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# 『非識字社会アメリカ』
2010/02/04 09:40
非識字社会アメリカ ジョナサン・コゾル 脇浜義明 明石書店 1997年



国民の約3分の1が、まったく文字が読めなかったり、作業に必要な説明書が読めなかったりする。子どもに本を読んでやれないことに、やりきれない思いを抱く母親がいる。そんな現状にもかかわらず、政府は識字教育には無関心で、そのための予算は減らされていく一方である・・・これは、現在のいわゆる発展途上国の現状ではない。1980年代のアメリカの姿なのである。本書は、高度な文明の象徴であるアメリカ合衆国が抱える深刻な問題に迫る。学校からドロップアウトせざるを得なかった人々や、識字教室を運営する人々の悲痛な叫びから、アメリカ社会の持つべき方向性を問う。

識字問題が、いかに様々な問題を内包しているかが、よく伝わってくる本。識字能力において1つの基準になるのが、「機能的識字」である。これは、単に文字が読めるに留まらず、日常の生活や仕事において最低限必要な識字能力のことを指す。その基準に照らし合わせると、少なくとも1980年の時点においては、アメリカ国民の3分の1が「非識字」に分類されるのだという。本書の前半では、このような人々の苦労や悲しみが豊富な事例に基づいて紹介される。何とか仕事にありつけ、朝はコーヒーを飲みながら朝刊を読むという、何とも優雅な生活を満喫しているように見える男性。実は、この男性は文字が読めないことを隠して生活しているのである。だから、朝刊を読んでいるふりをする必要があるのだ。また、5歳の子どもに、自分が文字を読めないことを知られ、悲しみに胸を打ち砕かれる女性もいる。これらの人々の中には、何らかの理由で学校を辞めなければならなかった者が多く存在する。人種という、アメリカならではの問題もある。

そして、筆者が抱える、当時のアメリカ社会への怒りが最も露わに、そして雄弁に語られるのが、本書の後半である。筆者は、「機能的識字」の概念に疑問を呈する。筆者は、真の識字力とは、与えられた最低限のものをこなすためのものではなく、社会に溢れる悪意に満ちた言説を疑い、批判的精神をもって読解する力であると主張する。だから、仕事に最低限支障が出ない読解力があれば構わないという考え方に対し、懐疑的な姿勢を持つ。識字は、弱いものが支配的な勢力に抵抗する術になり得るのだ。

「機能的識字」を超えた識字を、誰もが身に付けることができる社会とはどうすれば実現するのか。筆者は、狭い区分に囚われた学問界の統合、批判的な思考を養う教育など、いくつか解決策を示す。しかし、実現に向けての努力はまだ始まったばかりである。

ちなみに、近年は別の視点から「機能的識字」の概念に疑問を投げかける動きもある。識字が大切で、社会参加のための必須条件ということを過度に主張することで、ディスレクシアや、視覚障害を持つ人々、在日外国人など、識字にハンデをもつ人々には、社会参加が許されないという暗黙の差別に繋がる可能性があるからだ。そう考えると、識字問題は奥が深い、人間の本質にかかわる問題であることがわかる。
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