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# 『桐島、部活やめるってよ』
2017/01/15 16:42
桐島、部活やめるってよ 朝井リョウ  集英社 2010年



スクールカーストを描いた作品として有名になり、映画化もされた本作。タイトルにもなっている「桐島」という人物は、地方の進学校でバレー部の主将を務める生徒で、その桐島がバレー部を辞めることによって大小何らかの影響を受けた5人の高校2年生達それぞれの物語が作品を紡いでいる。物語の中で、桐島は一切直接的には登場せず、各々の人物の頭の中にだけ現れる。

作品の中で描かれる高校2年生の5人は、それぞれ同じクラスに所属しているが、部活が違えば属するカーストも違う。そして、それぞれが自分なりの高校生活を謳歌している部分と、言葉にし難い負の感情を抱えて生きている。下の人間が、当たり前のように上の人間から受ける手厳しい仕打ちに憤りを感じつつも自分なりの道を進もうとする描写があれば、欲しいものすべてを手に入れているように見える上の人間がふと感じる、得も言われぬ空虚な気持ちも描かれる。

世の中に対する一種の諦めや、人間関係を器用にこなしていくだけの力がないのに、周囲の大人達からは、「未知の無限の可能性」を説かれ、どこか生きづらさを感じながら日々を過ごすのが高校生達だ。彼らの感性が、これでもかというほどに刻まれた筆致に、学校という周囲から閉ざされた小社会で生きていく上で抱えるチクチクとした感情を抱かずにはいられない。
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# 『少女には向かない職業』
2016/11/26 16:32
少女には向かない職業 桜庭一樹 創元推理文庫 2007年



山口県下関市の沖合に浮かぶ島を舞台に、中学2年生の少女2人過ごした夏休みから大晦日までを描いた物語。その期間に、2人は2度殺人を犯す。島という狭い世界に閉じ込められ、DV父親と自分のことを気に掛けてくれない母親のいる家に育つ大西葵は、まだ自立して家を飛び出せるわけでもなく、閉塞感に満ちた思いとともに日々を暮らしていた。そんな葵が夏休みに仲良くなったのは、地元の名だたる家柄育ちの宮乃下静香だった。そして、葵と静香は引き返せない犯罪者の道へと歩んでいくのだった。

田舎の中学生女子を描いたら天下一品という評価の桜庭一樹による名作だ。世の中において最も非力な立場にあるのが、非成人女性である。それゆえに、社会の矛盾といった目をつぶりたくなるような現実からの皺寄せを最も受けるのも彼女達である。悲痛な叫びを声にも出せない彼女達が選んだ結果が殺人という犯罪であった。1度目の殺人は葵の父親、2度目の殺人は静香の育ての親と、肉親に向かって怒りの刃を向ける彼女達は、社会的には到底許されない罪を犯すわけだが、出口のない迷路を彷徨うような思春期の不安定で行き場のない思いを綴った表現に、共感したり、かつての自らの思春期に引き戻されたような感覚を持つ人は多いのではないかと思う。

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# 『推定少女』
2016/08/08 17:06
推定少女 桜庭一樹 角川文庫 2008年



大人であれば誰もが持っていた、思春期の感情。大人への反感や、自分が生きる社会への不満と不安を持ち、身近な友人関係にも気を遣って生きる。そんな時期の気持ちをふと思い出したくなる時に読むのが、この本である。

主人公の巣籠カナは北関東に暮らし、高校受験を控えて胸の内に将来への不安を抱えながらも日々を漫然と過ごしていた。ところが、突如父親殺しの疑いがかけられたと思ったカナは、家を出て逃走する。その途中で出会った謎の少女、白雪とともに秋葉原に逃亡し、謎の追手から逃げる。逃亡の過程で、2人は友情を深めていくのだった。

本書には、新春期の頃に感じる、あの不安や反抗心が本当に鮮やかに描かれていて、心が揺さぶられる。一方的に大人の価値観を押し付けてくる大人のことはもちろん嫌いだが、かといって、「あなたの気持ちはよくわかる」と言って近づいてくる大人も嫌い。そんな思いが滲み出てくる描写に触れるたび、自分がまさに新春期を過ごしている時に、この本に出会えていればなあと思ってしまうのだ。

私が特に好きなのは、逃亡中のカナ達の姿を見て、「楽しそうで、悩み事なんてなくて」と形容した20歳くらいの女性に対して、白雪が「15歳だったときの自分に」謝るようにと詰め寄る場面だ。人間誰しも、今が大変で辛いと思ってしまうもので、あの頃の苦しみも、やがては薄れてしまう。カナ達は誓う。あの頃の自分の感性を忘れることなく生きていこうと。これは15歳の決意であると同時に、大人に対する「あの頃を忘れないで」というメッセージでもあると捉えている。

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# 『舟を編む』
2015/03/31 11:50
舟を編む 三浦しをん 光文社文庫 2015年



出版社、玄武書房の冴えない営業部員である馬締光也は、言葉への鋭いセンスと辞書作りに必要な資質を買われ、辞書編集部に引き抜かれ、新しい辞書『大渡海』の編集を任される。ここから、15年にもわたる彼と編集部の面々の航海が始まる。

言わずと知れた本屋大賞受賞作で、映画化もされた。なかなか普通の人には知ることのできない辞書編纂の現場を舞台に、そこに関わる人々の個人個人の思いや情熱を描いた人間ドラマである。

この物語には、3人の主人公がいる。まず、物語の中心となる真面目で辞書編集者としての才能に溢れた馬締、チャラ男で仕事はそつなくこなせるが、熱中するのものが見つけられない西岡、そして華の女性ファッション誌編集から一転して辞書編集部に異動されてきた若手女性社員の岸辺である。その3人は、いずれもそれぞれのやり方で辞書製作にやりがいを見出し、自分の居場所や生きる道(多くは恋愛絡みだが)を見つけていくのだった。まったく異なった性格と経歴の3人なのだが、辞書編集部に配属されたのをきっかけにして、辞書作りに惹かれていく姿に、人生の面白さを感じる。

辞書編纂に関する描写も、それをよく知らない人間から見るととても新鮮である。語釈や掲載する語の選択、辞書の紙質など、1冊の辞書が作られる背景にはこんなにも様々なことが時間をかけて検討され、製作者の思いが込められているのだと圧倒される。

辞書は普通、「調べる」ために使うものではあるが、本書をきっかけに辞書を「読む」ということをしてみたくなった。

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# 『赤朽葉家の伝説』
2010/12/19 11:56
赤朽葉家の伝説 桜庭一樹 創元推理文庫 2010年



鳥取県の紅緑村にある赤朽葉製鉄。地域に多くの雇用を生み出す巨大な企業。その本家に嫁ぐことが急に決まった万葉、その娘の毛毬、そのまた娘の瞳子の3代にわたって語られる、赤朽葉家の物語。

本書は、3部構成から成る。第1部は、1940年代前半に生まれ、日本の戦後の復興と高度経済成長の時代を目の当たりにすることになる万葉の視点で語られる。続く第2部では、1960年代の後半に生まれ、若者の不良文化の真っ只中を生きることになる毛毬が主人公となる。そして、最後の第3部では、平成の世に生まれた瞳子が未来へと向かいつつある赤朽葉家を語り、この物語は終わる。

第1部は時代小説の様相を呈していて、日本の戦後の復興と高度経済成長と重なるようにして、赤朽葉製鉄の発展が描かれる。日本国内の数々の出来事が、まるで会社の命運を左右しているかのように、密接に関連している。この時代を生きた人間にとっては懐かしさを感じさせるような物語であり、この時代を知らない読者にとっては、ある地方の企業から見た具体的な日本の現代史という意味合いを持った物語であろう。そこに、マジックリアリズム的な要素が良いスパイスを加えている。

第2部は、いわゆるレディースを主人公にした物語。中学生のときから不良文化に触れ、高校進学後には中国地方の制覇を達成する毛毬。たびたび出てくる「ユートピア」という言葉に代表されるように、徐々に社会が持つ意味、社会が人々に与える影響が薄れてきている様子を見事に描き出している。「巨と虚の時代」と名付けられた通り、バブルに踊らさせる日本社会と、その裏で確実に迫っていた先行き不透明な社会、大人の価値観に反抗して生きる不良文化が同時並行する社会情勢が丁寧に描かれる。

第3部は、平成生まれの今どきの若者である瞳子を主人公に据え、赤朽葉万葉が死ぬ間際に残した言葉の意味を探る推理ものとしての正確も帯びた部分である。これまでの桜庭作品に多かった、地方という閉鎖された空間に暮らす少女を主人公にする設定が活かされている。このように、時代の変遷を軸に、個人と社会との関係、社会と個人との関係を見事に描ききっている。世代を追うごとに、徐々に薄れていく社会とのつながりを象徴するような場面が次々と登場する。

また、途中から赤朽葉家は、時代の波に飲み込まれてしまった者達がそれとなく居候する空間へと変化していく。引きこもりとして描かれる、毛毬の弟の孤独、不良から漫画家に転身した毛毬の編集者の蘇峰、いじめっ子で後に毛毬と和解した黒菱みどり… もはや血縁という条件をも超えた人々が集う空間となった赤朽葉家。地方にある旧家という、ある意味で最も保守的とも言えるような場所で、時代の先端を行くような生活が営まれている。そんな皮肉を垣間見られる小説でもある。

とにかく、1冊の中に色々なものがぎっしりと詰まった小説で、物語世界にぐいぐいと引き込んでいく威力を感じずにはいられなかった。

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# 『不動カリンは一切動ぜず』
2010/11/23 16:02
不動カリンは一切動ぜず 森田季節 ハヤカワ文庫 2010年



中学生の不動火輪と滝口兎譚は、ある日学校の授業の自由課題で小学校の遠足中に起きたバス転落事故の謎を追う。しかし、その裏にはとんでもない事実が隠されていて… 2人の友情(そして愛情)を軸に、回る物語。

2人が冒険を繰り広げる舞台は、実験的な要素に溢れている。人間の間にHRVという病気が蔓延し、すべての人間は基本的に人工授精によってのみ誕生する。人間は、自らの思念を空中に浮かぶ媒介点によって、言葉に出さずに伝えられる。抑圧された性が逃げ込むところとして生まれてくる腹子(親の胎内から生まれる子ども)が、社会の禁忌になっている。第一部の書き出し、「わたし、パパのお腹から生まれてないよね?」からして、本作の不思議な雰囲気がわかる。

行方不明になる兎譚、国からの命に従って動く吉野八咫、謎の宗教団体、無欲会の幹部である小池言虎の思惑、バス転落事故など、すべての謎が徐々に接近し、結末に向かう展開は、手に汗握るもの。

本作において、宗教は重要なテーマの1つであろう。政治に大きな影響を与えながらも思想に溺れた人物に対して、神にすがり自分の世界に閉じ籠っているにすぎないと喝破する主人公の勇ましい姿が描かれる一方で、当の主人公は不動明王と合一化するという偉業を成し遂げ、嘘の神と本当の神を区別するという矛盾も生じている。宗教というテーマは、消化不良のまま終わっている感も否めない。

SFの要素も入った独特の世界が、本作最大の魅力であろう。独特の世界観を持った舞台の下、同時並行で進む様々な思惑の行方を気にしつつ、ページをめくり続けた。

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# 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
2010/07/03 16:05
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 ダイヤモンド社 2009年



まさにタイトルのごとく、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読み、その内容を野球部の運営に活かしたら、どうなるのかを仮定して描いた物語。都立程久保高校に通う川島みなみは、野球部のマネージャーを務める親友の宮田夕紀が入院したことをきっかけに、2年生の途中から野球部のマネージャーに就任。『マネジメント』の記述を参考にしながら、部員達を甲子園へと導くべく奮闘する。

経営学、マネジメントという言葉を聞いて即思い浮かべるのは、企業の経営や戦略といったところであろう。しかし、本書はその考え方が間違っているということを示してくれる。マネジメントとは、人が集まるところ、組織があるところにおいて、どうすれば皆が満足しつつ、全体としての成果を得られるかという課題について考えることなのだということが、ひしひしと伝わってくる。人がいるところにマネジメントありなのだ。だから、部活という非営利団体にも、マネジメントの理論は当てはまる。

この部活という材料こそが、本書の肝である。部活は、中学校・高校で誰もが1度くらいは経験した可能性が高いゆえに、企業の経営といった材料と比べて、非常に親近感を感じられる。だから、社会に出たことのない高校生や大学生でも、大いに楽しめるのだ。また、野球部が甲子園に挑戦するという設定自体、多分に青春小説の要素を含んでいる。マネジメントと高校野球という2つのテーマをうまく組み合わせた筆者のセンスには脱帽である。

組織というものには、人を幸せにする面もあれば、人を悩ませる面もある。組織の中に自分の存在意義を見いだせずに、やり場のない思いを抱く人もいるし、苦手な人がいて、何となく人付き合いを敬遠してしまう人もいるであろう。本書から滲み出てくるのは、人と人が繋がって組織ができることによって得られる喜びや、生きがいである。マネージャー、野球部員、監督の交流を通して、組織の中で自分の役割を発揮し、責任感を持ち、結果を出していくことの素晴らしさを疑似体験することができる。

もちろん、うまくいき過ぎだという批判もあろう。選手がやる気を出し、目に見える結果が現れ、作戦が奏功し… しかし、組織は変わるということ、不可能が可能になる奇跡が起こることは、ワールドカップ南アフリカ大会での日本代表の戦いを見て、誰もが心の中で思ったことではないだろうか。そんなこともあるかもしれないと思わせるリアリティは維持する。作者のさじ加減の見事さが、ここにはある。

本書を野球本として読んでも、興味深い。程久保高校野球部が採用した作戦の一部は、セーバーメトリックスという、野球を統計的に分析して、戦略や選手選びを考える取り組みの提案と一致する。送りバントの禁止、ボール球を振らないで球数を稼がせるという作戦は、その代表格である。程久保高校が採用した作戦は、決して突飛なものでもないのだ。もちろん、盗塁の推進という面など、セイバーメトリックスの提案と反対の作戦もあることにも注意。野球本としての評価も気になる。


★リンク★
「もしドラ」公式HP

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# 『私の男』
2010/05/18 21:17
私の男 桜庭一樹 文春文庫 2010年



24歳の腐野花の養父は、16歳年上の男、腐野淳悟。めでたく結婚することになった花は、父親と離れてしまうことに不安を覚える。父娘の関係というよりは、年の離れた恋人のように見える2人の秘密とは。父と娘の15年に亘る関係を描いた作品。第138回直木賞受賞作。

物語は現在から徐々に過去へと遡っていく。その過程で、愛に飢えた2人の禁断の関係が紐解かれていく。生々しくも、どこか空虚な悲しさも感じられる物語。父と娘の物語であり、謎解きでもある。合計4人の視点から描かれた断片が、やがて1つの絵を作り上げる。

なぜ、「お父さん」や「淳悟」ではなく、「私の男」なのか。一体淳悟は何を考えているのか。「家族」というものがわからずに出会った2人にとって、2人の禁断の関係は必然だったのか。それとも、他に方法はなかったのか。お互い堕ちていくことを自覚しつつも、互いを求め合う2人の未来はどうなるのか。この辺りが読者としての検討課題か。

物語の主役である「腐野花」というネーミングセンスは、作者を広く世に知らしめることになった作品である『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の悲劇のヒロイン「海野藻屑」を彷彿とさせる。以前の作品を知る人は、そんなところで楽しむことができるかもしれない。

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# 『太郎が恋をする頃までには…』
2010/02/28 21:30
太郎が恋をする頃までには… 栗原美和子 幻冬舎文庫 2010年



持ち前の負けん気を武器に、アナウンサー採用でもないのにキャスターの地位まで登りつめ、仕事に恋に充実した日々を過ごし、40歳を向かえた五十嵐今日子。世間からは絶対に結婚しない女とまで言われるに至っていた彼女が、突如結婚を宣言することになる。その相手は被差別部落の出身者であった。今日子はそんなことは一切気にしないという立場を貫き、結婚を決めた。しかし、家族や世間の壁にぶつかり、2人は悩む。そこで2人が辿り着いた結論とは…
タブーと言われる世界を鮮やかに、そして哀しく描写した意欲作。

表向きには華やかな印象を持たれながらも、これまで心の奥底に寂しさを抱えながら生きてきた女性が、心に烈しさを持った男性に惹かれる。そして、結婚に至る。初めの部分はそのような恋愛小説に過ぎない。しかし、今日子の結婚後、事態は変化し、部落出身者の差別という現実が重みを増して主人公達にのしかかってくる展開となる。差別を受けた者の苦しみ、新郎新婦それぞれの家族の問題、その親戚の問題、その背後にある現代日本社会の問題。壁は次々と現れ、容易には突破できない。
どんなに相手のことを想っていても、相手を傷つけることになってしまうこともある。しかも、その要因は、家族、親戚、そして社会へとつながる構造の中で形成されたもので、とても2人だけで乗り越えられる問題ではない。根底にあるのは、本文中でも何回か出てくる、「理屈では説明できない人間の感情」である。だからこそ、問題の根は深い。

本書は、もちろん、それ以外の要素も詰まっている。仕事に恋に、一流であり続けている女性の結婚に関する問題、働く女性と出産の問題、主人公が最後まで克服できなかったエレクトラ・コンプレックスなど。しかし、主眼となるのは、やはり日本社会に根強く生き残る差別の実態であろう。ネタバレになってしまうので、詳しくは書かないが、作者のあとがきでは、それがひしひしと伝わる。

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# 『ドロップ』
2009/12/08 16:12
ドロップ 品川ヒロシ リトルモア 2006年



信濃川ヒロシは、小学校時代は優秀な成績を修め、全寮制の私立中学へ進学する。しかし、親元を離れたことによって生活は怠惰になり、学校の勉強はサボっていた。高校受験をしたいという口実を繕い、ヒロシは地元の公立中学への転入を決める。転校してすぐ、ヒロシはその学校では名の知れた不良に呼び出された。そこで根性焼きを見せたヒロシは、達也、森木、山崎ら不良の仲間に入り、中学校生活を送ることになる。ヒロシは持ち前のしゃべりで周りを笑わせる役を担い、喧嘩はそれほど強くなくとも、仲間との関係を維持し続けた。高校に入学するも、中学校の頃と変わらぬ素行を見せ、退学になる。兄のように慕っていたヒデ君の死をきっかけに、地元の不良仲間と別れることを決める。文体は、三人称でありながら、主人公ヒロシの心情を時折混ぜながら展開するという形式になっている。

読んでいて思うことは、不良をやるのにも、並外れたパワーが必要であるということである。憧れの不良となったヒロシは、必死になって不良の道を歩もうとするが、どこかその世界にどっぷり浸かることができない。食うか食われるか、すなわち、いじめるかいじめられるかの二択のみが存在する世界に飛び込んだヒロシは、どこか自分の矛盾を感じながら、食う側になることを決め、周りの仲間に流されつつ、日々を過ごしていた。けれども、親への反抗から、親の前では弱い自分を見せないように、暴言を吐く。一方、元不良というヒデ君や、暴走族入りを決めた赤城は、非常に礼儀正しい一面を持ち、自分の将来に対する考え方も、思いの外真面目だ。ヒロシはいつしか、不良としての体裁を保つことに精一杯になり、自分の将来について真面目に考えることから逃げ出していた。それを悟ったヒロシが、少し前に進もうとしたところで締めくくられるストーリーは、青春ものとして感動的である。
とはいっても、物語の中で、ヒロシは最後まで母親に対する謝罪と感謝の気持ちも持つには至らなかった。少し遅れた思春期の反抗期を迎えたヒロシにとって、母親の存在をストレートに受け入れることはできなかった。そこには、まだまだ幼いヒロシの心情が滲み出る。

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