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# 『大事なことはみ~んなドラえもんに教わった』
2009/11/25 13:09
大事なことはみ~んなドラえもんに教わった 久保田正己 飛鳥新社 1997年



「ドラえもん校長」として有名になった小学校の校長先生(当時)が、教育という観点からドラえもんを見つめた本。のび太とドラえもん、両親、友人、担任の先生との関係をヒントに、教育のあるべき姿を探る。

筆者が、本当によくドラえもんを読み込んでいるというのが伝わってくる。ドラえもんのファンとしても、納得のいく内容。教育者、特に小学校長という立場から見たドラえもん像というのは、ドラえもんに対する新鮮な見方を提供してくれる。のび太の両親の、子どもとの接し方については、良い例としても悪い例としても取り上げられる。本書で出てきた例を見ていると、ドラえもんにおいて、のび太の両親は、時に冷静で、時に感情的で、本当に人間らしさに溢れていると思ってしまう。改めて、藤子・F・不二夫の人間描写のセンスを感じることとなった。
また、さすが教育者という視点を感じて面白かったのが、ジャイアンと出来杉君との関係の分析である。筆者が指摘するように、確かにこの2人がともにいる風景を見かける機会は少ない。それに対する筆者の分析がなかなか興味深い。

筆者は、随所で現在の学校教育についても論考を行う。学校が勉強中心の場になりすぎてはいないだろうか。のび太のように、たとえ勉強ができなくても思いやりのある子どもが育つ土壌はあるのだろうか。筆者は勉強中心で回る学校を批判する。それはそれで、とても大事なことではないかと思う。しかし、学校は勉強するところだと割り切ってしまうからこそ、子どもが学校の成績が悪くても極度に落ち込む必要はないと言える部分もある。大切なのは、子どもを一元的に評価するのではなく、様々な場面で子どもが見せる個性を十分に尊重して見つめていく姿勢ではないだろうか。もちろん、1997年という、本書が刊行された時代は、就職氷河期と呼ばれた時代である。日本の社会や教育において何かが問題であるという意識は、非常に高かった時代であろう。そのような時代に団塊世代の1人が教育に対して一石を投じたという事実は、価値あることではないかと思う。


ドラえもん校長・人生第二幕
筆者のHP。
ドラえもん校長として、教育者として、多岐にわたる内容がまとめられています。
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# The Melancholy of Haruhi Suzumiya
2009/11/24 20:59
The Melancholy of Haruhi Suzumiya Nagaru Tanigawa (translated by MX Media LLC) Little, Brown and Company 2009



This is the original novel of one of the most famous Japanese animes. Kyon is a first-year boy student of an ordinary public high school. Indeed, “Kyon” is a nickname and no one is seen to call him in his real name. On the first day of his high school life, Kyon meets a very cute but extraordinary girl in his class room. Her name is Haruhi Suzumiya. What he hears first from her is "I have no interest in ordinary humans. If there are any aliens, time travelers, sliders or espers here, come join me." Kyon happens to be the only one that Haruhi opens her mind to.

One day she comes up with an idea that she will make a club to find out aliens, time travelers, sliders and espers. Then, she gathers three more people for the club: Yuki Nagato, a girl belonging to literature club, Mikuru Asahina, a second-year girl student, and Itsuki Koizumi, a mysterious transfer student. This is when S.O.S Brigade is born. Later, Kyon comes to know that these three are really an alien, a time traveler, and an esper. Each of the three people has their own view of Haruhi Suzumiya, but they agree that she has an ability to change the world as she likes. Now an ordinary boy, Kyon begins to encounter unbelievable phenomena.


Probably almost all the people have an experience to be bored with a daily life and hope for an extraordinary world. However, as they grow older, they realize that they have to be satisfied with what they have and can have in reality. Kyon is not an exception. On the other hand, this is not the case with Haruhi. She never gives up and tries to enjoy herself. She reminds us of what we have forgotten.

One of the attractions of the novel is a number of interesting similes. This sometimes renders the writing a little redundant on the one hand but fascinating on the other hand. Another attraction is the way in which the relationship between Kyon and Haruhi is described. They never directly express their affection toward each other. They know they are something special, more than just a classmate. However, Haruhi does not know what to do. Kyon is never aware of his feeling toward Haruhi.

Since this is a novel, Kyon’s monologue is more amply expressed than in the anime. What he thinks of Haruhi is grasped better. Also depicted more in detail is a picture of Haruhi through the eyes of Kyon. She shows various emotions and expressions. Vivid figure of Haruhi emerges out of the text. Also, easier to understand are the explanation of kind of sci-fi organizations of Nagato and Koizumi and the concept of time travel.

Incidentally there are two English versions of The Melancholy of Haruhi Suzumiya. The cover picture and four pages of color pictures of the Japanese counterpart are faithfully reproduced in the hardcover version. I recommend that you buy the hardcover version although it is a little bit more expensive than the paperback one.

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# 『クリティカル進化論 』
2009/11/19 13:47
クリティカル進化論 ぶん/道田泰司&宮元博章 まんが/秋月りす 北大路書房 1999年




クリティカル・シンキングとは何か、物事を批判的に見られるようになるには、どのようなことに気を付ければ良いのか。本書はこのような疑問に答える、クリティカル・シンキング入門の書。見開き2ページで1つの項目が説明されるというわかりやすい形式で、項目ごとに、そのテーマに合った『OL進化論』の4コマ漫画が登場する。タイトルの「進化論」は、OL「進化論」と、クリティカル「シンカー」をかけたもの。

「傘を忘れたときに限って雨が降る」「あの占いは本当によく当たる」等と思うことは、誰にとっても経験があろう。しかし、本当にそうなのだろうか?別の可能性はないのか?本書は、物事を批判的に考える方法ついて、主に心理学の知見を取り入れながら、楽しくわかりやすく述べていく。途中、「スキーマ」など、心理学の用語が出てくるが、心理学や統計に関する用語は必要最小限に留めてある。

特に参考になるのが、「四分割表」の考え方。例えば、ある化粧品について、「それを使ったからきれいになった」という印象があるとする。このとき、「化粧品を使う/使わない」「きれいである/ない」の2×2の表を考える。このとき大切なのが、「化粧品を使う×きれいでない」と「化粧品を使わない×きれいである」の可能性を十分検討すること。このような人たちが結構いる場合には、化粧品の効果は疑わしい(これは、カイ自乗検定という、れっきとした統計法である。本書では触れられていない)。ここで、「化粧品を使う×きれいでない」の事例はあまり入手しにくいということも重要な点である。
他にも、原因と結果の考え方、事実の偏りを考える方法など、クリティカル思考がどのようなものであるのかが、よくわかる。

ただし、「違う角度から見てみる」など、意外と抽象的な説明のみで終わっている箇所があるのは残念。ここからは、自分で考えてみよということなのか。

本書は『OL進化論』の魅力も存分に伝えることができていて、そちらにも興味が湧いてくる。

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# 『妻を帽子とまちがえた男』
2009/11/10 12:27
妻を帽子とまちがえた男 オリバー・サックス/高見幸郎・金沢泰子 ハヤカワ文庫 2009年



気になっていた本が文庫化したのを機に購入。

脳の神経系に問題を抱えると、人間は奇妙な行動をとることがある。本書では、そのような問題を抱えた患者24人の事例が紹介されている。逆行性健忘に悩む人物、自分の身体を自分のものと感じられない男性、豊かな才能を持った自閉症の子どもたち。但し、筆者が目指すのは「人間味あふれる臨床話」である。筆者は、患者をある症状の一例として扱うのではなく、血の通ったひとりの人間として尊重しようという強い意思を持って、執筆に臨む。

筆者は、医学系のエッセイストとして有名な人物。アメリカではベストセラーを連発している。読んでみると、さすがと思える文章だ。各患者像が、魅力的な比喩を駆使して描写されていく。医学者でありながら、哲学や文学に関する知見の広さが随所に垣間見られる文章からは、筆者が文理両方に通じた人間であることがよくわかる。

そして、何と言っても、本書の最大の魅力は、患者の一人ひとりを人格を持った人間として認め、最大限の敬意を持とうとする筆者の姿勢である。患者と接する際には、患者が気分を害さないよう細心の注意を払い、わずかな変化を見逃さないよう注意する。特に、最後の方の自閉症の人々の物語では、筆者の姿勢が最も顕著にあらわれている。例えば、お互い数字を言い合って遊んでいる双子の自閉症を観察し、その数字が素数であることがわかったら、次の時には、数字に関する本を隠し持って、自らもその遊びに参加するというエピソードがある。筆者が本当に真摯な態度で患者に向き合っているのが伝わってくる。

筆者は、自分を「自然科学者と医学者との両方である」と述べている。すなわち、理論という抽象的なものを探る者でありながら、個々の患者という極めて具体的な事例に対処する者でもありたいということである。物事に対して抽象的な法則を発見することは、人間の特徴であり、かつ長所である。しかし、それによって個々に目を向けないということが起こってしまうのなら、本末転倒とも言える。私達は、ともすると一人の人間よりも全体的な傾向を重視してしまう。それは、科学に限らない。例えば、教育においても、目の前にいる個々の生徒を相手にせず、一般論を振りかざしてしまうことがあろう。およそすべての学問には、少なからずこのような傾向があるといえよう。本書は、個の軽視に対して警鐘を鳴らす。一般化と個別への理解の両立が実現できるようになるには、どうすれば良いのだろうか。

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# 『語り得ぬもの:村上春樹の女性表象』
2009/11/06 20:50
語り得ぬもの:村上春樹の女性表象 渡辺みえこ 御茶の水書房 2009年




村上春樹の2作品、『ノルウェイの森』『スプートニクの恋人』には、それぞれレズビアンの女性が登場する。本書は、その2作品の発表された時代の思想についても言及しつつ、社会において暗黙の下で抹殺されてきた女性の性やレズビアンという視点で、作品を分析する。

現代のみを知っているだけでは、文学作品の女性表象を深く理解することはできないと強く感じさせる内容。筆者は、古来からの女性差別、70年代、80年代のフェミニズム運動の動きも述べたうえで、村上春樹の2作品におけるレズビアンの描写を分析していく。
特に興味深いのが、かつて女性の同性愛は最も禁忌するものとみなされ、徹底的に弾圧されてきたという点である。そのような出来事は、実際の事件だけでなく、文学作品にも描かれている。筆者は、豊富な事例を提供しつつ、論を展開する。
また、女性が性の喜びを享受するということに対する、男性中心社会からの抑圧という視点も考えさせられる。筆者は、ブライダル・シーツなど、処女性の神聖視や、それを示すことを強制され、恐怖に怯える女性について、歴史的な資料や文学作品から分析する。

さて、現在はレズビアンに対する見方がどうなっているのであろうか?現在、ポルノグラフィにおいて、レズビアンが一分野を確立していると言えるかもしれない。また、今年の10月からアニメが放送されている『ささめきこと』は、女性の同性愛を扱った物語である。さらに、一迅社の『コミック百合姫』など、女性同士の恋愛を扱った作品のみを掲載する漫画雑誌も登場している。しかし、これらは、どれも男性の視点を抜きにして語ることができない。なぜなら、ポルノグラフィはもちろんのこと、これらの漫画も、(少なくとも形式的には)男性向けに発行されているものだからである。筆者の言うように、女性によって語られる女性の同性愛というものが、もっとポピュラーになっても良いように思う。もっとも、私が女性向けの漫画の世界をあまり知らないというのはあるが。女性については、逆にBLという視点も、検討の余地があろう。

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# 『聖書が面白いほどわかる本』
2009/11/04 22:54
聖書が面白いほどわかる本 鹿嶋春平太 中経の文庫



聖書に詳しい人が、高校生に語るという設定の本。それだけに、聖書について基本的なところからまとめられている。聖書は一体誰が書いたのか?聖書は、人間の身体や魂、死生観をどのように捉えているのか?ユダヤ教とキリスト教の違いとは何か?罪とは何を指すのか?などなど…

この本を読んで思うのは、いかに自分が聖書の概念について知ったかぶりをしていたかということだ。聖書の中にある物語は、様々な本や創作で語られたりすることが多い。しかし、聖書の根本にある思想となると、案外見逃されているとは言えまいか。
本書は、聖書を基礎の基礎から説明していく。だから、上記のような、基本的で聞くのを躊躇いそうな疑問までもが取り扱われている。しかも、日本人にとって分かりにくいと思われる概念や思想については、丁寧に噛み砕くことを心がけている記述も有り難い。特に、創造主、イエス、イエスの死後の現代、という流れの中でキリスト教の思想を説明している最終章の内容は圧巻。

聖書について知ってみたいが、何の手掛かりもなく、難解な概念や思想のもとに挫折してしまいそうというのが、多くの日本人の本音であろう。本書は、聖書について知る手引となる、入門書としては、非常に優れたものである。

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# 『中学受験の失敗学』
2009/10/28 21:02
中学受験の失敗学 瀬川松子 光文社新書 2008年




教育産業の広告に溢れる、華々しい「第一志望校合格」という言葉。ところが、その裏には、決して語られない無残な結末を迎えた事例が多く存在する。特に、塾や家庭教師に多額の投資を行いながらも、志望校全滅という悲惨な事態だって起こりえる。しかし、子どもの実力を適切に把握し、教育に際限なく出費をするという構えをなくせば、最悪の事態は回避できる。では、どうして最悪の事態は起こってしまうのか?
本書では、このような事態に陥ってしまう過程には、往々にして「ツカレ親」がいるという。「ツカレ親」とは、中学受験に取り「憑かれ」、心身ともに「疲れ」てしまっている親のことを指す、筆者独自のネーミングである。「ツカレ親」は、決して良い結果をもたらさない。本書では、悪夢を回避するべく方法を模索する。

非常に面白い点を突いてくる本だと思う。筆者は豊富な家庭教師経験があり、そこで出会った事例から、中学受験に必要な心構えを提示していく。1つ目のコツは、第一志望にこだわりすぎず、子どもの実力を見て柔軟に志望校を判断すること。場合によっては地元の公立も視野に入れ、無理させすぎないこと。それには、無駄なプライドは捨て、子どもの学力や希望と真摯に向き合うこと。言うは易く、行うは難しといったところか。2つ目は、ただ利益のみを追求する悪質な業者を見抜くこと。具体的な例とともに、チェックリストまで付いているのが頼もしい。

それだけで終わらないのが本書の魅力である。最後に、そもそもなぜ「ツカレ親」が登場しなくてはならない状況があるのかという点に、筆者は言及する。「良い大学」「良い会社」という一元的な基準のみによって人を評価する社会、公立中学の惨状を誇張し、中学受験をしなければ良い教育が受けられないかのような物言い。悲劇を生む親ばかりを非難せず、社会の風潮も問題視する視点が大切だと筆者は説く。

受験というものは、中学受験にしろ、大学受験にしろ、自分(あるいは自分の子ども)と向き合うことが求められる、ある意味辛い場面である。人は初めて世の中における自分の立ち位置を知り、理想の自分との隔たりに悩み、もがく時期である。せっかくの貴重な経験を、世間の勝手な言い分に流されて台無しにしては、もったいない。素直に自分(の子ども)と向き合い、世界に向かって果敢に羽ばたく(羽ばたかせる)気概を持てというメッセージが感じられる。


筆者は、自身のブログで、精力的に情報を発信している。また、2009年の11月には、本書の続編と言えそうな本が発売される。

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# 『四コマ漫画』
2009/10/26 14:46
四コマ漫画 清水勲 岩波新書 2009年




既に葛飾北斎の時代から存在していたと言われる四コマ漫画。本書は、その歴史を紐解き、四コマ漫画の変遷を追う。

四コマ漫画には、こんなにも豊かな歴史があるのかと驚かされる。明治期の作品の中にさえ、現代から見ても面白い作品がある。
また、四コマ漫画の歴史は、世の中の流れと密接に関わっているということが、とてもよく伝わってくる。それは、そもそも明治時代に与えられた、時代の風刺という役割を、時代が変化しても四コマ漫画が担い続けてきたということなのかもしれない。例えば、高度経済成長期には、サラリーマンを主人公に据えた四コマ漫画が生まれた。他にも、明治・昭和の時代は、新聞四コマが非常に盛んであったのが、新聞離れが進むとともにその勢いを失うという流れは、世相をよく反映していると思う。

本書は内容の特性上、多くの資料が載せられているのも魅力である。資料を見ると、漫画の描き方の変化もよくわかり、興味が沸く。例えば、昔の漫画には、吹き出しを用いないでコマの外に台詞を示しているものがある。コマ割りも、現在最もポピュラーと思われる縦に4コマ並べたものだけでなく、2×2コマで描いているものもある。巻末には、代表的作家についての紹介、主な出来事の年表もまとめられていて、非常に親切。過去から現代を見つめ直すという、歴史を勉強する醍醐味を得られる。

近年は、四コマ漫画の雑誌が数多く出版される空前の四コマブームであるといえる。本書で取り上げられている「らき☆すた」だけでなく、2009年にアニメ化されて大ブームになった「けいおん」も記憶に新しい。本書は、そんな時代に相応しい教養を身に付けさせてくれる本ではないだろうか。

ちなみに、本書の筆者は今年で70歳を迎える。それでも昔の作品に固執せず、現代の作品にも興味を持ち続けている姿勢には感服してしまう。

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# 『理科系のための英文作法』
2009/10/20 13:23
理科系のための英文作法 杉原厚吉 中公新書 1994年



どのようにして文法的に正しい1文を書くのかについては、至るところで紹介されている。しかし、個々の文をどう繋げば、誤解のない文章を書くことができるのかについての説明は、あまり見ることがない。往々にして、「多くの文章に接することで身に付けていくべき」という、感覚的な精神論が横行している。それ以外の方法はないのか?これが、本書の掲げるテーマである。筆者は、コンピュータによる自然言語処理の技術を利用し、読みやすい文、誤解のない文の書き方について解説する。

全体的に優れている本である。しかし、最も感心する内容は、階層構造に気を付けて書くという内容である。文章には、階層がある。例えば、トピックセンテンスとそれを支持する具体例、名詞の修飾などが、それにあたる。それをうまく表現しないと、誤解を招く文章になってしまうことがある。では、どうすれば良いのか?本書では、語句の定義の仕方、接続詞・副詞の使い方など、豊富な事例とともに、確実に意味の伝わる英文の書き方が述べられる。このような方法は、文系の作文、さらには日本語の作文にも適用できる

また、本書で挙げられている仮説(文の接続関係を明示した方が文章がわかりやすくなるなど)は、自然言語処理・言語心理学のトピックとしても面白い。英語教育の世界では比較的学習者任せにされている分野の重要性を指摘しただけでなく、客観的な視点を取り入れた手法を紹介したという点は、大きな功績と言える。「筋が通った文」とは、結局どんな文のことなのか。この疑問に対する答えは、本書のあらゆる箇所に見つけられる。


本書については、英語ニュースでも取り上げられている。かなり詳しい書評なので、お薦め。

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# 『不惑の楽々英語術』
2009/10/15 16:52
不惑の楽々英語術 浦出善文 集英社新書 2006年




英語ができないからといって、怖気づく必要はない。また、英語を勉強をするにしても、苦痛を味わいながら勉強することなど、まったくもって無用。自分にとって必要なことを、必要なだけ、少しずつ身に付けていけば良い。そして、自分の英語が通じるという快体験をたくさん積むことが何よりも大切。これが、本書の内容全てに共通するテーマである。

現在の英語教育に足りない、非常に重要な視点を提供してくれる良書である。学習する意義が実感できない内容を漠然とこなし、英語と奮闘している中高生、大学生、社会人にとっては、肩の荷が下りたような気持ちにさせてくれるメッセージに溢れている。もちろん、教育者にとっては、自らの教育を省みる機会を与えることになろう。
本書のポイントは、2つある。1つ目は、以上で述べたような、学習の姿勢に関するアドバイス。そして2つ目は、勉強の方法である。特に、辞書やインターネットの使い方に関する助言は、非常に優れていて参考になる。例えば、インターネットの検索サイトを利用して、コロケーションを確認するなど。インターネットや電子辞書などの文明の利器を批判する教育者は多い。しかし、筆者は使えるものは上手に利用していけばよいという立場で、好感が持てる。
もちろん、いざ英語を勉強しようとすると、一筋縄ではいかない。しかし、筆者が指摘している点を頭に入れるだけで、随分と英語学習に対する構えが変わる。聞き取れないのは、実は相手の話し方が問題なのかもしれないし、話の内容がわからないのは、英語の問題ではなく、英語以前の知識の問題かもしれない。そんな筆者の意見を聞くと、今まで英語ができないと思い苦しんできた重苦しい空気から、ちょっとだけ解放された気になる。

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