2024/11/29 04:50
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2009/11/25 13:09
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大事なことはみ~んなドラえもんに教わった 久保田正己 飛鳥新社 1997年 「ドラえもん校長」として有名になった小学校の校長先生(当時)が、教育という観点からドラえもんを見つめた本。のび太とドラえもん、両親、友人、担任の先生との関係をヒントに、教育のあるべき姿を探る。 筆者が、本当によくドラえもんを読み込んでいるというのが伝わってくる。ドラえもんのファンとしても、納得のいく内容。教育者、特に小学校長という立場から見たドラえもん像というのは、ドラえもんに対する新鮮な見方を提供してくれる。のび太の両親の、子どもとの接し方については、良い例としても悪い例としても取り上げられる。本書で出てきた例を見ていると、ドラえもんにおいて、のび太の両親は、時に冷静で、時に感情的で、本当に人間らしさに溢れていると思ってしまう。改めて、藤子・F・不二夫の人間描写のセンスを感じることとなった。 また、さすが教育者という視点を感じて面白かったのが、ジャイアンと出来杉君との関係の分析である。筆者が指摘するように、確かにこの2人がともにいる風景を見かける機会は少ない。それに対する筆者の分析がなかなか興味深い。 筆者は、随所で現在の学校教育についても論考を行う。学校が勉強中心の場になりすぎてはいないだろうか。のび太のように、たとえ勉強ができなくても思いやりのある子どもが育つ土壌はあるのだろうか。筆者は勉強中心で回る学校を批判する。それはそれで、とても大事なことではないかと思う。しかし、学校は勉強するところだと割り切ってしまうからこそ、子どもが学校の成績が悪くても極度に落ち込む必要はないと言える部分もある。大切なのは、子どもを一元的に評価するのではなく、様々な場面で子どもが見せる個性を十分に尊重して見つめていく姿勢ではないだろうか。もちろん、1997年という、本書が刊行された時代は、就職氷河期と呼ばれた時代である。日本の社会や教育において何かが問題であるという意識は、非常に高かった時代であろう。そのような時代に団塊世代の1人が教育に対して一石を投じたという事実は、価値あることではないかと思う。 ●ドラえもん校長・人生第二幕 筆者のHP。 ドラえもん校長として、教育者として、多岐にわたる内容がまとめられています。 PR |
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