2024/11/01 08:04
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2010/06/14 16:34
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就活革命 辻太一朗 NHK出版生活人新書 2010年 現在の日本の就職活動の状況を見ていると、何かがおかしい。そして、学生も、企業も、大学も、すべてが駄目な方向へ向かっているように見える。本書は、このような感覚の実態に迫り、就職活動の問題点を洗いざらいにする。最後に、問題点を打破するための解決策を提示する。 筆者はまず、学生、企業、大学それぞれの中にある問題点を主張する。まず、問題の元凶とするのが、学生の自己分析。下手に自己分析をしたところで、自分に陶酔する若者しかできない、学生は「やりたいこと」「できること」ばかりに執着して世界を狭めてしまうというのが筆者の主張。次に、優秀な人材を早く獲得しようとして企業が進める採用の早期化と、それに伴う学生の就職活動の長期化。最後に、企業からも学生からも軽視され、学問をする場として機能しなくなっているうえに、学生の就職指導に追われる大学。 それでは、どうすれば問題の解決が見えてくるのか。学生・企業・大学の三者が、それぞれ相互作用を起こしつつ、負のスパイラルに陥っているというのが、筆者の見方。さらに、冒頭で筆者は「学生は被害者」というコメントをしている。それならば、三者の問題点をまとめたうえで、大学と企業を中心に変革をしつつ、学生にも就職活動や勉学の意義を再確認してもらうという道筋が想定されるはずだ。 しかし、筆者の記述を細かく見ていくと、最も変革を求められているのは、学生、次に大学、最後に企業という構図が見えてくる。学生に対する要求は、「狭小な自己分析などに陥らず、何でもやってみるという気概を持て」「大学時代は勉学に励み、論理的思考と、知識を使って考える訓練を積め」というもの。大学に対しては、「しっかりと学生に勉強させ、厳正な単位認定システムを取り入れろ」「授業のシラバスを公開し、企業が評価する参考にできるようにしろ」。では、企業はというと、「現在の採用方法を見直し、優秀な学生をきちんと評価できるようにする」。一見、それなりに妥当に思えるが、企業が果たすべき責任など、微々たるものだ。 例えば、自分が希望した職種以外に就くことを嫌がることに対する批判。これは、そもそも学生の専門性を軽視し、「総合職」という曖昧な枠での採用を行い、「何でもやります。どこへでも行きます」と言わせる、日本の企業の体質と無縁ではない。日本の企業が採用の際に職種と本人の専門性を明確にして採用していないことが、欧米の企業と比べると特殊であるということについては、本ブログでも取り上げた、『多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで』に詳しい記述がある。それから、大学教育を改革するということについても、問題がある。大学生に対する給付奨学金が充実していない日本において、学生が勉学に集中することは可能なのであろうか。下手すると、アルバイトが必要な学生を排除することになりはしないだろうか。それに対して、筆者が企業に求めていることは非常に少ない。現在の採用方法を批判的に検討するのも、それは企業が優秀な人材を逃すことを憂慮してという条件付きである。おまけに、面接で測れないことの評価には、大学での成績を利用するという、丸投げ状態。筆者の提案する大学4年生の秋に行う2度目の採用などは、既に行われていることである。しかも、採用活動の早期化問題については、学生が勉強することのメリットを大学が示すことが先という始末。 「勉強しろ」「社会人基礎力を身に付けろ」と学生の尻を叩き、意義のある教育をしろと、大学に迫る。それでいて、企業については批判的なコメントが少ない。現実路線を見出そうとすると、そのような結果になるのかもしれないのだが、しこりは残る。妥当な選択肢は、他にないのだろうか。 PR |
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