日本語ウォッチング 井上史雄 岩波新書 1998年
日本語は、乱れているのだろうか。「乱れ」として騒がれている言い方、用法をよく調べてみることで、驚くべき法則性が見つかったり、地方と東京との間を行き交う言葉の変化のダイナミズムを観察することもできる。本書は近年(1998年当時)話題になっている新しい言葉について、「乱れ」とは異なった視点で分析を試みる。
タイトルの通り、本書の立場はあくまで「ウォッチング」である。日本語の変化を嘆くことのではなく、変化の裏に潜む思わぬ法則や、長い時間の中で見た日本語の変遷過程について考察を巡らせることが、目的である。例えば、ら抜き言葉を、1000年の時を経て日本語が変化する過程として説明している第1章。日本語の動詞の活用が合理的になっていく様子、助動詞の意味の識別に関する問題などと関連させ、大きな流れを示している。第7章で取り上げられるアクセントの平板化も、発音の仕方を楽にしたり、アクセントの位置を個別に覚える必要をなくすという観点から見れば、合理化への道を辿っている現象だという。
また、本書で随所に紹介されているのが、地方の方言が東京に流入する「逆流」現象である。東京の言葉が標準語としての威力を持って地方へと拡大していくという考え方が一般的であろう。しかし、実際には地方の方言を東京の者が聞き、使うことによって、気付かぬ間にじわじわと方言の言葉や用法が浸透していくことが起こっているのである。「~じゃん」は静岡、「~っしょ」は北海道の出身だという。
さて、本書発売から10年が経過した現在、日本語の現状はどうだろうか。私の印象としては、本書で紹介されているような変化については、かなり浸透してきたと思う。その一方で、変化を拒む保守的な動きもむしろ強まったのではないかという印象がある。近年、日本語に関する書籍が一大ブームとなっている。その背景には、日本語に対する関心の高まりのみならず、「正しい日本語」を使いたいという欲求と、日本語の変化を嘆く風潮もあるのだろう。本書はそのような時代の流れの中でこそ、読む価値のある本だと思う。そもそも「正しい日本語」とは何か。日本語の変化の裏にある意味とは何か。このような疑問について考えてみることで、日本語について冷静に考えることができるのではないだろうか。現代に必要なのは、漠然とした概念である「美しい日本語」を追い求めて翻弄されることではなく、日本語を一歩離れて見つめる「ウォッチング」の姿勢だ。
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