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# 『歴史は「べき乗則」で動く』
2009/12/28 15:26
歴史は「べき乗則」で動く マーク・ブキャナン 水谷淳訳 ハヤカワ文庫 2009年



大地震と小さな地震には、その原因に本質的な違いがあるのだろうか。大地震は予測できるのだろうか。これらの質問に対する答えは、いずれも「ノー」である。大地震には、典型的な周期など存在しないし、大きな地震も小さな地震も、原因は同じであるのだ。では、このような現象にはまったく規則が見当たらないのだろうか。実は、地震の規模とそれが起こる確率を2次元平面に表現すると、綺麗なグラフが現れる。例えば、地震の規模が2倍になると、その地震が起こる確率は4分の1になるというデータがある。このような規則を「べき乗則」と呼ぶ。この法則は、地震に限らず、一見何の規則もないように思える現象を説明する力を持っている。山火事の広がり具合、生物種の大量絶滅、株式の暴落などは、べき乗則の例である。では、人類の歴史もべき乗則で説明がつくのだろうか。本書は、べき乗則を解説した後、人間社会に存在する現象にべき乗則を適用する道を探る。

非常に興味深い本。まったく規則性がないように見える現象に対して、規則を見つけ出す可能性を提供するのが、べき乗則。科学的な事象を読み取るという視点からも面白く読むことができるが、物の見方という視点からも楽しめる。人間は、大事件の裏には何かしらの特別な原因が潜んでいると思いがちである。しかし、実際は特別な原因などなく、小さな出来事の積み重なりが大きな結果につながったに過ぎないということもあり得るのだ。物事を冷静に見極めるとはどのようなことなのか、考えさせられる。巻末の解説も良い。本編の内容を補うように、格差社会の例など、日常に溢れるべき乗則について語られている。
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# 『シュレディンガーの猫は元気か』
2009/12/02 21:47
シュレディンガーの猫は元気か 橋元淳一郎 ハヤカワ文庫 1994年



著者の独断と偏見に基づいた視点で選ばれた、科学誌ScienceとNatureの論文の論文のトピックを中心に、科学について縦横無尽に語った本。選考の基準は、「面白いかどうか」のみ!

啓蒙書とも、科学を気取っただけの本とも一線を画した、科学系読み物という表現が適切と思われる本。筆者は、教科書に載せられた内容を魚の日乾し、ScienceやNatureの論文を鮮魚と喩え、科学の面白さを伝えてくれる。そのため、中には事実として確定していない事柄や、教育的とは言い難いテーマもあり、真面目な内容に飽きてしまったり、興味が持てない読者へのサービスも充実している。トピックは非常に幅広く、自分が少しは予備知識を持っている内容についてはそれほど苦労しなかったのに対して、予備知識のない内容については、いささか苦労した。しかも、本書が発売されたのは、今から15年程前。もっと科学の知識を仕入れていかなければという反省を促された。時が経過した今、本書に記述された事項は、さらに解明されていったのだろうか。現在の動向への興味を刺激された。

科学そのものの内容が本筋であるが、最終章では社会と科学の関係ということで、研究者についてのデータや、ノーベル賞の裏について述べた記事までも扱われている点が憎い。本当に、科学について自由自在に語っている雰囲気のある本だと感心してしまう。

本書を読むと、ScienceやNatureに惹かれ、読んでみようという気にさえなってしまう。実際は、専門用語の壁を越えなければならないが。それでも、少し自分の興味があるところからでも読んでみるかと思える。本書最後のトピックによると、日本人はアメリカ人よりも医学や技術に関する科学的知識に乏しいらしい。啓蒙書を意識したわけではないと言いつつ、筆者は、最終的にはきちんと教育的な視点も入れながら話を締めくくっているではないか。

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# 『妻を帽子とまちがえた男』
2009/11/10 12:27
妻を帽子とまちがえた男 オリバー・サックス/高見幸郎・金沢泰子 ハヤカワ文庫 2009年



気になっていた本が文庫化したのを機に購入。

脳の神経系に問題を抱えると、人間は奇妙な行動をとることがある。本書では、そのような問題を抱えた患者24人の事例が紹介されている。逆行性健忘に悩む人物、自分の身体を自分のものと感じられない男性、豊かな才能を持った自閉症の子どもたち。但し、筆者が目指すのは「人間味あふれる臨床話」である。筆者は、患者をある症状の一例として扱うのではなく、血の通ったひとりの人間として尊重しようという強い意思を持って、執筆に臨む。

筆者は、医学系のエッセイストとして有名な人物。アメリカではベストセラーを連発している。読んでみると、さすがと思える文章だ。各患者像が、魅力的な比喩を駆使して描写されていく。医学者でありながら、哲学や文学に関する知見の広さが随所に垣間見られる文章からは、筆者が文理両方に通じた人間であることがよくわかる。

そして、何と言っても、本書の最大の魅力は、患者の一人ひとりを人格を持った人間として認め、最大限の敬意を持とうとする筆者の姿勢である。患者と接する際には、患者が気分を害さないよう細心の注意を払い、わずかな変化を見逃さないよう注意する。特に、最後の方の自閉症の人々の物語では、筆者の姿勢が最も顕著にあらわれている。例えば、お互い数字を言い合って遊んでいる双子の自閉症を観察し、その数字が素数であることがわかったら、次の時には、数字に関する本を隠し持って、自らもその遊びに参加するというエピソードがある。筆者が本当に真摯な態度で患者に向き合っているのが伝わってくる。

筆者は、自分を「自然科学者と医学者との両方である」と述べている。すなわち、理論という抽象的なものを探る者でありながら、個々の患者という極めて具体的な事例に対処する者でもありたいということである。物事に対して抽象的な法則を発見することは、人間の特徴であり、かつ長所である。しかし、それによって個々に目を向けないということが起こってしまうのなら、本末転倒とも言える。私達は、ともすると一人の人間よりも全体的な傾向を重視してしまう。それは、科学に限らない。例えば、教育においても、目の前にいる個々の生徒を相手にせず、一般論を振りかざしてしまうことがあろう。およそすべての学問には、少なからずこのような傾向があるといえよう。本書は、個の軽視に対して警鐘を鳴らす。一般化と個別への理解の両立が実現できるようになるには、どうすれば良いのだろうか。

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