2025/04/20 13:43
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2009/12/19 12:14
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亡国の中学受験 瀬川松子 光文社新書 2009年 『中学受験の失敗学』の続編に当たる本。 「公立の学校は、いじめ、学級崩壊、教師の指導不足など、問題が山積している。その点、私立学校は充実した教育環境を提供することができる。豊かな人間性を育むとともに、高い進学実績を誇る私立学校は…」世間の中学受験を勧める宣伝文句には、このような言い分が溢れているように思える。しかし、本当にそうなのだろうか?本書は、中学受験界、そして私立中高一貫校の実態に精通した筆者による、夢のような学校、私立中高一貫校の現実に迫ったものである。 本書で、筆者は予め自分の立場はやや私立の価値を貶める方向に偏っていることを明言している。それは、これまで私立学校の良さを強調する物言いが多数を占める中、負の側面を語るメディアが非常に少ないという筆者の実感による。筆者は、中学受験がここまで加熱するのは、それに関わる利益団体が徒に公立学校への不信を煽っている側面があるからだとする。有名な上位の私立学校の中には、成績不良の生徒に対して圧力をかけようという雰囲気が存在することがある。進学校化を狙う偏差値の低い私立では、上位の一握りしか着いて行きようのない難問をシャワーのように浴びせ、できないのは個人の責任と居直っているところがある。いじめはどんな学校でも発生する可能性はあり、私立独特の特徴である、塾や家庭教師業者との癒着という問題もある。それでも、そのような実態はあまり表沙汰にならない。それは、私立学校特有の隠蔽体質があるのとも関係している。 本書は本書で、逆に私立学校への不安を煽っているとして、物議を醸すことはあろう。しかし、それでも本書の役割は重要であろう。少しでも、中学受験の負の側面を知ることで、受験生やその両親などの中学受験に関わる人々が冷静に私立中学を選ぶようになってくれば、世の中が少しは変化するかもしれない。 また、本書の問題は、中学受験に留まらない。そもそもいじめが発生する日本社会の問題、私立への助成も含めた私立学校のあり方の問題、生徒のことを本気で考えるほど、採算が取れなくなる塾業界の実態など、一筋縄ではいかない難問が提示される。 このような問題に向き合うことこそ、日本の教育、ひいては社会について考えることなのであろう。 PR |
2009/11/25 13:09
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大事なことはみ~んなドラえもんに教わった 久保田正己 飛鳥新社 1997年 「ドラえもん校長」として有名になった小学校の校長先生(当時)が、教育という観点からドラえもんを見つめた本。のび太とドラえもん、両親、友人、担任の先生との関係をヒントに、教育のあるべき姿を探る。 筆者が、本当によくドラえもんを読み込んでいるというのが伝わってくる。ドラえもんのファンとしても、納得のいく内容。教育者、特に小学校長という立場から見たドラえもん像というのは、ドラえもんに対する新鮮な見方を提供してくれる。のび太の両親の、子どもとの接し方については、良い例としても悪い例としても取り上げられる。本書で出てきた例を見ていると、ドラえもんにおいて、のび太の両親は、時に冷静で、時に感情的で、本当に人間らしさに溢れていると思ってしまう。改めて、藤子・F・不二夫の人間描写のセンスを感じることとなった。 また、さすが教育者という視点を感じて面白かったのが、ジャイアンと出来杉君との関係の分析である。筆者が指摘するように、確かにこの2人がともにいる風景を見かける機会は少ない。それに対する筆者の分析がなかなか興味深い。 筆者は、随所で現在の学校教育についても論考を行う。学校が勉強中心の場になりすぎてはいないだろうか。のび太のように、たとえ勉強ができなくても思いやりのある子どもが育つ土壌はあるのだろうか。筆者は勉強中心で回る学校を批判する。それはそれで、とても大事なことではないかと思う。しかし、学校は勉強するところだと割り切ってしまうからこそ、子どもが学校の成績が悪くても極度に落ち込む必要はないと言える部分もある。大切なのは、子どもを一元的に評価するのではなく、様々な場面で子どもが見せる個性を十分に尊重して見つめていく姿勢ではないだろうか。もちろん、1997年という、本書が刊行された時代は、就職氷河期と呼ばれた時代である。日本の社会や教育において何かが問題であるという意識は、非常に高かった時代であろう。そのような時代に団塊世代の1人が教育に対して一石を投じたという事実は、価値あることではないかと思う。 ●ドラえもん校長・人生第二幕 筆者のHP。 ドラえもん校長として、教育者として、多岐にわたる内容がまとめられています。 |
2009/10/28 21:02
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中学受験の失敗学 瀬川松子 光文社新書 2008年 教育産業の広告に溢れる、華々しい「第一志望校合格」という言葉。ところが、その裏には、決して語られない無残な結末を迎えた事例が多く存在する。特に、塾や家庭教師に多額の投資を行いながらも、志望校全滅という悲惨な事態だって起こりえる。しかし、子どもの実力を適切に把握し、教育に際限なく出費をするという構えをなくせば、最悪の事態は回避できる。では、どうして最悪の事態は起こってしまうのか? 本書では、このような事態に陥ってしまう過程には、往々にして「ツカレ親」がいるという。「ツカレ親」とは、中学受験に取り「憑かれ」、心身ともに「疲れ」てしまっている親のことを指す、筆者独自のネーミングである。「ツカレ親」は、決して良い結果をもたらさない。本書では、悪夢を回避するべく方法を模索する。 非常に面白い点を突いてくる本だと思う。筆者は豊富な家庭教師経験があり、そこで出会った事例から、中学受験に必要な心構えを提示していく。1つ目のコツは、第一志望にこだわりすぎず、子どもの実力を見て柔軟に志望校を判断すること。場合によっては地元の公立も視野に入れ、無理させすぎないこと。それには、無駄なプライドは捨て、子どもの学力や希望と真摯に向き合うこと。言うは易く、行うは難しといったところか。2つ目は、ただ利益のみを追求する悪質な業者を見抜くこと。具体的な例とともに、チェックリストまで付いているのが頼もしい。 それだけで終わらないのが本書の魅力である。最後に、そもそもなぜ「ツカレ親」が登場しなくてはならない状況があるのかという点に、筆者は言及する。「良い大学」「良い会社」という一元的な基準のみによって人を評価する社会、公立中学の惨状を誇張し、中学受験をしなければ良い教育が受けられないかのような物言い。悲劇を生む親ばかりを非難せず、社会の風潮も問題視する視点が大切だと筆者は説く。 受験というものは、中学受験にしろ、大学受験にしろ、自分(あるいは自分の子ども)と向き合うことが求められる、ある意味辛い場面である。人は初めて世の中における自分の立ち位置を知り、理想の自分との隔たりに悩み、もがく時期である。せっかくの貴重な経験を、世間の勝手な言い分に流されて台無しにしては、もったいない。素直に自分(の子ども)と向き合い、世界に向かって果敢に羽ばたく(羽ばたかせる)気概を持てというメッセージが感じられる。 筆者は、自身のブログで、精力的に情報を発信している。また、2009年の11月には、本書の続編と言えそうな本が発売される。 |
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