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# 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
2016/01/04 00:28
目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗 光文社新書 2015年



視覚障害者と晴眼者の間には、世界の把握の仕方にどのような違いがあるのだろうかというテーマに関して、身体論の観点から切り込んでいった本。全体に通じているのは、視覚に頼らないからこそ晴眼者とは違った身体の使い方や、思いもよらぬ物の見方をしているのが視覚障害者であるという考え方だ。そして、そのような視点を面白いと感じることで、晴眼者にとっては「見る」という行為の意味が問い直されていくのだ。果たして、人間は視覚のみに頼って「見る」という行為を行っているのか。視覚で得た情報は「百聞は一見に如かず」と言えるほどに信頼を置けるものなのか。本書で紹介される視覚障害者の空間把握や運動の方法を知っていくにつれ、無意識のうちに抱えていた視覚優位の発想に対して次々と疑問符が打たれていく。

障害を抱えた人が生きやすい社会にするには様々な支援が欠かせないのは当然のことと認めつつ、筆者は最後に大切な視点を提示する。それは、障害者と健常者の違いを埋めようとするのではなく、違いを面白いと感じ、うまく活かしていく社会の重要性である。常に健常者が何かをしてあげて、障害者にも同じことができるようにするという発想をしていては、本当の意味での共生はできないのではないだろうかと、筆者は訴えかける。本書で取り上げられている、絵画を言葉で表現して作品の意味を探る試みなどは、まさに視覚障害者と晴眼者が同じ土俵でそれぞれの特長を活かして創造的な活動をする取り組みである。

哲学的な観点から述べる身体論というと、何だか取っつきにくいという印象である。しかし、視覚障害を分析の道具に使うことで、人間の知覚に関する新たな見方を得られ、さらには共生社会のあるべき姿まで考える材料を得られる。人文社会系の学問を軽視するという昨今の風潮に対して、文系の学問の意義はここにありきと示せる価値ある1冊だ。
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# 『攻撃的サッカー 0トップ型4-3-3の時代』
2015/12/29 16:23
攻撃的サッカー 0トップ型4-3-3の時代 杉山茂樹 PHP新書 2015年



2014年のW杯で予選敗退となり、ザッケローニ監督の解任、更にはアギーレ監督の解任という監督交代劇を繰り広げ、迷走する日本のサッカー。本書は日本サッカーの根本的な問題点に「FWの決定力不足」という一般論とは異なる、布陣という視点で切り込んでいったものである。

筆者によれば、日本のサッカーは布陣の面でははるか昔の様相を呈している。メディアなどで公開される先発布陣は、流行りの4-2-3-1や4-3-3であっても、その布陣としてのサッカーをするのではなく、中央に人が寄った単調なものになってしまう。攻撃といえば、相手ディフェンスが蔓延る中央を突破するしか能のない強者の戦術、かつシュートに高度な技術を必要とする方法しかない。対して、世界の強豪クラブやW杯の上位国はというと、日本とは全く逆にサイド攻撃を重視し、ペナルティーエリア付近から鋭角の折り返しパスを出してシュートに結び付けるという、決定力の必要ないゴールを生み出す戦術を採用しているというのだ。筆者はそれを「0トップ型4-3-3」と名付け、今のところ決定的な弱点のない布陣であるとまで言う。

このような世界的にはブームとなっている「0トップ型4-3-3」布陣を支えているのは、各選手の戦術理解と、ポジションに求められる役割をきちんとこなす規律である。つい中央に寄ってしまうスター選手など、布陣の中の1人としての役割を果たさない選手に対しては、監督は戦術面の理解を促して厳しく修正を迫る。その中で、各選手は自らの役割を見出していくのだ。なるほど、これでは日本のサッカーは敵わない。筆者がかつて4-2-3-1 サッカーを戦術から理解するで主張していたように、日本のサッカーはあくまで布陣ではなく選手のキャラクターによって戦術を組み立てていく伝統が深く根付いている。こんなことではいつまでも布陣に必要な選手を育てるという発想が生まれるわけがない。

思えば、W杯で最高の結果を残した南アフリカ大会は、直前になって監督が「0トップ型4-3-3」を採用し、戦術変更に伴って急遽レギュラーメンバーとなった選手達が、その布陣の中で自ら求められる役割を果たそうとしたからこそ、うまくいったのかもしれない。確かに結果論ではあるのだが、そう思わずにはいられない。日本サッカーが進歩するためには何が必要か。真剣に考えなければ、これ以上の進歩は見込めないように思う。

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# 『甦る教室―学級崩壊立て直し請負人―』
2015/12/29 15:20
甦る教室―学級崩壊立て直し請負人― 菊池省三・吉崎エイジーニョ 新潮文庫 2015年



福岡県北九州市。そこは、並大抵の教員ではとても務まらないくらいに教育が難しい地域であるという。その地の小学校で21年間戦い続け、数々の学級崩壊クラスを立て直し、メディアに登場するまでにもなった菊池先生の教育実践や教育思想をまとめたのが本書である。他人を顧みない自分勝手な行動、他人に対する無知から生じるいじめや問題行動など、様々な課題を解決するために菊池先生が編み出したのが、言葉を大切にした教育であった。生徒一人一人が皆から良いところを見つけて褒められる経験をする「褒め言葉のシャワー」や、自分なりの課題や成長記録を収めたノートの作成など、言葉の力を信じて取り組んだ実践と、それによって心を変化させていく生徒達の姿が紹介されていくにつれ、教育の力が持つ可能性が感じられる。

菊池先生自身は、褒めることを大切にした教育の実践者ではあるが、共著の吉崎氏が語るところによると、とんでもなく厳しい面を持ち併せた教師でもある。特に、価値観の変化が猛スピードで進み、うっかりするとすべての価値が相対化され、何が良くて何が悪いのかの基準を見失いそうな世の中だからこそ、「ダメなものはダメ」と言い切ることの大切さを訴える強さには脱帽だ。それでいて、殊のほか若い頃は子どもに交じって無邪気に遊べる人でもあったようだ。まさに菊池先生本人が述べている、教育において1人の人間が父性・母性・子どもらしさの3つを持つことの大切さを見事に体現しているのである。

ご自分のお子さんの子育てでは苦労したことも多かったらしく、子育てエピソードにおいては、また別の菊池先生像が垣間見えるのが面白い。教育関係者だけでなく、子育てに携わる人にもお勧めできる本である。

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# 『不可能を可能に 点字の世界を駆けぬける』
2015/12/29 14:25
不可能を可能に 点字の世界を駆けぬける 田中徹二 岩波新書 2015年



20代で失明し、様々な人との出会いを経験し、やがて日本点字図書館の館長となった方によるエッセイ。晴眼者の立場からは見えてこない世界に暮らす人として日々感じることや、日本点字図書館の歴史、そこで働く人やボランティアの方々の活躍にまで触れている。

晴眼者からは思いもよらないような視点や苦労がとてもよく伝わってくる。駅のホーム転落防止柵がいかに重要であるか、駅前の放置自転車が視覚障害者にとってどれほど迷惑なものであるかなど、その立場の人からの言葉には重みがある。特に、放置自転車の列を倒してしまったときに感じるイライラ、そのせいで手伝ってくれた人に対しても素直にお礼を言えなくなってしまうもどかしさについて述べていた個所は印象的であった。

日本は何となく欧米、特に北欧の国々と比べて福祉面に遅れのある国という印象があったが、著者によれば、日本の視覚障害者に対する配慮は世界の中でもトップクラスだという。特に、電車の駅のホーム転落防止柵や、点字ブロックといった設備は世界でも有数の充実ぶりだという。点訳の作業は圧倒的にボランティアに頼っているなど、まだまだ不十分なことはいくらでもあるだろうが、日本の福祉についてまた新たな見方を得たように思う。

著者はもう80歳くらいの方であるが、そうとは思えないほどに情報技術に対する情熱を持っていて、使える技術は何とかして役立てようという意欲には感服する。実際、本書も音声画面読み上げソフトというものを用いてほぼ一人で書き上げたものである。人工知能の発達により、情報技術がすさまじいスピードで進歩している現在こそ、その技術を視覚障害者のために用いる方法を見つけ出す人材も求められているように感じた。

日本点字図書館の発展にまつわる話や、途上国支援の話など、その他内容は多岐にわたる。著者がここまで視覚障害者として生きてきた経験や軌跡がいっぱいに詰まった内容に、心を震わされた。

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# 『女子学生はなぜ就活で騙されるのか 志望企業全滅まっしぐらの罠』
2015/12/01 22:01
女子学生はなぜ就活で騙されるのか 志望企業全滅まっしぐらの罠 石渡嶺司 朝日新書 2015年



「女性総合職は実質まだ10年」―これが、本書の序盤で指摘されている点である。まだまだ日本社会に定着したとは言いづらいのが女性総合職であり、それゆえに女性の就職活動においては総合職をめぐる誤解や悩みが多く存在するようだ。キャリアを考えるうえで選択肢が多くなったように思えても、実は企業が期待する人物像とは程遠い人間になっていたり、結婚や子育てとの両立で悩んだりと、現状は依然として厳しい。

本書では、実際のところ男性であっても当てはまるような就職活動の成功体験や失敗談を扱っている。それを通して、就職活動の実態や大学生の多くが持つ勘違いについて、企業や大学への取材に裏打ちされた分析を試みている。最終章の内容は女性ならではの就職活動、その後のキャリアの難しさについて扱っているが、全体的には就職活動を控えている人なら読んで損のない内容である。

読んでいて思ったのが、日本企業の伝統である総合職採用という方式が、今後どこまで生き残るのかということだ。「何でもやります。どこへでも行きます」の精神を基本とした採用方式は、企業が社員のキャリア決定に大きく関わるものである。専門を活かして自らキャリアを形成することを基本とする欧米の視点からするとあり得ないとよく言われる。女性の活用を大々的に掲げるのであれば、総合職の概念自体見直しが必要なのかもしれない。

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# 『受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る』
2015/11/29 21:02
受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る 林修 集英社文庫 2015年



今や大変な有名人となり、テレビにも出ずっぱりの東進の林先生が語る受験論。受験を人生に必要な経験を得るためには絶好の機会と捉え、受験の話題を中心に教育に関して縦横無尽に語る構成は、もはや受験という領域を超えた林流教育書とも言える。

受検1か月前に必ず語るという受験生へのメッセージなど、受験から学べることはたくさんあるという意見はもちろんのこと参考になるが、本書は案外それ以外のやや脱線した話にこそ、林先生の思想や生き様が詰まっていて面白い。友達が多いかと聞かれて、そもそも友達は必要かと返すやり取りなど、血の通った林修という人物がよく見えてくる。

受験がテーマでありながらも、勉強だけでない様々な分野の大学があって良いという意見や、東大に飛び入学を導入すべきという意見など、教育全体に対する問題提起も見逃せない。また、エリート校を通過して、現在エリート達を教育しているからこその東大賛辞、東大批判は、なるほどと思わされる。受験論という枠には収まりきらない教育書である。

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# 『「日本人」という、うそ―武士道精神は日本を復活させるか 』
2015/11/27 18:49
「日本人」という、うそ ─武士道精神は日本を復活させるか 山岸俊男 ちくま文庫 2015年



組織による隠蔽や不祥事が生じるたびに言われるのが、「モラルの崩壊」といった言葉である。そして、モラルの復活には、かつての古き良き日本が持っていた心を取り戻すべきであるといった議論が往々にして行われている。現在の教育改革の動向においても、識者の発言にしても、武士道に由来する精神を涵養すべきとする意見は根強い。しかし、それは正しい方策と言えるのだろうか。そのような疑問を原点に、社会心理学の観点から日本が現在抱える問題の所在を明らかにし、将来日本が選択すべき道について考えるのが本書のテーマである。筆者は、心の持ちようを変えるべきだという議論を「精神論」として切り捨て、実証的な研究に基づいた、人間の心の性質に合った方策の必要性を訴える。

日本人は集団主義的で、欧米人は個人主義的であるという、誰もが疑うことのなさそうな前提をも覆す筆者の主張、それを裏付ける実験の数々は非常に興味深い。後半では、日本の思想の原点にある統治者の倫理と、西洋の思想の原点である商人の倫理についても触れている。これら2つの思想が入り乱れて「いいとこどり」される危険についても論じており、単なる社会心理学の枠を超えた日本社会論になっている。

本書のもととなる書籍が発売されたのは実に7年前のことであるが、現状がそれより良くなったとは言い難く、相変わらず精神論で何とか日本を支えようという思考は変わっていないと思う。このような社会状況の中、本書の存在意義は大きい。

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# 『AIの衝撃 人工知能は人類の敵か』
2015/11/23 17:24
AIの衝撃 人工知能は人類の敵か 小林雅一 講談社現代新書 2015年



機械=単純作業と計算の優れているが、融通が利かず複雑な思考はできない
人間=柔軟性に富み、複雑な思考が可能である

このような二項対立的な図式は既に過去のものとなり、コンピュータの進化が人間の雇用や生存まで脅かす可能性が議論される時代に突入しようとしているが、現状である。本書は、最新のAI技術のしくみや、それが今後の社会にどのような影響を与えているのかについて扱ったものである。最新のAI搭載ロボットは、もはやNHKの「ロボコン」に登場するようなものではない。お掃除ロボットに代表されるように、人間が操作せずとも「自ら考え」行動する力を身につけているのだ。

機械学習の研究が進んだ今、画像認識の技術は格段に向上し、その成果は自動運転車の導入を待つレベルにまで来ている。また、グーグルなどが一刻を争って進めているIoT (Internet of Things)など、私たちの生活の行動を記録したデータを収集し、AIが勝手にデータ分析を進め、それを商機に活かすというビジネスモデルが生まれてきている。

これまでの常識を超えた事態に対して社会はどのように向き合っていくべきなのか、容易に答えは出そうにない。しかし、少なくともこれらの知識を持ったうえで今後の動向を見守ることは大切であると思う。


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# 『スクールカーストの正体 キレイゴト抜きのいじめ対応』
2015/10/18 17:53
スクールカーストの正体 キレイゴト抜きのいじめ対応 堀裕嗣 小学館新書 2015年



もはや人口に膾炙した感のある「スクールカースト」という言葉だが、それが具体的に何を指し、何を基準にして決定されていくのかについては、あまり語られない。本書は、ずばり決定要因はコミュニケーション力であるとして、スクールカーストという視点を抜きにして語ることのできない教育現場の問題点に迫っていく。

現在、学校で起こるいじめや暴力事件などの問題行動は、スクールカーストという視点を通さなければ本質的な解決策を講じることができないというのが、筆者の意見である。本書で議論の題材となる、筆者が現場経験を基に独自に作った事件は、いずれも「なるほど」と思える事例で、いかにスクールカーストへの理解がなければ解決からほど遠い対応になってしまうかという怖さを感じざるを得ない。

現場の教員の手による本だからこその画期的な点は、これまでの著作が見逃してきた、教員も自らスクールカーストの一員として学級の序列に組み込まれるという視点と、現場の教員がどのようなことを意識して協力体制を敷いていくかという視点である。

筆者によれば、教員自らも、生徒と同じようにコミュニケーションの力によって8タイプに分類され、分類の序列によってスクールカーストに組み込まれるからこそ、教員のカースト次第でクラスの規律が維持されることもあれば、学級崩壊につながる恐れもあるという。教員の立場からすれば恐ろしい話であるが、教員が日々生徒と接する際にどのようなことに気を付ければ良いのかがなるほどと見えてくる点では目から鱗の話である。

また、教員の性格を父性型・母性型・友人型の3タイプに分け、学校あるいは学年全体でバランスを取った指導をしていくという提案は、非常に納得のいくものであった。父性型の教員は、コミュニケーション力において大事な要素である自己主張を持って指導を行う分、いじめや生徒指導において無類の力を発揮するが、カースト下位の生徒に対する対応が必ずしも得意ではない。それに対して、優しすぎる先生になりがちな母性型や友人型の教員は、カースト上位の生徒の扱いに苦労することが多いが、カースト下位の生徒の指導を得意とする。このような教員の特徴を活かしつつ、皆で一丸となって指導に当たることが大切だという意見に共感した。

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# 『教育委員会―何が問題か』
2015/10/16 17:28
教育委員会―何が問題か 新藤宗幸 岩波新書 2013年



誰もが教育委員会という組織の名前は知っていても、それがどのような組織で、日本の教育にどのような影響を及ぼしているのかは、案外知られていない。本書は、教育委員会に関わる問題点を指摘し、さらにはそこから見えてくる日本の教育に根付いた問題であるタテの行政系列についても取り上げ、日本の教育問題の改革に向けての提言も行うものである。

地方教育委員会の背後にある都道府県教育委員会の影響力、さらにはその上の文部科学省の影響力を知らずに教育委員会について語ることはできないというのが、本書を読むと痛切にわかる。「教育を市民の手に委ねるために教育委員会を廃止せよ」、あるいは「教育委員会は行政との独立性を維持するために存続すべき」といった両極端な意見も、筆者の指摘する、日本社会に蔓延るタテの行政系列を考慮しないことには、いずれも考慮するに値しない。教育委員会の問題は、日本の教育をどうしていくかという問題とは切っても切れないのだ。

教育委員会に関する考察から見えてくるのは、日本の教育が抱える制度的な問題なのである。

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