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# 『本当はひどかった昔の日本―古典文学で知るしたたかな日本人―』
2016/10/23 22:32
本当はひどかった昔の日本―古典文学で知るしたたかな日本人― 大塚ひかり 新潮文庫 2016年



「昔の日本は素晴らしかった。それなのに、現代の日本と言えば…」と言われることは多いが、本当にそうなのであろうかと、古典文学を紐解きながら意義を唱える本である。なんてことはない。古典文学に描かれている時代であっても、育児放棄や殺人はあった。また、現代以上に弱者に否定的で、女性に対する見た目重視発言が許されてもいたのだ。およそ現代人が考え得る残酷な事件や問題は、過去の時点で既に存在していたというのが、筆者の意見。読むと単純なノスタルジーに浸ることがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、実感できる。

しかし、本書の魅力はそこだけではない。解説を書いている清水義範氏も言うように、古典作品から現代を考えるというのが本書のメインテーマであっても、語りの中に古典文学の魅力がしっかりと取り入れられていて、自然と読者が古典文学に興味を持つように書かれているのだ。

こんな文章を高校時代に読んでいたら、古典文学の魅力に気付けただろうなという思いを抱いた。でも、思春期に扱うにしては、内容がアダルトだったりヘビーだったり繊細だったりな気もするし、仕方がないか。
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# 『ポエムに万歳!』
2016/10/09 09:20
ポエムに万歳! 小田嶋隆 新潮文庫 2016年



実は、表題となっている「ポエム」に関する論考は、第1章の半分に過ぎず、残りは別の内容のコラムをまとめたものである。「ポエム」とは、身の回りに溢れる、恥ずかしげもなく自分語りに没頭したフレーズのことである。筆者は、それが蔓延する現代日本のおかしさについて語っていくのだ。実際のところ、筆者自身が指摘しているように、「ポエム」と詩の境界は非常に曖昧である。広告に用いられるフレーズや、J-POPの歌詞でさえ、「ポエム」になりえる。あまり正確な定義がなされていない言葉を利用して語るというのもちょっと…という気はするが、言いたいことはわかる。過剰な感情表現や感動を狙ったような言葉の数々には、何か胡散臭いものを感じることはあるものだ。この異常なまでの感情的な自分語りについては、かつてテレビ番組が居酒屋甲子園の様子を映した映像とともに、ポエム化する社会を異様なものとして報じていた。バイトに「成長」や「仲間」を見出すことで、ブラックバイトと言えるような現状をあえて肯定するような、異様な雰囲気を感じたのを覚えている。

ポエム以外の論考では、ネットの発達による、嫉妬が表立って渦巻くようになった社会や、事実無根の誹謗中傷が与える影響の大きさ、食品偽装が生じる原因などがある。筆者本人が言うように、コラムに求められる、一般とはちょっと違った視点に満ちた論考には、なるほどと思わされる。ポエムの論考が1冊になっていると勘違いして購入してしまったのだが、むしろポエム以外の論考で十分楽しませてもらった。

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# 『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』
2016/09/18 16:36
目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか 伊藤亜紗 潮新書 2016年



今年は、オリンピック・パラリンピック開催の年ということで、いつもより障害について知る機会が多い。本書は、その中で特に視覚障害の分野に絞って、アスリートたちがいかに身体を使っているのか、インタビューの中から見出していくものである。

本書で扱われる視覚障害スポーツの中には、サッカーや陸上、水泳という晴眼者にも馴染みのスポーツを視覚障害者用にルール変更した競技と、視覚障害者以外にはあまり馴染みのないゴールボールという競技がある。出場する選手へのインタビューを通して見えてくる、視覚障害スポーツならではの独自のルールや、アスリート達の独自の身体の使い方に迫る。

あくまで、視覚を利用できないということは、競技の中での「制限」であって、「障害」とは捉えないのが、本書の立場。そうすることで、視覚以外の感覚にはどんな使い道があるのか、意外な事実がわかってくるのが、本書の醍醐味である。

競技中は、限られた範囲のフィールドで、明確なルールのもとで動くので、一見ぶつかったり転んだりといった危険に曝されているスポーツも、街中と比べればはるかに予測可能で危険が少ないという。この考え方は新鮮でかつ、なるほどと思ったものだ。各競技の簡単な解説があるのも、役に立つ。

結果的には、本書に登場する選手の中からリオデジャネイロ大会メダリストが生まれることとなった。彼らのインタビュー記録という貴重な資料の役割も担うことになった。

CATEGORY [ 障害 ] COMMENT [ 0 ]
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# 『女子高生アイドルは、なぜ東大生に知力で勝てたのか?』
2016/09/03 22:52
女子高生アイドルは、なぜ東大生に知力で勝てたのか? 村松秀 講談社現代新書 2016年



NHKのゆるい科学番組「すイエんサー」は、アイドル・女優の女子中高生から成る「すイエんサーガールズ」に、日常のふとした疑問を解決してもらうという番組である。収録時間に制限はなく、台本もない、徹底的に考え抜いてもらうことを大事にした構成になっている。そんな番組でいつの間にか名物となったのが、難関大学の学生とすイエんサーガールズが知力を競い合うガチンコバトル、「知力の格闘技!」である。紙で作った橋の強度や、紙で作ったタワーの高さを競い合うといった勝負で、すイエんサーガールズは東大や京大といった国内最高学府の学生に勝利するという大番狂わせを演じてきた。本書は、これまで「すイエんサー」で扱ってきた問題を振り返りながら、知力とは何かという問いに迫るのものである。

「すイエんサー」で扱う問題の多くは、時にどうでもよいと言いたくなるが、しかし気になる問題である。例えば、「バースデー・ケーキのろうそくの火をひと吹きで消すにはどうすればよいか」や、「どうして足の小指をよくぶつけるのか」などだ。このような問いにも科学的な答えはあるもので、すイエんサーガールズは毎週必死でその答えに向かって頭を働かせるのだ。筆者は、それを「グルグル思考」と定義し、物事を柔軟に考える秘訣だと言う。

難関大学の学生との対決を見るにしかり。その思考力は確実に力を発揮する。すイエんサーガールズが東大や京大の学生相手の勝負に勝っていく姿はなかなか爽快であり、彼女らの柔軟でかつ優れた思考に驚かされるばかりである。ここから筆者は、たった1つの答えを求めたり、知識を覚えさせるだけに偏りがちな現代の教育の問題点にも言及していく。

もちろん、これらの勝負の結果を受けて、難関大学の教育が間違っていると言うことはできないであろう。ただ、組織の中に多様な思考があった方が、組織としてプラスなことが多いのではということは思った。すイエんサーガールズが大切にしているのは、とにかく手を動かして思考錯誤を繰り返すということ。つい理論面だけで動こうとしてしまう難関大生のやり方とは対照的である。きっと、両者の思考がうまく融合した先に、独創的で希望に満ちた知性があるのではないかと思う。

CATEGORY [ 教育 ] COMMENT [ 0 ]
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# 『最下層女子校生 無関心社会の罪』
2016/09/03 22:15
最下層女子校生 無関心社会の罪 橘ジュン 小学館新書 2016年



精神的、肉体的虐待に性的虐待、教育虐待、いじめ、そしてそれらの結果として生じる貧困状態… 10代や20代の女子が抱える生きづらい現実についてまとめたルポルタージュ。

いつの時代も、社会のゆがみや矛盾は弱い者のところにしわ寄せとなって現れる。本書で紹介される若い女性も、皆そのような社会の中で苦しい立場に押し込められた人である。各々のケースについて読み進めていくと、「なぜこのようなことに」という衝撃と怒りを感じられずにはいられない。

また、このような女子の受け皿となっている児童相談所、自立支援ホーム、婦人保護施設の現状がまとめられているが、このような施設に対する支援は手薄で、婦人保護施設に至っては拠りどころとなる法律が60年間ずっと変わっていないという有り様である。施設で働いている方々は、何とかしたいという切実なる思いで仕事に向かっているのだが、それだけでは限界を感じる。

ラストには、著者と漫画家、沖田×華の対談がある。沖田氏は、これまた本書に登場する女子達に引けを取らないほどに苦しい人生を歩んできたにも関わらず、その境遇をしたたかに乗り越えてきた。その強さに圧倒されるばかりだ。今苦しんでいる女子が真似できる生き方とは言えないが、苦しみからどう抜け出そうとするか、どう考えて生きるか、そして生き抜いた先に何が待っているか、といった問いに対する1つの答えを示してくれているように思う。

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# 『ストーリーメーカー 創作のための物語論』
2016/08/28 13:11
ストーリーメーカー 創作のための物語論 大塚英志 星海社新書 2013年



物語が物語たり得るには、物語としてのパターンを備えている必要がある。それがなければ、物語は破綻しているように見られてしまう。では、そのパターンと呼ばれるものは、作家の専売特許かと言うと、そうではないとするのが本書の立場である。物語には一定のパターンがあり、それは誰でも習得可能なものであると筆者は言う。物語のパターン、すなわち物語文法を使って、実際に物語を制作してみようというのが本書である。

帯には「読むな、使え。」の文章があり、これはあくまでも何かしらの作品を書きたいと願う人間を読者として想定し、また、そのような人間に実践しながら利用してほしいという意図のもとに書かれたものである。だから、そうでない人間が読むだけで終わらせてしまうのは、筆者の願いとはかけ離れた利用法で恐縮なのだが、本書は物語論入門書として非常に興味深く読めるものなのだ。構造主義的な思想から生まれてきた物語形態学や、精神分析の分野から出てきた神話の分析など、思想の背景や形は違えど、これらの物語論は、大きな枠組みにおいては一致している。そして、このような物語の類型法を知っていると、文学作品から宮崎アニメ、ハリウッドに至るまで、多くのエンターテインメント作品が物語文法に忠実に従っていることがわかる。後半の実践編では、実際に物語文法を使って物語を書いてみようと試みた学生の物語創作の過程もわかって興味深い。

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# 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』
2016/08/28 12:40
早慶MARCH 大学ブランド大激変 小林哲夫 朝日新書 2016年



首都圏の難関大学を括る用語としてすっかり定着している、「早慶」と「MARCH」。「MARCH」の呼び名は1960年代に生まれたもので、まだまだ年配の方々には馴染みがないかもしれないが、大学受験の経験者の間では徐々に常識にまでなりつつあるように思う。首都圏の進学校では早慶やMARCHにそれだけ合格者を出すかということが、学校の実力を表す指標となっている部分もある。また、早慶MARCHレベル以上の大学に受かって一定レベルの学歴を手に入れたいと望み、頑張って勉強する受験生も多いのではないだろうか。本書は、これだけのネームバリューを獲得した早慶MARCHについて、様々な観点から迫り、その実態を明らかにしようとしたものである。教育内容・強い分野など、各校を特色づけると言える要素がずらりと並び、比較対照されている。

実は、早慶MARCHの各校に息づく伝統や特徴はかろうじて残っている部分もあるが、現実的には各校の差はどんどんなくなっているようにも思えてしまう。年配の世代がMARCHという言葉にあまり馴染みがないのと同じくらい、現代の受験生は「バンカラ」といった言葉に馴染みがないのではないだろうか。また、総じてどこの大学でも国際系学部は同じ大学の中でも異次元の様相を呈しているようで、同じ「○○大学」と一括りにすることに意味を感じられなくなっている面もあろう。

もちろん、親世代としたら、当時の常識が通用しないほどの学部・教育内容・校風の変化があるだろうが、その変化はどうも均一化の方に向かっているような気がする。間違いなく日本の中でも大きな地位を占めている大学だけに、早慶MARCHという集団の中で勝負するのではなく、もっと大きな世界に目を向け、独自の路線を模索してもらいたいなと思ってしまった。

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# 『推定少女』
2016/08/08 17:06
推定少女 桜庭一樹 角川文庫 2008年



大人であれば誰もが持っていた、思春期の感情。大人への反感や、自分が生きる社会への不満と不安を持ち、身近な友人関係にも気を遣って生きる。そんな時期の気持ちをふと思い出したくなる時に読むのが、この本である。

主人公の巣籠カナは北関東に暮らし、高校受験を控えて胸の内に将来への不安を抱えながらも日々を漫然と過ごしていた。ところが、突如父親殺しの疑いがかけられたと思ったカナは、家を出て逃走する。その途中で出会った謎の少女、白雪とともに秋葉原に逃亡し、謎の追手から逃げる。逃亡の過程で、2人は友情を深めていくのだった。

本書には、新春期の頃に感じる、あの不安や反抗心が本当に鮮やかに描かれていて、心が揺さぶられる。一方的に大人の価値観を押し付けてくる大人のことはもちろん嫌いだが、かといって、「あなたの気持ちはよくわかる」と言って近づいてくる大人も嫌い。そんな思いが滲み出てくる描写に触れるたび、自分がまさに新春期を過ごしている時に、この本に出会えていればなあと思ってしまうのだ。

私が特に好きなのは、逃亡中のカナ達の姿を見て、「楽しそうで、悩み事なんてなくて」と形容した20歳くらいの女性に対して、白雪が「15歳だったときの自分に」謝るようにと詰め寄る場面だ。人間誰しも、今が大変で辛いと思ってしまうもので、あの頃の苦しみも、やがては薄れてしまう。カナ達は誓う。あの頃の自分の感性を忘れることなく生きていこうと。これは15歳の決意であると同時に、大人に対する「あの頃を忘れないで」というメッセージでもあると捉えている。

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# 『東京どこに住む? 住所格差と人生格差 』
2016/08/07 17:02
東京どこに住む? 住所格差と人生格差 速水健朗 朝日新書 2016年



かつてないほどに、都市、特に東京への一極集中が続くと言われる世の中において、東京での暮らしはどうなっているのかを分析してみると、今までにない新たな法則が打ち出されてくる。それはすなわち、23区の皇居から5km圏内への人口集中と、そこから外れた地区の没落傾向である。そのような傾向が生まれた背景を分析するとともに、住む場所探しの最新トレンドに迫る。

「西高東低」と言われる東京の居住地人気は、長きにわたってのトレンドである。収入のある人々は武蔵野台地に開発された西側地区に高級住宅地を形成し、郊外の暮らしを謳歌した。しかし、近年、新たな暮らし方がトレンドとなりつつある。それは、都心への通勤負担の少なく、都心生活を謳歌しやすい地域、具体的には港区・千代田区・中央区といった、あまり住宅地としてのイメージがなかった地域や、山手線のやや東側にある通勤至便の地域に人が住み始めていることである。

本書では、そのような都市型生活を選択した人々や、あえて郊外生活を選択した人々の事例を紹介することを通して、住む場所の選択が生活に及ぼす影響についてまとめている。ここで紹介されるのはあくまで世の中の「強者」であろう。望めば高いお金を払っても住居を選べる人々だ。だから、これが世の中全体の傾向とは言えない部分もあるが、少なくとも世の中の上位階層の人々は、このようにして住居を選択しているということはわかる。

本書を読んでいると、住居による新たな格差社会を想像せずにはいられない。都市部への移動が不可能な人々は、地元を愛し、地元で十分と考える「ヤンキー経済」的な考えでもって自分の生活に納得していくしかないのか。

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# 『アニメやマンガが地方を救う!! ~「聖地巡礼」の経済効果を考える~』
2016/07/03 19:24
アニメやマンガが地方を救う!! ~「聖地巡礼」の経済効果を考える~ 酒井亨 ワニブックスPLUS新書 2016年



アニメ・漫画作品の舞台となっている土地を訪れることを、ファンの間では「聖地巡礼」と呼んでいる。近年、聖地巡礼を通して活力を取り戻す商店街が出てくるなど、その効果はバカにできないほどになっている。本書は、政治学が専門の筆者が、聖地巡礼の実態について各地域に取材した記録をまとめ、そこから聖地巡礼を通した地域の活性化について考察をめぐらせたものである。

聖地巡礼を機に活性化し、アニメファンとの良好な関係を築いている地域では、アニメファンの特長として次の点を共通して挙げている。それは、マナーが良いのと、何年にもわたって訪れてくれるという点だ。これは、地域活性化のために利用しない手はないのではないかと思うのだが、現実はなかなか厳しい。作品の評価が低ければファンが押し寄せることは期待できず、地元が一致して取り組まなければせっかくの客を取り込めず、だからといって行政が出過ぎるのはファンが白けてしまう。本書には一応、経済効果について数字も紹介されているが、どこまで正確なものであるのかはわからない。まだまだ可能性に満ちている一方で、開拓の難しい面も多い分野なのだ。

それでも、本書で紹介されているように、地域が自らの存在意義を見直し、元気を取り戻していくという、数字化されにくい利点もある。まだまだ開拓の余地ある分野だけに、これをどう活用していくか、議論される地盤ができあがっていくことに意味があるのではないかと思った。

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