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# 『ことばと思考』
2010/12/03 18:17
ことばと思考 今井むつみ 岩波新書 2010年



人間は、ことばによって世界を切り分けているという見方がある。また、話すことばが違えば、思考の様式も異なるという主張もある。これらの見解は本当と言えるのだろうか。ことばと思考はどのよう関係にあるのか。このような問いの答えを探ろうとするのが、本書である。

本書の結論からすれば、ことばによって思考の様式が異なるのか、そして、ことばは人間の思考を決定するのかという問いに対する答えは、「はっきりしない」ということである。回答として満足がいくものと捉えるかは人によって異なるであろう。しかし、本書がそのような結論に至るまでの過程では、非常に興味深い事例の数々が紹介されている。適宜引用される心理学実験は、なるほどと思わせるような結果を示すものだ。色の知覚、動作の知覚といった、どちらかというと個別言語の差異に起因するようなトピックから、虚偽記憶など、ことばという存在が自体が人間の思考に影響を与えることを物語るトピックまであり、好奇心を刺激する。

また、本書が持つ最大の魅力は、発達的な視点であろう。子どもはことばを獲得していく過程で、思考を発達させ、さらに日常触れる言語の思考様式をも獲得していくのだという。単に、異なる言語を話す人々は思考も異なるのかという見方だけでなく、人間がことばを得る前と後でどんな変化が生じるのかといった見方も、ことばと思考の関係を考えていく上で効果的であるということがよくわかる。
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# 『世界は日本サッカーをどう報じたか「日本がサッカーの国になった日」』
2010/12/01 16:36
世界は日本サッカーをどう報じたか「日本がサッカーの国になった日」 木崎伸也 ベスト新書 2010年



2010年のワールドカップ南アフリカ大会で、日本は大方の予想に反して決勝トーナメント進出を決めた。カメルーン、オランダ、デンマーク、パラグアイとの戦い振りを、サッカー先進国のメディアはどう報じたのだろうか。ドイツ、スペイン、イタリア、フランス、ブラジルなどの国々の実況中継の様子、現地の新聞の報道に注目することで、世界から見た日本サッカーの姿を描き出し、今後の日本サッカーのあるべき方向を模索する。

野球とは異なり、サッカーには個人を評価する数値が非常に乏しい。野球の場合、打率、出塁率、ホームラン数、打点、エラーなど、個人を評価する材料が多くある。しかし、これらの数値は完全に本人の実力によると言い切れるわけではなく、偶然も影響する。また、どの数値にこだわり、どんな選手を評価するかは、人によってまちまちだ。ましてや、個人を評価する数字がほとんどないサッカーにおいては、選手・チームの評価は難しい。本書で紹介されている世界のメディアの報道振りを見ても、そのことを痛感せざるを得ない。だが、だからこそ、世界のメディアで日本のサッカーがどう報道されていたかを知ることで、新たな視点で日本サッカーについて語ることができるという利点もある。

サッカー先進国の実況者は、日本の場合とは異なり、サッカーの実況に特化した専門家である。それゆえに、各自の視点で試合の状況を語り、素晴らしいプレイを褒め、悪いと思う部分は徹底的に貶す。また、もちろんのこと喋りのプロでもある彼らは、絶妙な比喩を用いるなど、表現も多彩だ。そんなことが、本書の内容から伝わってくる。

世界の報道の様子を見て筆者が指摘するのは、日本は恐れずに攻撃に出るべきだということである。規律を守った守備が世界に通用することは証明できたかもしれないにしても、攻撃的に出て観客を沸かせることができなくては、一流ではないと言うのだ。自身のサッカー哲学をどう持つのかが、今後の日本の課題なのかもしれない。

筆者が最終的に出した結論には、多少肩透かしをくらってしまうかもしれない。何しろ、周りの目を気にせず、堂々と戦えというのだから。

ヨーロッパのメディアでは、試合ごとに出場選手に点数を付けて評価する習慣がある。日本が戦った4試合についてのメディアの評価が掲載されていて、興味深い。

本書は、誤植と、自動詞・他動詞の使い方にミスが多くある点が問題だと思う。筆者によると、本書は諸事情から非常に短い時間で仕上げる必要があったらしい。それでも、ミスは最小に抑えるべきであろう。

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# 『発達障害に気づかない大人たち』
2010/11/27 11:17
発達障害に気づかない大人たち 星野仁彦 祥伝社新書 2010年



近年、子どもの発達障害が問題化している。なぜ、近年になって急激に問題化しているかについては、諸々の理由があろうが、発達障害への理解が深まり、「発見」されやすくなったということは、十分考えられよう。では、かつて「発見」されずにそのままになってしまった場合は、どうなるのか。本書では、発達障害が見過ごされたまま大人になり、生活上様々な困難を抱える人々に焦点を当てた本だ。仕事でのミスが多かったり、コミュニケーションが苦手だったり、落ち着きが無かったりといった大人は、実は発達障害なのかもしれない。発達障害の特徴について丁寧な解説があるとともに、その対策、家族や社会の支援策、共生への道が示されている。


本書を読んでみて、まるで自分もことについて書いてあると思う場合、学校のクラスメイト、職場の同僚に思い当たる人がいると思う場合、それぞれであろう。もしあの時、あの人が発達障害である可能性を考えていれば、もっとうまく対応できたかもしれないなどと、自責の念に駆られる人もいるかもしれない。案外発達障害は身近にあるということが、非常によくわかる。

そして、筆者が繰り返し主張するのは、周囲の人間の協力が大切であるという点である。接し方を工夫したり、本人の特徴を理解することで、発達障害の人は、思わぬ能力を発揮することがある。学校側の適切な指導、就労にあたっての適切な助言、職場の理解も、本人が力を発揮するための大事な要素である。「発達障害」という枠組みを与えることで、本人及び周囲がそれに相応しい行動を取れるようになるという面はある。しかし、その一方で、個々の違いが無視されてしまう危険はある。同じ発達障害でも、本人の養育環境や性格、興味関心の違いによって、千差万別だ。そして、これは発達障害に限らず、すべての人にとって言えることだ。それならば、「個々の特性を本人や周囲が十分に把握し、本人が力を存分に発揮しつつ、社会に適応・貢献していけるようにする」という支援を社会全体で強めていき、ある意味でバリアフリーな支援が可能な社会を目指す方が良いのではないだろうか。

また、学業や芸術など、専門性の強い方面での活躍を期待するならば、大学に通ったり、音楽を習ったりと、それ相応の訓練が必要だ。幼い時期からの訓練が必要な分野は、相当の資金が必要だ。その負担をどうするのかについても、再考の余地があろう。仮に芸術方面での才能があったとしても、それを発揮できる環境がなければ、話にならない。支援に関する問題は山積している。

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# 『不動カリンは一切動ぜず』
2010/11/23 16:02
不動カリンは一切動ぜず 森田季節 ハヤカワ文庫 2010年



中学生の不動火輪と滝口兎譚は、ある日学校の授業の自由課題で小学校の遠足中に起きたバス転落事故の謎を追う。しかし、その裏にはとんでもない事実が隠されていて… 2人の友情(そして愛情)を軸に、回る物語。

2人が冒険を繰り広げる舞台は、実験的な要素に溢れている。人間の間にHRVという病気が蔓延し、すべての人間は基本的に人工授精によってのみ誕生する。人間は、自らの思念を空中に浮かぶ媒介点によって、言葉に出さずに伝えられる。抑圧された性が逃げ込むところとして生まれてくる腹子(親の胎内から生まれる子ども)が、社会の禁忌になっている。第一部の書き出し、「わたし、パパのお腹から生まれてないよね?」からして、本作の不思議な雰囲気がわかる。

行方不明になる兎譚、国からの命に従って動く吉野八咫、謎の宗教団体、無欲会の幹部である小池言虎の思惑、バス転落事故など、すべての謎が徐々に接近し、結末に向かう展開は、手に汗握るもの。

本作において、宗教は重要なテーマの1つであろう。政治に大きな影響を与えながらも思想に溺れた人物に対して、神にすがり自分の世界に閉じ籠っているにすぎないと喝破する主人公の勇ましい姿が描かれる一方で、当の主人公は不動明王と合一化するという偉業を成し遂げ、嘘の神と本当の神を区別するという矛盾も生じている。宗教というテーマは、消化不良のまま終わっている感も否めない。

SFの要素も入った独特の世界が、本作最大の魅力であろう。独特の世界観を持った舞台の下、同時並行で進む様々な思惑の行方を気にしつつ、ページをめくり続けた。

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# My Humorous Japan Part 2
2010/11/16 21:35
My Humorous Japan Part 2 Brian W. Powle, NHK出版 1993年



知日派のイギリス人が、日本のこと、自らが旅した国々のことについて語ったエッセイの第2弾。

楽しみながら英語を学ぼうではないかという姿勢は健在。今回は、著者が大学で英語を教えていた経験から生まれたエッセイが多い印象を受けた。授業に積極的に参加しない学生を辛口ユーモアを込めて表現したり、初めての英会話の授業に戸惑いを見せる学生を取り上げたり。それでも、他の講師が日本人の学生に対して述べる批判に弁解をしたりと、フォローは忘れない。ホームステイに行って成長した学生の例や、本当はこんなに真剣にものを考えているのだという学生の例も挙げている。

チップについてなど、日本人以外にも難しさを感じている慣習も取り上げられていて、単純に日本対外国、日本対欧米という構図ではなく、異文化理解の大変さが語られている。著者が東南アジアに旅行したときのエピソードも載せられている。


●関連記事●
My Humorous Japan

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# 『日本の教育格差』
2010/11/12 17:22
日本の教育格差 橘木俊詔 岩波新書 2010年



日本の教育には、どんな格差があるのだろうか。また、格差はなぜ問題なのか。問題ならば、その是正策はあるのか。このような問いに対する回答が、本書には散りばめられている。学歴格差の問題、親の年収によって教育を受ける機会が狭められてしまうという不平等など、教育に関する様々な格差を、統計的なデータを基に分析し、打開策を探る本。

「年収が1000万円ある家庭でないと、東大進学は難しい」などという扇動的な文句がメディアによって唱えられ、近年、とみに教育の格差について語られるようになっているような気がする。本書は、学歴格差、家庭環境、学校の種類によって生じる教育の格差について、豊富なデータを基に、検討していく。

実際にデータを見せられると、教育の格差問題とは、一言では片付かない複雑なトピックであることがわかる。例えば、学歴格差の問題が興味深い。学歴格差は確かに存在するが、諸外国と日本を比較した場合、大卒者の賃金とその他の学歴の人々の賃金格差が非常に少ないのである。学歴社会と批判される日本の姿を考えると、意外な姿と思わざるを得ない(もちろん、平均という数値は、慎重に見る必要はあるが。一部の極端な例によって大きく引き上げられたり引き下げられたりするのが平均値の性質である)。

最後に筆者が主張するのは、政府が教育に対しての支出を増やすことと、学校での職業教育を充実させることである。私としても、これらの主張には共感できる。例えば、大学に入学するに当たって、公的資金によって運用される給付の奨学金がないのは驚愕の事態として認識すべきであろう。また、これだけ多様な生徒が普通科に在籍する現在においては、進学のみでなく、職業教育に力を注ぐことも、避けては通れない道なのではないかと思う。これらの主張については、概ね世間の支持も得られるであろう。ただし、筆者が主張する、職業科(商業科や工業科などの専門学科)を増やし、普通科以外の道を勧めるという点については、難しいかもしれない。なぜならば、50%程度が大学へ進学できる現在、大学進学の可能性をほぼ排除して職業科へ進む覚悟を持てる生徒は案外少ないのではないかと思うからだ。むしろ、専門学校化した大学を増やし、職業教育を充実させる方が、現実的な道かもしれない。もちろん、それには奨学金の充実が必要なのは言うまでもない。

教育の格差と一口に言っても、一体教育の中の何が問題で、格差が発生しているのはどのようなところなのか。普段、新聞やテレビ、雑誌などの断片的な情報を目にするだけでは、いまいちはっきりしない(実際、冒頭の東大の問題も、真偽は定かではないが、年収400万程度の家庭の子どもも通っていることだけは事実である)。そんな問題について考えてみるきっかけを与えてくれる良書だ。

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# Harry Potter and the Philosopher's Stone
2010/11/05 18:59
Harry Potter and the Philosopher's Stone J.K. Rowling, Bloomsbury, 1997



ついに映画も最終章へと突入したHarry Potterシリーズの第1作目。幼い頃に両親を亡くし、親戚の家で育てられたHarryが、実は魔法使いの才を持っていたと明かされ、11歳を迎える時、魔法学校Hogwartsに入学する。そこに至るまでの過程と、魔法学校での1年目が描かれる。

なるほど、多くの子ども、そして大人までもが夢中になっていくのがよくわかる。次々と読み進めたくなる構成の中に、色々な要素が散りばめられている。虐げられてきた少年の苦悩と、自分を束縛してきた環境から自由になる高揚感、駅のホームに突如出現する9 3/4という謎のプラットホーム、夜の学校の探険、ほうき乗りの才能の開花、隠れて秘密のペットを飼う緊張感、敵との戦い… 主人公が出会うこれらの経験は、子どもにとっては、憧れまたはリアルな体験であり、大人にとっては、自分の過去の似たような経験を想起させたり、そんな子ども時代を過ごせていたらなと思わせるものだ。

使われている英語は決して易しいとは言えない。しかし、読者を物語の中に引き込んでいく力が強いので、何とか読んでみようという気にさせられる英語学習者も多いのではないだろうか。表紙以外には絵が1ページもない本格的な児童書にもかかわらず、多くの人々を魅了し続けているのだから。

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# 『英語はいらない!?』
2010/10/28 16:13
英語はいらない!? 鈴木孝夫 PHP新書 2000年



国際化・グローバル化の中で、英語の重要性がますます叫ばれる中、個人個人はどのように英語と向き合えば良いのか。また、日本を牽引するエリート達についてはどうなのか。このような疑問に答える本。

「英語はいらない」という文句の後に、「!」と「?」が付いている。このタイトルが本書の内容を実によく表していると感心してしまう。すなわち、「英語はいらない!」が意味するところは、英語は不要ということ。「英語はいらない?」が示すのは、英語力を軽視することへの警鐘である。その両方の主張を纏めた結果が、この題である。少なくとも、私はそのように読み取った。

まず、「!」について。これは、主に「英米語」としての英語を国民全員が身に付けるのは不要であるという主張。さらには、英語英語と必死になって、その他の言語を軽視してしまうことへの危惧も含まれている。国際語としての地位を確立した以上、英語はアメリカとイギリスの言語ではなくなった。英米の文化や社会と切り離し、自分のことについて発進できる英語力の強化を筆者は主張する。また、英語に囚われてしまい、ロシア語・アラビア語・朝鮮語といった言語に精通した人材を十分に育成できないのは、国益の面から見ても嘆かわしいことであるという。

次に、「?」について。これは、主に現在日本の先端に立つ政治家や企業の重役は徹底的に英語を勉強しろということ。小学校の英語教育が云々と言っているうちに、日本が立ち行かなくなってしまうという危機感から、筆者はそう主張する。

歯に衣着せぬやや過激な議論も見られるが、英語教育・政治・外交など、幅広い面で示唆に富んだ英語論。一読の価値はあるのではないだろうか。

ところどころの挿話が、面白い。外国人を見かけたらすぐに英語で話しかけるという癖を無くせという警告には納得してしまった。また、実は英語教師よりもフランス語教師の方が英語ができるという指摘も、なるほどと思わせる。

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# 『日本サッカー現場検証 あの0トップを読み解く』
2010/10/27 10:02
日本サッカー現場検証 あの0トップを読み解く 杉山茂樹 じっぴコンパクト新書 2010年



ワールドカップ南アフリカ大会、日本は大方の予想を裏切り、世界を驚かせる番狂わせを演じて、決勝トーナメント進出を決めた。岡田監督については、更迭論まで噴出していたにも関わらず、一挙に支持率が上がった。著者の南アフリカワールドカップ体験記に乗せて、岡田ジャパンの戦術に迫る。

著者は、サッカーの戦術に関する本を多く出している。以前、本ブログでも、『4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する』という本を取り上げた。メディアで一般に報道される「攻撃サッカー」などの言葉に疑問を呈し、過去に観客を沸かせた戦術を引用しながら独自の視点でサッカー解説を行うのが特徴。

本書でも、その姿勢は変わらない。「本田の1トップ」「中盤の3ボランチ」「守備的な布陣への変更」といったメディアの報道が実態に則していないと批判し、「主力の不振」といった岡田監督自身の言葉についても、納得しない様子。

著者が最も力点を入れているのは、事実上「0トップ」になったという布陣の解説だ。著者は、今までずっとストライカーの不足が嘆かれている日本の場合、攻撃的MFの力をうまく利用する「0トップ」という布陣が向いているということを提唱してきたという。日本の躍進は、偶然なのか、狙ってなのかはわからないものの、この戦術が奏功した結果だという。本田・香川・宇佐美といった、FWとMFの中間とも言えるような選手が次々と台頭してきた中、この戦術は現実味を帯びているかもしれない。Jリーグの現状では、ウィングの選手が育ちにくいことや、そもそもフォーメーションという概念自体定着しにくいという指摘にも納得。

「アフリカ勢が勝てない理由は情緒不安定だから」といった、鵜呑みにはできないような記述もあるが、本書をもとに、また新たな視点で日本代表やJリーグの試合を観戦してみると、思わぬ発見がありそうなのは事実だ。実際に試合会場に足を運びたくなる気持ちになる本だ。

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# 『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』
2010/10/22 10:22
E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世 ハヤカワ文庫 2010年



もし、ある人物の年代記を「伝記」と呼ぶとしたら、方程式の歴史は伝記と言えるのだろうか。本書の主人公は方程式だ。もちろん、方程式誕生に多大な貢献を果たしたアインシュタインの名は無視することができないし、本書でも彼の業績はページ数を割いて扱われている。しかし、この偉大な方程式は、様々な人々を巻き込み、あたかもそれ自体が人間であるかのように独り歩きを始めた。主人公「E=mc2」が関与するところには、数々の喜怒哀楽が生まれ、新しい技術も誕生した。そして、原子力という人類の歴史に功罪をもたらしたものも。

本書は、方程式E=mc2の歴史について概観する。初めに、式が持つ5つの記号の意味が語られ(この部分も面白い)、アインシュタインと方程式との邂逅、彼に続いて功績を残した科学者達の人間ドラマ、原子爆弾を巡る各国の緊迫した政治などが描かれる。最後には、本書の名脇役達、すなわち、方程式に関わった偉人達のその後が簡潔に語られ、方程式物語の幕が閉じる。

素人としては、1つの方程式についてこんなにも膨大な歴史があったのかとただ驚くのみであった。それでも、筆者からしたら泣く泣く伝記から削らざるを得なかったエピソードや科学理論がまだまだあるということで、巻末には数十ページにわたる注釈が施されている。わからないと思ったこと、もっと知りたいと思ったことがあれば、読者はここを参照することで、E=mc2のさらなる深い深い世界に入っていくことができる。本書は、E=mc2の伝記であり、なおかつ冒険ガイドブックでもあるのだ。

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