忍者ブログ
# [PR]
2025/02/02 12:23
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


CATEGORY [ ]
pagetop
# 『図ですぐわかる!日本100大企業の系譜』
2015/03/01 15:10
図ですぐわかる!日本100大企業の系譜 菊地浩之 メディアファクトリー新書 2013年




よく、歴史とは過去を通して現在を知るために必要なものだと言われる。本書はまさにそのような考えを体現している。筆者の「はじめに」でも書かれていることだが、業界の地図や人気ランキング、日々飛び込んでくるニュースは、あくまでも現在を取り上げているにすぎず、時にそれは表面的な現象をまとめただけになってしまいがちだ。

本書は、企業の歴史をたどることを通して、表面上で起こっていることの裏にある背景を知り、現在の企業についてよりよく知ろうという意図によって書かれたものである。思わぬ企業同士の関係も、過去の財閥や政府主導で進めた政策についてわかると、容易に理解できるものである。世の中に対する新たな見方を与えてくれる1冊だ。
PR

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『それをお金で買いますか──市場主義の限界』
2015/01/04 22:38
それをお金で買いますか─市場主義の限界 マイケル・サンデル 鬼澤忍訳 ハヤカワ文庫2014年



お金を払うことで行列に割り込める制度は今後浸透していくかもしれない。USJでは早く乗り物に乗りたい人のためにユニバーサルエクスプレスパスという有料のパスポートが販売されている。また、近年スタジアムや球場、野球のチームの命名権が売られている。いつの間にか慣れ親しんだスタジアムの名前が変わっていて驚き、どこか寂しい気持ちになった人もいるかもしてれない。再出発の横浜ベイスターズは、辛うじて「ベイスターズ」の名を残したが、報道機関に載る通称名としては「DeNA」となってしまった感がある。このように、様々なものが商品化し、経済という枠組みの中に入れられているのが昨今である。

別に、自由主義経済的な論理からすれば、これらの事象は歓迎こそされ、批判はされない。エクスプレスパスは時間という希少価値のあるものに対価を払う行為と考えれば、誰も損をする人はいない。命名権の売買によって地域のスタジアムが維持され、野球チームが生き残りの道を示されるならば、スポンサーにとってもスポーツファンにとっても、これほど良いことはない。

しかし、本当にそれは妥当なことなのだろうか。例えば、それほど裕福でない人はUSJで長い列に並ぶ以外の選択肢は考えにくい。富の多寡によって、選択肢に差が出てしまうのは公正と言えるだろうか。また、スタジアムの命名権を競売にかけることに何の問題を感じないという人でも、もしも駅や公園、学校の命名権が競売にかけられたら、どう感じるだろうか。どこか納得のいかない思いに駆られるのではないだろうか。

本書は、後者の問題、すなわちどこか納得のいかない思いを「腐敗」、価値を卑しめ、侮辱する行為から由来するものとして扱い、道徳的な観点からの考察を試みる書である。日本以上に商業主義の進んだアメリカでは、現在の日本では売買の禁止されているものや、そもそも売買しようなんて思いもつかないようなことまでもが市場を通じて売買されている。安価でクラシック音楽を楽しんでもらうための音楽会のチケットが高値で売買されたり、子どもの命名権を競売に出したりといったことが世間で大きく問題になるくらいの国である。それ以外にも豊富な事例を知っていくうちに、経済的な思考だけでは解決できない問題があることが身に沁みてわかる。

もちろん、日米双方に当てはまるような事例は枚挙に暇がなく、同じように収拾がつかなくなりつつある問題はあるように思う。だが、まだ現時点ではアメリカほど商業主義が隅々までは浸透していない日本であるからこそ、考える余地はたくさん残されているように思う。戻ってこられないところまで行ってしまう前に、経済現象について道徳という観点から検討する機会が設けられるべきであろう。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学』
2014/09/03 17:36
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 パコ・アンダーヒル(著) 鈴木主税・福井昌子(訳) ハヤカワ文庫 2014年



人々の買い物行動を観察し続けて得られたデータを基に、数々のクライアントの店の販売実績を上げてきた著者が、そのノウハウを公開した本。売り場が狭くて他人のお尻がぶつかると買い物の気が失せる、かがまないと取れない商品をお年寄りに売るのは無理な話であるなど、気付きそうで気付かない顧客の行動理論は、そのどれもが面白く、なるほどと思ってしまう。

インターネットを通した通信販売が大きく伸び、いわゆるリアル店舗を圧迫し続けている昨今ではあるが、著者からすればインターネットの影響など大きくないという。実際に見て触って、納得して買うのがショッピングであるとするのが筆者の理論だからだ。もちろん、近年はリアル店舗で実物を拝見した後、ネットでそれよりも安い価格で買うという行動も見られるだけに、店の実情はより厳しいであろう。しかし、本書の至るところに散りばめられた店舗の工夫に関する記述は、店舗を持つ者にとって大いに参考になるであろう。また、ここにリアル店舗が苦境を脱するヒントがあるようにも思う。

流行りの行動経済学とは一味違った、むしろ手法は非常に地味な消費者行動の分析だが、ここまで様々なことがわかるものなのだと感心してしまった。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『就活のコノヤロー』
2014/03/18 14:37
就活のコノヤロー 石渡嶺司 光文社新書 2013年



前著『就活のバカヤロー』から6年の歳月が過ぎた。その間、大学生の就職活動をめぐる状況に変化は訪れたのだろうか。以前と同じく、学生・企業・大学・就職情報サイトの立場からの現状をリポートした本。

本書を読んでみると、現状としてはさほど変化していないのではないかという感想を持った。しかし、じわりじわりと変化してきている部分もある。例えば、就職活動の後ろ倒しに関する議論は今後も当事者にとっては見過ごせない大きな問題であろう。歴史的背景も踏まえた解説によって、就活開始時期を設定することの難しさがよくわかる。グローバル人材に対する関心の高まりも、この6年間での変化といえるであろう。

また、良い方向への変化もある。「バカヤロー」と叫びたくなるような状況だった6年前から、工夫を重ねて採用活動に成功している企業もある。自らの特性をうまく利用して成功する学生もいる。本書の随所で触れられているように、世間の不条理さに負けずに戦い抜いていくのが、成功の秘訣なのか。

相変わらず、明確な答えがない中もがき続けるしかないのが就職活動なのであろう。序章の就活生分類や女子学生の就活状況に関する記述からしても、いかにも優秀だからプラスになるだけではなく、社風に合うかなど、直感的な要素も就活に影響してくる。それが社会の厳しさだからと言っていては、馬鹿らしくもある現状の解決にならないのは事実だが、そのような不条理で不透明な世界だからこそ、見事に滑り込んで内定を得る面白さもある。皆にとって、就職活動は人生そのものを象徴しているのかもしれない。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『憲法への招待  新版』
2014/03/11 22:20
憲法への招待  新版 渋谷秀樹 岩波新書 2014年



24の問いに答えながら、日本国憲法の根本にある思想や、憲法の規定する人権や統治機構について述べた本。安倍政権で憲法改正に向けての論議が活発化している中、日本国憲法に与えられた本来の意味や役割について考えることは、とても大切なことになるであろう。そんな時代だけに、本書が新版となって刊行された意味は大きい。

本書で一貫して主張するのは、憲法は1人1人の権利を守るためにあるという根本思想である。「憲法には権利ばかりが書いてあって国民に対する義務がほとんど書かれていない」などといった、憲法の意味を根本的に取り違っている主張が為されるのが日本の現状である。本書は憲法制定の背景や憲法の存在意義について述べた個所が多く、憲法を語るために知っておきたい事項がよくわかるようになっている。憲法改正について考える前に是非読んでおきたい項目だ。

また、本書を読んで痛感するのは、憲法上の権利が問題になったときの司法権の弱さである。一票の格差問題に表れているように、違憲の判決があっても、注意に留める判断をすることがあるし、場合によっては判断を差し控えるということさえある。権利が侵害されたときの最後の砦が裁判所の違憲審査権であると思うので、もう少し裁判所は積極的であっても良いのではないかと思ってしまう。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『すべての婚活やってみました』
2013/10/06 17:30
すべての婚活やってみました 石神賢介 小学館101新書 2013年



著者は、30代でバツイチになった、フリーランスのライター。以後婚活を試みるが、失敗は続き、ついに50代を迎えてしまった。本書は、著者の数々の失敗談と、交際まではたどり着いた成功談を基に、婚活のツール活用法や、活用時の注意点までがまとめられた本である。

本書を読むと滲み出てくるのが、婚活の難しさだ。結局のところ、婚活を必要としている人々は、何らかの点でパートナー探しに難を抱えていたり、交際がうまくいかないからこそ、婚活に頼らざるを得ない面があるからだ。そんな男女が互いに結婚に結びつく関係を構築しようというのだから、円滑に進むことなどまずない。カバーの案内には「抱腹絶倒のエピソード」と書いてあるが、おそらく本書の記述を笑い飛ばせるのは、婚活など必要としたことのないほど出会いや男女交際に困ったことのない人か、著者の行動があまりに自分と重なりすぎて、思わず自虐も込めたおかしさを感じられる人だけではないだろうか。今まさに切実な思いでいる人にとっては、それほど笑えないのではと思ってしまう(もちろん、著者はプロの物書きなので、所々に見られる、婚活スタッフへの皮肉を込めた描写などには心から笑える)。

婚活は、社会問題の縮図である。多くの結婚適齢期の人々が結婚しなかったり、できなかったりなのは、雇用の問題、社会保障の問題など、現代社会の諸問題が影響している面は大きい。本書は、別に問題の解決を目的に書かれたものではないが、婚活の現状を知ることを通して、現代社会を見る目を養うことができると思う。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 2 ]
pagetop
# 『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』
2013/01/25 22:41
若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか 香山リカ 朝日新書 2012年



平成という時代に入り、もはや四半世紀が過ぎようとしている。この時代に生を受けた若者は、何を考え、どんな生き方をしているのか。精神科医として、また、大学教授としての経験を元に、香山リカが語る。

最近の若者について、肯定的な観点も否定的な観点も取り入れながら、様々な傾向について語る著者。「最近の若者は・・・」と否定的に語られることの多い現象も、そこにある若者の思考を踏まえて捉えれば、むしろ「こんな社会に誰がした」と言いたくなるような、閉塞感に満ち、希望の見えにくい社会の状況が裏にあることもわかってくる。

そして最後、家事を進んでこなす若い男性や、死生学に熱心に取り組む若者の姿を述べた項目は、平成生まれの若者に対する希望に満ちている。年配の方も、どうかこの本を読み、安易に若者を否定することなく付き合って欲しいと思う。

この本では、上の年代が果たすべき役割についても、きちんと述べられている。疲れた若者の心にそっと寄り添える、粋な大人になれる方法も学べるのではないだろうか。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『鉄道会社はややこしい』
2012/06/03 19:00
鉄道会社はややこしい 所澤秀樹 光文社新書 2012年



首都圏では当たり前のように見られる都心の地下鉄と郊外の私鉄による相互直通運転。初めて乗った電車だと、行き先がまるでとんでもない方角の電車が来たりして、戸惑うことも多い。小田急線内に東京メトロ千代田線の車両が入ってきたり、京王線の車両が都営地下鉄新宿線まで走ったり、京浜急行の駅で東武の車両を目撃したりといったことは、慣れればそれほど奇妙な光景にも思えなくなる。

しかし、そのような光景の裏には、鮮やかな連係プレー、そして複雑な取り決めが潜んでいた。例えば、他社の路線内を走る距離(営業キロ)は、相互直通運転に関わっている鉄道会社間で等しくなるようにしなければならない。列車の運行上、どうしてもうまくいかなければ、営業キロが足りない方が車両の使用料を支払わなければならない。共同で使用するのは車両だけに留まらず、駅のホームや、改札にまで及ぶ。本書は、鉄道会社間の様々な取り決めについて、代表的な路線の事例を使いながら説明したものである。身近で何気なく使っている電車に対する新たな見方を得られる。

本書に載っている多くのことは、「知ってどうする?」と聞かれれば、どうとも答え辛いことばかりである。確かに、知ったところで雑学が身に付くとしかいえない部分もあろうが、とにかく読んでいて面白かった。冒頭でも述べた相互直通運転の話は、途中から徐々に単なる鉄道会社間の話を超え、旧国鉄の分割民営化などの政治の話にまでも発展していく。特に、地方の小さな私鉄や第三セクターによって経営される鉄道の話は、直通運転と政治が切っても切れない縁にあることを示す端的な例だ。身近な小さな謎が、だんだんと大きな問題に広がっていき、知識のネットワークができていくような気になった。本書は鉄道についての本であると同時に、知的好奇心を満たすこととはどのようなことか、教えてくれる本でもあると思う。

それでも、本書はいわゆるトリビアだけには終始しない。終盤では、駅員の苦労についても語られている。JRから駅の業務を委託された私鉄の駅員は、JR絡みの苦情を言われても、どうしようもできない。ただただ業務委託の事情について説明し、謝るしかないらしい。本書を読めば、そんな事情にも理解を示せる善良な乗客になれるであろう。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『ハマータウンの野郎ども』
2010/10/12 16:58
ハマータウンの野郎ども ポール・ウィリス 熊沢誠・山田潤訳 ちくま学芸文庫 1996年



1970年代のイギリスの公立中等教育は、学業において優秀な生徒が通う学校と、いわゆる落ちこぼれが通う学校とに、しっかりと分離していた。特に、職業訓練を重視したセカンダリー・モダン・スクールに通う生徒の中でも、反学校的な文化を担う労働階級の者達は、「野郎ども」と呼ばれていた。彼らは学校に対して反抗的で、いわゆる「不良」である。この一見反社会的に思える野郎どもは、実は社会の底辺で働く手労働者に自ら進んでなることによって、むしろ資本制社会の構造を見事に支えている。このような逆接はなぜ起こるのか。インタビューによる記録を中心に据えた「生活誌」と、現象について考察する「分析」から成る、二部構成の文化批評。

筆者の分析の目は、非常に興味深い現象を浮かび上がらせる。社会で単純な手労働に就く者は、自分の労働が無価値であるように思いながらも、日々働いているという側面を持つ。そして、そのような労働者は、社会の仕組み上、必ず発生するし、必要でもある。では、手労働者になることを納得してもらうよう、社会が用意する方法は何か。1つ目は、学校社会を通した競争である。学校で真面目に勉強して良い成績を修めれば、良い職に就けるという原理だ。必ずしもそうはならない側面があるものの、これは概ね良好に機能する。学業成績が悪い生徒は、「努力不足だから仕方がない」ということで現実を甘受し、底辺の職へと進む。

2つ目が、反学校文化の担い手、野郎どもの生き方である。野郎どもは、学校文化に真っ向から対立し、ホワイトカラー対ブルーカラーという対立を相対化する。彼らは、社会については学校教師よりも自分達の方がよっぽどよく知っているという自信を掲げ、手労働に男らしさ、自分達にしかできないという誇りを見出していく。結果、反学校文化の先導者が、いつの間にか労働階級の地位を再生産し、社会に順応するまでに至ってしまうのだ。

このような分析・記述が妥当なものかは、専門家の判断を仰ぐとして、このような現象は現代の日本においてどんな意味を持つかについて考えるのは興味深い。例えば、学校教育を競争と選別の場とし、そこからこぼれ落ちた者を「努力不足」と評するという記述だ。現在、学歴社会が崩壊したなり、以前存続するなり、議論が交わされているとしても、近年急速に競争と選別の装置として機能し始めたのが、コミュニケーション能力や困難に立ち向かう力などである。これらの基準で自らの能力を測られ、職に就けない者は、「努力不足」ということで独り責任を背負い込むことになる。しかし、そもそも皆がやりたがるような職が限られているのだから、この結果は社会の根本的な仕組みから生じるものではないかと考えると、一筋縄ではいかない。

皆が求める限られた職を奪い合うという価値観を転覆させてみせるのが、野郎どもの文化だった。では、日本において、このような文化はあるのだろうか。漫画の世界では、90年代が終わりに近づくにつれ、不良漫画が消えていったということが指摘されている。その代わり、エヴァンゲリオンに代表されるような、個人が社会ではなく、自分の心と戦うという内向きな作品が増加していった。日本でパンクロックといっても、作品が訴えていることは思春期の恋愛であったりと、野郎どもの文化に通じるようなカウンターカルチャーの様相を呈した作品は、案外多くはない。日本で社会の底辺に押し込められている人々は、何を拠り所にして生きれば良いのか。そんなことを考えさせられる。

学校・社会・労働といったテーマについて考えるに当たって、様々な示唆を与えてくれる名著だ。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]
pagetop
# 『訴えてやる!大賞 本当にあった仰天裁判73』
2010/08/28 00:14
訴えてやる!大賞 本当にあった仰天裁判73 ランディ・カッシンガム 鬼澤忍 ハヤカワ文庫 2006年



訴訟社会、アメリカ。人々は、些細なことで訴訟を起こし、被告から多額の賠償金が支払われる。都市伝説などではなく、実例を紹介し、アメリカ社会の裁判のあり方を問うた作品。

今や訴訟の濫用が起こっていると主張する筆者。その根拠を挙げるべく、実際の裁判例を探し(それは、苦労せずとも見つかったらしい)、紹介する。呆れる事例、思わず笑ってしまう事例、などなど。ファースト・フード店が、注意せずに自分に対して商品を売り続けたから肥満になったと訴える男性、クレジットカード会社から、たった18セントを巡って訴えられた女性、薬の副作用に対して賠償が認められたのに乗じて、虚偽の申請をする男…

しかし、笑って済ませてはいけないというのが、筆者の最も強調したいところ。訴訟の濫用によって、本当に重大な事件の裁判手続きが遅れたり、必要な人に必要な額の賠償が為されなかったりと、被害は大きいというのだ。また、各企業が、訴訟のリスクを恐れれば、その分商品の値段を上げざるを得ないであろうし、いつ訴訟が起きてもおかしくない状況では、月々の保険料も値上がりする一方になる。もちろん、連邦や州が設置した裁判所で取られる正式な手続きには、市民の血税が用いられている。他人事ではなく、結局は一般大衆がどうしようもない裁判の負担を背負うことになるのだ。筆者によると、2002年現在、アメリカGDPの2.33%が民事訴訟に使われているという。

本書で扱われている73例の中には、読者が読んでみて、それほど馬鹿げたという印象を受けないものもあると思う。単なる呆れる訴訟と言って片付けてしまうにしては、難しい問題もある。個人の価値観や思想が大きく反映される問題だからこそ、片やくだらないと笑われる裁判の裏にも、大真面目で訴えを起こしている原告がいるのだ。

一方、日本はどうだろうか。周知の通り、日本はアメリカほどの訴訟社会ではない。しかし、モンスター・ペアレンツの理不尽な要求に悩まされる学校など、案外訴訟という形は取らなくとも、本書の現状と似たり寄ったりの場面があるとも言える。また、裁判員制度が始まった以上、市民が賠償の決まる場面に居合わせることになる可能性も、無きにしも非ずだ。アメリカの二の舞にならないようにするためにも、本書から得られる教訓は大切にしたい。

CATEGORY [ 社会・経済 ] COMMENT [ 0 ]TRACKBACK [ ]
pagetop
FRONT| HOME |NEXT

忍者ブログ [PR]