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# 『個性をモノにする』
2012/06/17 22:06
個性をモノにする 岡島秀樹 ベスト新書 2012年



メジャーリーグ移籍直後は、チームメイトから松坂の話し相手くらいにしか思われなかった岡島秀樹。しかし、結果を出すにつれて首脳陣からの信頼を得て、いつの間にかボストン・レッドソックスの中継ぎの中核を担うまでになっていった。子どもの頃からメジャーにあこがれていたわけでもなく、30代になってからの突然の移籍だったにもかかわらず、岡島はなぜメジャーで活躍できたのか。本人が語る、その秘訣とは。

岡島は、自らが活躍できた1番の理由は個性を武器にした点だと語る。ボールを手から離す瞬間に捕手を見ないという独特の投球フォームが特徴の岡島は、これまで何人もの人から、フォームを是正するよう注意されてきた。しかし、岡島は自分のフォームを認めてくれる人々にも出会い、その人たちから励まされて、野球を続けてきた。本書の中でたびたび触れられるエピソードから、個性を伸ばすことの難しさ、個性を認め、支える人の重要さを実感することができる。

本書のもう1つのテーマは、メジャーリーグへの適応という観点であろう。多くの日本人がメジャーリーグに挑戦し、様々な壁にぶつかって、辞退しているのが現状だ。岡島は盛んに、野球は仕事だと語る。スポーツ選手というと、いかにも好きなことを仕事としているという印象があるが、岡島が持っている野球観は、非常にビジネスライクな面が強い。結果にこだわるプロ意識は忘れないなどの考え方が、アメリカ流の野球とマッチしていたのだということがよくわかった。また、家族を養うという意識がとても強く、普通のサラリーマンに近い思考をしている点も面白い。それゆえに、ビジネスマンにとっても参考になる記述は多い。壁にぶつかったときの考え方、慣れない環境への適応など、人が職業とともに生きていくのに必要な術を随所で語ってくれる。

メジャーへの適応については厳しいことを語りつつも、自分の置かれた境遇で悩んだこと、うまくいかなかったこと、気にせずに割り切ったことについても触れている。その意味では、プロとして意識すべきことについて語っている部分と矛盾しているとも言えるかもしれないが、1人の職業人が余すことなく心境を語ってくれたと考えれば、むしろ人間味があって良い内容かもしれない。
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# 『鉄道会社はややこしい』
2012/06/03 19:00
鉄道会社はややこしい 所澤秀樹 光文社新書 2012年



首都圏では当たり前のように見られる都心の地下鉄と郊外の私鉄による相互直通運転。初めて乗った電車だと、行き先がまるでとんでもない方角の電車が来たりして、戸惑うことも多い。小田急線内に東京メトロ千代田線の車両が入ってきたり、京王線の車両が都営地下鉄新宿線まで走ったり、京浜急行の駅で東武の車両を目撃したりといったことは、慣れればそれほど奇妙な光景にも思えなくなる。

しかし、そのような光景の裏には、鮮やかな連係プレー、そして複雑な取り決めが潜んでいた。例えば、他社の路線内を走る距離(営業キロ)は、相互直通運転に関わっている鉄道会社間で等しくなるようにしなければならない。列車の運行上、どうしてもうまくいかなければ、営業キロが足りない方が車両の使用料を支払わなければならない。共同で使用するのは車両だけに留まらず、駅のホームや、改札にまで及ぶ。本書は、鉄道会社間の様々な取り決めについて、代表的な路線の事例を使いながら説明したものである。身近で何気なく使っている電車に対する新たな見方を得られる。

本書に載っている多くのことは、「知ってどうする?」と聞かれれば、どうとも答え辛いことばかりである。確かに、知ったところで雑学が身に付くとしかいえない部分もあろうが、とにかく読んでいて面白かった。冒頭でも述べた相互直通運転の話は、途中から徐々に単なる鉄道会社間の話を超え、旧国鉄の分割民営化などの政治の話にまでも発展していく。特に、地方の小さな私鉄や第三セクターによって経営される鉄道の話は、直通運転と政治が切っても切れない縁にあることを示す端的な例だ。身近な小さな謎が、だんだんと大きな問題に広がっていき、知識のネットワークができていくような気になった。本書は鉄道についての本であると同時に、知的好奇心を満たすこととはどのようなことか、教えてくれる本でもあると思う。

それでも、本書はいわゆるトリビアだけには終始しない。終盤では、駅員の苦労についても語られている。JRから駅の業務を委託された私鉄の駅員は、JR絡みの苦情を言われても、どうしようもできない。ただただ業務委託の事情について説明し、謝るしかないらしい。本書を読めば、そんな事情にも理解を示せる善良な乗客になれるであろう。

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# 「教える技術」の鍛え方」 人も自分も成長できる
2012/05/04 16:55
「教える技術」の鍛え方」 人も自分も成長できる 樋口裕一 筑摩書房 2009年



学校教育の場に限らず、教えるという行為の難しさに直面する場合は案外多い。どうすれば良い教師になれるのかという疑問に対して、長年予備校で教壇に立ってきた著者なりの解答を示した本。

少人数を教えるための技術から、大人数を教える場合の注意点まで、幅広くまとめられていて、多くの人にとって参考になるであろう。また、説明の方法だけでなく、相手が学ぼうとする意欲を引き出すための方法についても語られていて、本当の意味での教師になるにはどうすれば良いのか、考えるための材料が充実している。筆者自身の失敗例も紹介されているので、まずい場合をしっかりと実感しながら、自分の方法を確立する術が提供されているのも良い(実は、失敗談を示すこと自体、筆者が持つ教える技術の1つなのだ)。

大人数を教える場合には、照準の設定やクラスのコントロールなど、ある程度教える側が注意しないといけないことがある。最終的に良い結果を得るために、厳しく接さなければならない局面もあろう。そんな面についても触れている点でも良書と言える。

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# 『女子校育ち』
2011/05/03 15:55
女子校育ち 辛酸なめ子 ちくまプリマー新書 2011年



自らも女子校出身という著者が、取材を重ねてまとめあげた、女子校の実態をつまびらかにした本。学校ごとのカラーは? 恋愛の実態は? 男性教師の処遇は?…誰もが気になる女子校の秘密を明らかにする。

女のすなる女子校生活というものを男もしてみんとてするなり。なんてことができればいいものの、現実には不可能だ。男に育った以上、女子校の教師にでもならない限り、経験不可能な女子校の世界。いわば、禁断の園だ。その実態を、様々なキーワードを基に、縦横無尽に語り尽くしたのが本書だ。著者の筆致は非常に滑らかで、浮世離れしたお嬢様方に対しても、中堅校に通うギャル系の生徒に対しても、ユーモアと機知に富んだ素晴らしいコメントの数々を残す。

恋愛事情や男子校との関係、卒業後の様子など、取材の成果が如実に現れているトピックが興味深かったのは事実だが、意外と印象に残ったのが、男性教師の扱いだ。世間からすれば、女子校の教員である男性は、何かとうらやましがられる立場にありそうだが、それは違うらしい。教員によっては、日々生徒からのからかいのネタにされたり、教員同士の関係でも肩身が狭い思いをしたり、挙げ句の果てには生徒からのいじめに遭ったり… 女子校の男性教員よ、負けるなというメッセージを送りたくなってしまった。

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# 『クリティカルシンキング 入門篇 あなたの思考をガイドする40の原則』
2011/01/31 13:28
クリティカルシンキング 入門篇 あなたの思考をガイドする40の原則 E.B.ゼックミスタ,J.E.ジョンソン著 宮元博章・道田泰司・谷口高士・菊池聡訳 北大路書房 1996年



世の中には、案外変な言い分がまかり通っているものだ。そして、人はある時は論点のおかしな部分にすぐに気付くにも関わらず、ある時は全く気付かない。間違った思考をしてしまうと、自分にとってのリスクを見逃してしまったり、偏見を持って人を判断してしまったりと、望ましくないことにつながる恐れがある。本書は、卑近な例から批判的思考(クリティカル・シンキング)について学び、実践できるようになることを目指す人に向けた、批判的思考入門の書である。

世の中には、「~な人の思考法」などといった本が溢れているように思う。ところが、そのような本を読んでも、いざ自分の思考法を改善したり、素晴らしい思考力を持った人の方法を取り入れようとしたりした時に、思いのほかできないという経験を持った方はいないだろうか。おそらく、そのような場合、思考の結果やプロセスはよくわかっても、そもそもなぜそのような考え方が良いのか、間違っているのかについて、納得のいく説明が為されていないのではないだろうか。

本書は、ある具体的な場面でどうすべきかといったような、非常に具体的な問いに対する答えを用意した本ではない。その代わり、原因の推測など汎用性の高い思考法の習得を目指した内容になっている。本書で取り上げられた事項を身に付けようとすることで、地に足のついた思考が鍛えられていくように思う。加えて、本書は科学的思考の練習の書という特徴も有している。正しい思考、鋭い思考の根底にある規則がわかると、それを広く活用できるようになる。とはいっても、具体例が身近なものでなければ、知識の活用は難しい。本書はその点も徹底していて、日常的な話題からいつの間にか批判的思考の基礎へと導かれていく構成になっている。

もう1点、本書の優れた点を挙げるとすれば、人間が陥りやすい間違った思考の例が豊富に収録されていることであろう。これらの例は、心理学的な知見の積み重ねの上に成り立ったものである。自分の陥りやすい思考の穴を意識することで、思考する力は格段に上がるだろうと思う。

したがって、本書は本当に幅広い人にお薦めできる本である。また、下手なビジネス書よりも役立つ。むしろ、書店のビジネス書のコーナーに置いても良いくらいの本だ。翻訳は、真の意味での「翻訳」を目指し、必要に応じて具体例を日本人にとって馴染みのある事例に書き換えているため、時に原典が外国語ということを忘れてしまう。

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# 『音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか』
2011/01/21 09:22
音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか 福井一 化学同人 2010年



音楽とは、結局よくわからないものなのだろうか。音楽は、科学的に分析できないのであろうか。本書がこのような問いに対して提示する答えは、「ノー」である。本書によれば、音楽は科学的に分析することが可能であるのだ。近年の神経生理学的な知見や、脳科学の知見に照らし合わせ、音楽を分析する。

本書の特徴は、まず、音楽を崇高なものと捉え、そこに科学の介入を許さない、芸術至上主義的な見方への反論である。生理学的なデータを用いて、科学的な分析手法を音楽に応用できることを随所で示す。その中では、音楽を崇拝し過ぎて、神秘主義やオカルトに陥る危険性も指摘している。本書の第2の特徴は、人間の心は最終的には物質の反応に還元できるという見方である。筆者は心身二元論を批判する。これらの特徴は、科学哲学との関わりも強く、音楽というテーマの持つ複雑性を物語っている。
様々な神経生理学的な証拠を挙げ、音楽と人間・生物の関係を見てきた後、最後の方で述べられるのは、音楽が進化上果たした役割である。しかし、これだけ科学的という視点を維持しようとしてきた本書において、ここの部分は推察の域を出ないのではないかという疑問が湧いてくる。進化という見方は、条件を統制した結果出た証拠ではなく、あくまで予想の範囲だ。この点をどう考慮するかが、ポイントになる。

また、筆者が随所で指摘する、近年の音楽をめぐる状況に対する批判も、再考すべき部分があるように思う。筆者は音楽が個人化していく状況を危惧し、音楽はそもそも集団でおこなうものであると主張する。しかし、筆者が述べるように、音楽が社会生活上生じるストレスの解消に必要であるならば、個人化は必然的な傾向であるのではないだろうか。かつての社会とは異なり、個々人の抱える問題が複雑化・多様化する中、同じストレスであっても、中身が違うということは、ままある。そのような状況において、個人が自分に合った音楽を用いて各々のストレスを解消するのは、実に理に適っている現象、あるいは不可避の現象ではないだろうか。

このような批判は考えられるが、本書の価値は、音楽療法の効果を科学的に検証し、それを積極的に活用していこうという姿勢にある。音楽が果たす実利的な役割を意識し、さらに効果をきちんと実証していこうと努力することは、非常に意義深いことだと思う。それでも、音楽について科学の視点から見解を述べる動きは、まだまだ黎明期にあるように思える。そもそも論に多くのページが割かれているわりに、肝心の科学的な分析については、わかっていないことが多いという始末だ。ただし、だからこそ、安易に「○○の音楽は△△に効果がある」という巷に溢れる文句を鵜呑みにしてはいけないなと注意できるという面もある。

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# 『なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか? テレビドラマと日本人の記憶』
2011/01/14 17:01
なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか? テレビドラマと日本人の記憶 中町綾子 メディアファクトリー新書 2010年



薄暗い取調室。なかなか自供しない容疑者。刑事は、故郷の母親の話をし、容疑者を揺さぶる。容疑者は心を打たれ、自らの罪を認める。刑事はそっと、カツ丼を差し出す… こんな表現は、一体どこから生まれたのか? そんな素朴な疑問を持ったことはないだろうか。他にも、勤務の初日に遅刻する教師、雨の中愛を叫ぶ男女など、ドラマの定番と言えるようなシーンは枚挙にいとまがない。日常生活においては決して「定番」とは言えないようなこれらのシーンは、私たちに何を語りかけているのだろうか。過去から現在の様々なテレビドラマにおける名シーンを取り上げ、その表現が持つ意味について探った本。

本書のタイトルからは、本書が刑事ドラマとカツ丼の関係について詳細に検討した本のような印象を受けてしまうかもしれない。しかし、実際それは一部であって、様々なドラマのシーンが紹介されているのだ。

筆者による定番表現の分析から見えるものは、主に脚本論に通じそうなものだ。例えば、カメラの角度を意識すると、食卓の1席は必ず空いていないといけないことは、言われてみればなるほどという点であった。また、批評理論的な分析もある。一見類似点など無いように思えるドラマにも、話の展開パターンに共通性があることが、筆者の繰り出す数多の例からよくわかる。ドラマの見方が変わる本だ。

メディア論はもちろん、文学論、文化論、社会論にも通じる視点に満ちた、わくわくする良書だ。

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# My Humorous Japan Part 3
2011/01/13 17:28
My Humorous Japan Part 3 Brian W. Powle, NHK出版 1997年



日本をよく知るイギリス人英語教師が、日本文化について、日本人について、自らの経験も交えながら語るエッセイの第3弾。

3作目にして、最高の出来ではないかと思う。これまでの2冊は、結局のところ日本以外の話も出てきていて、やや趣旨とずれていることを感じざるを得なかったが、3作目は違った。3作目は、きちんとタイトルに見合った話ばかりを集めている。文化の違いから生じる失敗も、筆者の手にかかれば見事な笑い話になる。筆者独自のユーモアを帯びた文章は相変わらず切れ味があるうえに、ここでは、いじめなどの今日的かつ重さを持ったテーマもあえて取り上げ、自身の論を展開する。

90年代後半の日本社会が対象なので、「オバタリアン」などの言葉も出てきて面白い半面、現在とのギャップを感じざるを得ない部分もある。筆者が当時の日本の若者に対して述べる印象は、現在の若者像とは違う面もあるのではないかと思う。また、英語教育に関する筆者の意見も、英語の持つ意味合いが大きく変化してきた今日においては、再考の余地があろう。

もっとも、このような欠点によって、本書の評価が大きく下がるようなことはない。それくらい、これまでの2作品と比べて面白いのだ。本シリーズを手に取った方には、是非Part 3まで読んでもらいたい。むしろ、第1弾でやめてしまった方にも、3作目は読んでみたらどうかと薦めてみたくなる内容だった。


□関連記事□
My Humorous Japan

My Humorous Japan Part 2

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# 『赤朽葉家の伝説』
2010/12/19 11:56
赤朽葉家の伝説 桜庭一樹 創元推理文庫 2010年



鳥取県の紅緑村にある赤朽葉製鉄。地域に多くの雇用を生み出す巨大な企業。その本家に嫁ぐことが急に決まった万葉、その娘の毛毬、そのまた娘の瞳子の3代にわたって語られる、赤朽葉家の物語。

本書は、3部構成から成る。第1部は、1940年代前半に生まれ、日本の戦後の復興と高度経済成長の時代を目の当たりにすることになる万葉の視点で語られる。続く第2部では、1960年代の後半に生まれ、若者の不良文化の真っ只中を生きることになる毛毬が主人公となる。そして、最後の第3部では、平成の世に生まれた瞳子が未来へと向かいつつある赤朽葉家を語り、この物語は終わる。

第1部は時代小説の様相を呈していて、日本の戦後の復興と高度経済成長と重なるようにして、赤朽葉製鉄の発展が描かれる。日本国内の数々の出来事が、まるで会社の命運を左右しているかのように、密接に関連している。この時代を生きた人間にとっては懐かしさを感じさせるような物語であり、この時代を知らない読者にとっては、ある地方の企業から見た具体的な日本の現代史という意味合いを持った物語であろう。そこに、マジックリアリズム的な要素が良いスパイスを加えている。

第2部は、いわゆるレディースを主人公にした物語。中学生のときから不良文化に触れ、高校進学後には中国地方の制覇を達成する毛毬。たびたび出てくる「ユートピア」という言葉に代表されるように、徐々に社会が持つ意味、社会が人々に与える影響が薄れてきている様子を見事に描き出している。「巨と虚の時代」と名付けられた通り、バブルに踊らさせる日本社会と、その裏で確実に迫っていた先行き不透明な社会、大人の価値観に反抗して生きる不良文化が同時並行する社会情勢が丁寧に描かれる。

第3部は、平成生まれの今どきの若者である瞳子を主人公に据え、赤朽葉万葉が死ぬ間際に残した言葉の意味を探る推理ものとしての正確も帯びた部分である。これまでの桜庭作品に多かった、地方という閉鎖された空間に暮らす少女を主人公にする設定が活かされている。このように、時代の変遷を軸に、個人と社会との関係、社会と個人との関係を見事に描ききっている。世代を追うごとに、徐々に薄れていく社会とのつながりを象徴するような場面が次々と登場する。

また、途中から赤朽葉家は、時代の波に飲み込まれてしまった者達がそれとなく居候する空間へと変化していく。引きこもりとして描かれる、毛毬の弟の孤独、不良から漫画家に転身した毛毬の編集者の蘇峰、いじめっ子で後に毛毬と和解した黒菱みどり… もはや血縁という条件をも超えた人々が集う空間となった赤朽葉家。地方にある旧家という、ある意味で最も保守的とも言えるような場所で、時代の先端を行くような生活が営まれている。そんな皮肉を垣間見られる小説でもある。

とにかく、1冊の中に色々なものがぎっしりと詰まった小説で、物語世界にぐいぐいと引き込んでいく威力を感じずにはいられなかった。

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# 『先生のホンネ 評価、生活・受験指導』
2010/12/06 21:14
先生のホンネ 評価、生活・受験指導 岩本茂樹 光文社新書 2010年



人々の学校生活の思い出に、望む望まないに関わらず、影響を残すのが教師だ。一体、先生は生徒をどう見ているのか。それを知ることで、先生・生徒・保護者・社会の相互理解が深まれば、それぞれの関係も改善するかもしれない。そんな願いが込められた本書は、架空の公立高校、梓高校を舞台にして、学校の日常の裏を探る。

本書は、梓高校に起こった3つの事件を材料に、先生の思考を追っていく。特に多くの紙面を割いているのが、1年生の間で起こったカチューシャ事件である。校則で女子の髪留めは、黒・紺・茶と決まっているのに対して、黒にグレーの模様が入ったカチューシャ、ベージュのカチューシャを付けてくる生徒が出てきたという事件だ。各教師が個々に様々な理想を掲げている上に、教員間の人間関係も入り混じり、指導にブレが生じてくる。そこを鋭く突き詰める生徒とのせめぎ合いは、なかなかの見もの。

そして、2つ目の事件である、進路指導の問題が取り上げられた後で、再びカチューシャの問題へと移る。しかも、今度のカチューシャ事件は、3年生の男子がカチューシャをして来るというものだった。成績が学年トップの男子生徒がカチューシャをして来たら、注意する必要はあるのか。またもや、職員室はもめる。若干紙幅を使いすぎているのではと思われた第1の事件が、第3の事件を多面的に解釈する上での重要な複線になっていたのだということがわかる。カチューシャ問題を通して、不毛とも思えるような校則指導の現状が非常に鮮やかに描き出されている。

公立の中堅私学校という位置づけの梓高校。教師は皆一様に「生徒のため」という言葉を発している。しかし、本当は何が生徒にとって最良のことなのかなど、簡単に決められるはずがない。また、教師は無意識のうちに「生徒のため」という言葉によって、利害関係の絡んだ自分の行為を正当化しようとしてしまうという筆者の分析は、なるほどと思わせるものだ。後悔するような高校生活を送って欲しくないという熱い想いゆえに、カチューシャを服装の乱れと捉え、徹底的に校則の遵守を訴える先生。生徒の無言の訴えに耳を傾けられず、やたらと国公立大学の受験を勧める先生。2人とも、生徒のためという大義のもと行動しているのだ。本当は、「後悔しない高校生活」がどのようなものかなんて、人によって違うはず。また、国公立大学への進学だけが優秀な生徒としての証しなのだろうか。学校という組織の抱える矛盾が浮き彫りになる。

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