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# 『音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか』
2011/01/21 09:22
音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか 福井一 化学同人 2010年



音楽とは、結局よくわからないものなのだろうか。音楽は、科学的に分析できないのであろうか。本書がこのような問いに対して提示する答えは、「ノー」である。本書によれば、音楽は科学的に分析することが可能であるのだ。近年の神経生理学的な知見や、脳科学の知見に照らし合わせ、音楽を分析する。

本書の特徴は、まず、音楽を崇高なものと捉え、そこに科学の介入を許さない、芸術至上主義的な見方への反論である。生理学的なデータを用いて、科学的な分析手法を音楽に応用できることを随所で示す。その中では、音楽を崇拝し過ぎて、神秘主義やオカルトに陥る危険性も指摘している。本書の第2の特徴は、人間の心は最終的には物質の反応に還元できるという見方である。筆者は心身二元論を批判する。これらの特徴は、科学哲学との関わりも強く、音楽というテーマの持つ複雑性を物語っている。
様々な神経生理学的な証拠を挙げ、音楽と人間・生物の関係を見てきた後、最後の方で述べられるのは、音楽が進化上果たした役割である。しかし、これだけ科学的という視点を維持しようとしてきた本書において、ここの部分は推察の域を出ないのではないかという疑問が湧いてくる。進化という見方は、条件を統制した結果出た証拠ではなく、あくまで予想の範囲だ。この点をどう考慮するかが、ポイントになる。

また、筆者が随所で指摘する、近年の音楽をめぐる状況に対する批判も、再考すべき部分があるように思う。筆者は音楽が個人化していく状況を危惧し、音楽はそもそも集団でおこなうものであると主張する。しかし、筆者が述べるように、音楽が社会生活上生じるストレスの解消に必要であるならば、個人化は必然的な傾向であるのではないだろうか。かつての社会とは異なり、個々人の抱える問題が複雑化・多様化する中、同じストレスであっても、中身が違うということは、ままある。そのような状況において、個人が自分に合った音楽を用いて各々のストレスを解消するのは、実に理に適っている現象、あるいは不可避の現象ではないだろうか。

このような批判は考えられるが、本書の価値は、音楽療法の効果を科学的に検証し、それを積極的に活用していこうという姿勢にある。音楽が果たす実利的な役割を意識し、さらに効果をきちんと実証していこうと努力することは、非常に意義深いことだと思う。それでも、音楽について科学の視点から見解を述べる動きは、まだまだ黎明期にあるように思える。そもそも論に多くのページが割かれているわりに、肝心の科学的な分析については、わかっていないことが多いという始末だ。ただし、だからこそ、安易に「○○の音楽は△△に効果がある」という巷に溢れる文句を鵜呑みにしてはいけないなと注意できるという面もある。
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