忍者ブログ
# [PR]
2024/04/30 00:09
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


CATEGORY [ ]
pagetop
# 『キャラクター小説の作り方』
2016/12/26 13:35
キャラクター小説の作り方 大塚英志 星海社新書 2013年



まだ「ラノベ」という言葉が登場していない時代、筆者はそれを「スニーカー文庫のような小説」あるいは「キャラクター小説」と呼んだ。そして、前半はラノベ業界志望者に対して、しっかりとした作品を書くためのノウハウ(例えば、キャラクター設定とストーリのかみ合わせ方や物語の法則)を教え、後半に行けば行くほど、ラノベが文学の世界に対して持つ可能性について語っていく。

ラノベ批判に対する筆者なりの反論を試みたり、現代小説における「私小説」という概念へ疑問を呈してみたりと、後半の展開はなかなかに興味深い。また、やや唐突に語られた、イラク戦争とハリウッド映画の物語論とは同じ物語構造を持っているという分析からは、文学や芸術という分野が社会に与える影響について無自覚ではいられないという強いメッセージが感じられる。

徐々にだが、ラノベと一般文芸との境界は薄くなり、現在その両方を行き来できる評論家も増えてきたのではないだろうか。それでもまだ、2つの世界には上下関係があるように思う。それゆえの自由でアンダーグラウンドな雰囲気がラノベの魅力なのかもしれないが、ラノベが不当な評価を受けないように、発信し語る言葉をラノベ読者が身につけていくのが大切なのかもしれない。
PR

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『本当はひどかった昔の日本―古典文学で知るしたたかな日本人―』
2016/10/23 22:32
本当はひどかった昔の日本―古典文学で知るしたたかな日本人― 大塚ひかり 新潮文庫 2016年



「昔の日本は素晴らしかった。それなのに、現代の日本と言えば…」と言われることは多いが、本当にそうなのであろうかと、古典文学を紐解きながら意義を唱える本である。なんてことはない。古典文学に描かれている時代であっても、育児放棄や殺人はあった。また、現代以上に弱者に否定的で、女性に対する見た目重視発言が許されてもいたのだ。およそ現代人が考え得る残酷な事件や問題は、過去の時点で既に存在していたというのが、筆者の意見。読むと単純なノスタルジーに浸ることがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、実感できる。

しかし、本書の魅力はそこだけではない。解説を書いている清水義範氏も言うように、古典作品から現代を考えるというのが本書のメインテーマであっても、語りの中に古典文学の魅力がしっかりと取り入れられていて、自然と読者が古典文学に興味を持つように書かれているのだ。

こんな文章を高校時代に読んでいたら、古典文学の魅力に気付けただろうなという思いを抱いた。でも、思春期に扱うにしては、内容がアダルトだったりヘビーだったり繊細だったりな気もするし、仕方がないか。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『ストーリーメーカー 創作のための物語論』
2016/08/28 13:11
ストーリーメーカー 創作のための物語論 大塚英志 星海社新書 2013年



物語が物語たり得るには、物語としてのパターンを備えている必要がある。それがなければ、物語は破綻しているように見られてしまう。では、そのパターンと呼ばれるものは、作家の専売特許かと言うと、そうではないとするのが本書の立場である。物語には一定のパターンがあり、それは誰でも習得可能なものであると筆者は言う。物語のパターン、すなわち物語文法を使って、実際に物語を制作してみようというのが本書である。

帯には「読むな、使え。」の文章があり、これはあくまでも何かしらの作品を書きたいと願う人間を読者として想定し、また、そのような人間に実践しながら利用してほしいという意図のもとに書かれたものである。だから、そうでない人間が読むだけで終わらせてしまうのは、筆者の願いとはかけ離れた利用法で恐縮なのだが、本書は物語論入門書として非常に興味深く読めるものなのだ。構造主義的な思想から生まれてきた物語形態学や、精神分析の分野から出てきた神話の分析など、思想の背景や形は違えど、これらの物語論は、大きな枠組みにおいては一致している。そして、このような物語の類型法を知っていると、文学作品から宮崎アニメ、ハリウッドに至るまで、多くのエンターテインメント作品が物語文法に忠実に従っていることがわかる。後半の実践編では、実際に物語文法を使って物語を書いてみようと試みた学生の物語創作の過程もわかって興味深い。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『オタク女子研究 腐女子思想大系』
2016/06/14 05:17
オタク女子研究 腐女子思想大系 杉浦由美子 原書房 2006年



オタクと言えば、秋葉原、そしてそこに集まる熱狂的な男性を連想する人が多いが、それに負けずとも劣らない一大勢力を誇っているのが女性のオタク、腐女子である。しかし、女性のオタクは男性のオタクと比べてメディアへの露出が少なかったり、一見してわかるような見た目をしているわけでもない。普通に働いて普通に恋愛もする女性オタクの実態に迫った本。

男性との比較の中で浮き彫りになる女性オタクの生活、思想が見えてくる点が興味深い。現実の女性に幻滅して2次元の世界に走る男性オタクに比べて、女性の場合は萌えと恋愛は別腹と考えるという。また、女性の場合、仕事をする以上は一定水準以上のおしゃれを求められるがゆえに、極端にダサい恰好はできず、見た目からしてオタクっぽいと思わせる人はいないそうだ。なるほどなと思った。そして、腐女子を語る上では避けられない話題である性や恋愛に関する鋭い分析眼にはうならされる。

活字好きで教養豊かな面や、恋愛至上主義に異を唱える姿勢など、腐女子の実態をある意味魅力的に描いた本書から得られる新たな視点は多い。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『病む女はなぜ村上春樹を読むか』
2014/12/31 06:02
病む女はなぜ村上春樹を読むか 小谷野敦 ベスト新書 2014年



村上春樹をめぐっては、狂信的なファンがいる一方、到底受け入れられないという人もいて、両者の間に深い溝があるように思う。本書は、ファンにとっては嫌な、アンチにとっては軽快な村上春樹論である。

実際のところタイトルの答えとなるような話はあまりないような気がする。主に展開されるのは純文学と通俗小説の違いについての論考である。その他、精神を病むということのファッション化、村上春樹作品の俗物性などのテーマが語られる。それでも、村上春樹作品に対して何らかの違和感を覚える人にとっては、その違和感の正体を知る手がかりは得られるのではないだろうか。特に、村上春樹を特別視するような見方をことごとく打ち砕いていく展開は面白い。

主人公の男達は女性にもて、女性は都合よく主人公と寝るといったことは、フェミニズムの視点からよく語られる批判である。本書はさらに一歩踏み込み、村上春樹をこよなく愛する女性の精神性について語ったのが興味深いところ。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『女子読みのススメ』
2014/04/02 12:38
女子読みのススメ 貴戸理恵 岩波ジュニア新書 2013年



若手の女性の書き手による、女性が主人公の小説を、女性の目線で読み解くことをテーマにした本。特に、思春期の生きづらさに焦点が当てられていて、行き場のない思いに悩む者に生きるヒントを与えてくれそうな小説を紹介してくれる。

多感な思春期には、大人や社会に反感を抱いたり、絶望的なまでの孤独感に苛まれたりすることが多々ある。そんな時に支えとなってくれるのが、自らと同じ気持ちを発信している歌であり、ブログであり、小説であるのではないだろうか。一般に、中高生に対しては名作との誉れの高い古典的な純文学を読むことが奨励され、友情に感動した、表現に感動しただとか、何かしらの感動を強要されることがあるように思う。本作で取り上げられる小説は、必ずしも学校の先生が胸を張って薦めるような類の作品ではないかもしれないが、その分思春期の悩める世代にとってはまたとない大きな出会いとなる可能性を秘めた作品ばかりだ。

思春期を生きる中高生よ、真面目な大人が薦めてくる本にうんざりして、読書嫌いになってしまったのなら、是非本書を手に取り、取り上げられている小説を読んでみてはどうだろうか。本を読む素晴らしさを感じられると思う。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 『ドラえもん』の現実』
2014/02/23 23:14
源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 『ドラえもん』の現実 中川右介 PHP新書 2014年



ドラえもんを切り口にすると、実に多様な問題について考えることができる。しずかちゃんという存在はフェミニズムの問題とは切っても切れない縁があるし、のび太はスクールカーストの最下層に位置する人間であろう。作品の舞台となる郊外は、どんな意味を持っているのか。こういった社会学的な議論はもちろん、ジャイアンとスネ夫の関係を国内や国外の政治世界に当てはめてみたり、ドラえもんの作品構造について分析してみたりと、縦横無尽にドラえもんという作品について語った本。

中でも特に驚いたのは、小学館の学年誌におけるドラえもんの描き方である。作者の藤子・F・不二雄は、それぞれの年代が幼稚園から小学校と学年を経ていくのに合わせて描いていたというのだ。すなわち、小学校1年生向けには、小学校1年生に相応しい考え方や性格ののび太が登場し、読者の学年が上がるにつれてのび太の年齢も上がり、話題も社会的・科学的に高度になるように描いていたのだ。特に初期の頃の作品では、『小学六年生』の3月号には、のび太もこれから中学校に上がるかのような記述があったという。アニメやコミックスでおなじみの、ずっと小学4年生か5年生のままであるのび太とは異なるのび太が描かれていたのだ。しかも、それを使い回さずに各年代が各学年で異なったストーリーを読めるように配慮したというのだから、驚きである。年代によって学年誌で読んできたドラえもんが皆違うのだ。現代の作家でここまでのことができる人間はいないであろう。

慣れ親しんだ物語に新たな見方が与えられ、また久々にドラえもんを読んでみたくなった。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』
2014/01/15 00:01
これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学 マイケル・サンデル(著)鬼澤忍(訳) ハヤカワ文庫 2011年



日本に哲学ブームを巻き起こした火付け役である、マイケル・サンデル教授のベストセラー著作。身近な話題から入り、いつの間にか現代社会が抱える問題の核心へと誘う構成の巧みさ、様々な哲学的思索に対する切れ味の鋭い考察が魅力である。

哲学思想を歴史的な文脈で辿るのではなく、「正義」ということについて考えるのに必要な順序で辿ることによって、各立場の利点や問題点が詳らかになっていく。読み進めるにつれて、なぜ各思想がその順で紹介されていたのかがわかっていき、著者の構成の巧みさに唸らされるばかりであった。身近な問題から始めていくが、論点はどんどん深くなっていき、思想を体系付けて理解できる。最終的には、公共の正義とは何であるかという、未だはっきりとした答えの出ていない問題について考えることになる。

主にアメリカやイギリスの社会で起こった問題が具体例として挙がっていくが、日本とて、それらの問題からは無関心ではいられない。富の格差は許されるのか、お金を払うことで兵役が免除されても良いのか、アファーマティブ・アクションの是非、同性愛の結婚、戦争責任といった問題が、議論を深めていけば、必ずや誰もに関わる問題となることがよくわかる。現代を語るために、本書で語られた視点は無視できない。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか? テレビドラマと日本人の記憶』
2011/01/14 17:01
なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか? テレビドラマと日本人の記憶 中町綾子 メディアファクトリー新書 2010年



薄暗い取調室。なかなか自供しない容疑者。刑事は、故郷の母親の話をし、容疑者を揺さぶる。容疑者は心を打たれ、自らの罪を認める。刑事はそっと、カツ丼を差し出す… こんな表現は、一体どこから生まれたのか? そんな素朴な疑問を持ったことはないだろうか。他にも、勤務の初日に遅刻する教師、雨の中愛を叫ぶ男女など、ドラマの定番と言えるようなシーンは枚挙にいとまがない。日常生活においては決して「定番」とは言えないようなこれらのシーンは、私たちに何を語りかけているのだろうか。過去から現在の様々なテレビドラマにおける名シーンを取り上げ、その表現が持つ意味について探った本。

本書のタイトルからは、本書が刑事ドラマとカツ丼の関係について詳細に検討した本のような印象を受けてしまうかもしれない。しかし、実際それは一部であって、様々なドラマのシーンが紹介されているのだ。

筆者による定番表現の分析から見えるものは、主に脚本論に通じそうなものだ。例えば、カメラの角度を意識すると、食卓の1席は必ず空いていないといけないことは、言われてみればなるほどという点であった。また、批評理論的な分析もある。一見類似点など無いように思えるドラマにも、話の展開パターンに共通性があることが、筆者の繰り出す数多の例からよくわかる。ドラマの見方が変わる本だ。

メディア論はもちろん、文学論、文化論、社会論にも通じる視点に満ちた、わくわくする良書だ。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]TRACKBACK [ ]
pagetop
# 『差別と向き合うマンガたち』
2010/09/02 14:41
差別と向き合うマンガたち 吉村和真・田中聡・表智之 臨川書店 2007年



漫画という表現媒体には、差別について語る格好のトピックスが溢れている。漫画表現そのもの、漫画における歴史描写、現代思想との関連について、3人の著者がそれぞれの見解を語る。

「この漫画には、このような差別表現がある」などと言うのは簡単だが、漫画と差別の関係は、それほど単純なものではない。漫画表現とは、差異やステレオタイプを巧みに用いることで、限られたスペースに最大限の情報を盛り込もうとするからだ。その意味で、漫画と差別には切っても切れない縁がある。

漫画の中で、背が低く、足の短いキャラクターは、どんな性格として描かれているのか?方言を話す登場人物の位置づけは?黒人の描写の仕方は?そのようなステレオタイプを用いずにして漫画を描くことは可能なのか?筆者の意図しないところで差別表現が問題になったとき、誰がどのようにして問題を解決するべきなのか?一筋縄ではいかない問題が潜んでいるのがよくわかる。

漫画が日本と世界を結ぶキーワードとして盛り上がりだしている現在、差別表現の問題は、ますます重みを増してきている。単なる漫画好きが、偶然差別問題について少々の関心を持って、本書を手に取る場合、差別問題に関心の高い人が、普段あまり読まない漫画という世界の差別問題を考えてみたい場合の、どちらにも対応できるであろう書籍だ。差別と漫画の両者が接点を持つことは、真の「クール・ジャパン」を追求するためにも有益であろう。

表現とは何か、どうあるべきかという広漠とした疑問を、本書は随所で投げかける。表現という人間の根本的な営みについて考える材料にもなる。

CATEGORY [ 哲学・文学・文化 ] COMMENT [ 0 ]TRACKBACK [ ]
pagetop
| HOME |NEXT

忍者ブログ [PR]