで売れるなど、まだまだ日本語の辞書も思わぬ市場を抱えている可能性は高い。現に、近年の日本語ブームからも、日本人が密かに自らの言語に対して関心を抱いているということがわかる。魅力的な辞書が生まれ、評価される土台は整いつつあるのではないだろうか

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# 『日本語ウォッチング』
2010/03/18 22:34
日本語ウォッチング 井上史雄 岩波新書 1998年



日本語は、乱れているのだろうか。「乱れ」として騒がれている言い方、用法をよく調べてみることで、驚くべき法則性が見つかったり、地方と東京との間を行き交う言葉の変化のダイナミズムを観察することもできる。本書は近年(1998年当時)話題になっている新しい言葉について、「乱れ」とは異なった視点で分析を試みる。

タイトルの通り、本書の立場はあくまで「ウォッチング」である。日本語の変化を嘆くことのではなく、変化の裏に潜む思わぬ法則や、長い時間の中で見た日本語の変遷過程について考察を巡らせることが、目的である。例えば、ら抜き言葉を、1000年の時を経て日本語が変化する過程として説明している第1章。日本語の動詞の活用が合理的になっていく様子、助動詞の意味の識別に関する問題などと関連させ、大きな流れを示している。第7章で取り上げられるアクセントの平板化も、発音の仕方を楽にしたり、アクセントの位置を個別に覚える必要をなくすという観点から見れば、合理化への道を辿っている現象だという。

また、本書で随所に紹介されているのが、地方の方言が東京に流入する「逆流」現象である。東京の言葉が標準語としての威力を持って地方へと拡大していくという考え方が一般的であろう。しかし、実際には地方の方言を東京の者が聞き、使うことによって、気付かぬ間にじわじわと方言の言葉や用法が浸透していくことが起こっているのである。「~じゃん」は静岡、「~っしょ」は北海道の出身だという。

さて、本書発売から10年が経過した現在、日本語の現状はどうだろうか。私の印象としては、本書で紹介されているような変化については、かなり浸透してきたと思う。その一方で、変化を拒む保守的な動きもむしろ強まったのではないかという印象がある。近年、日本語に関する書籍が一大ブームとなっている。その背景には、日本語に対する関心の高まりのみならず、「正しい日本語」を使いたいという欲求と、日本語の変化を嘆く風潮もあるのだろう。本書はそのような時代の流れの中でこそ、読む価値のある本だと思う。そもそも「正しい日本語」とは何か。日本語の変化の裏にある意味とは何か。このような疑問について考えてみることで、日本語について冷静に考えることができるのではないだろうか。現代に必要なのは、漠然とした概念である「美しい日本語」を追い求めて翻弄されることではなく、日本語を一歩離れて見つめる「ウォッチング」の姿勢だ。

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