2025/04/22 15:37
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2010/03/16 13:11
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ネイティヴが教える英語作文の技術 ウェイン・スティアー 江口真理子訳 丸善ライブラリー 1998年 英語の文章を上手に書くにはどうしたら良いのか。本書は、わかりやすく、しかも名文と思わせる英文を書くためのコツを伝授しようとするものである。 タイトルに「英語作文」という表現が含まれているものの、本書の内容は、十分母語にも適用可能なものである。むしろ、日本語の作文教育ではあまり教えられていない内容かもしれない。例えば、風景を描写するときには視点を一定にし、一点から順々に場所を移動するように書くという技術は、言われてみれば当たり前でも、誰かに教わったかというと、定かではない。 その他、やや高度な技術についても取り上げられている。相手を説得する文を書く際のコツなどは、なるほどと思わされる。まず、自分の意見に対する反対意見と賛成意見を交互に出すことがポイント。さらに、反対意見は、説得力のあるものほど前に、賛成意見は説得力のあるものを後に、それぞれ提示すると効果的であるという。なぜなら、読み手にとって、文章の最後は印象が最も強い。その部分に強力な主張が来れば、読者は納得させられやすい。しかも、全体としては反対意見にも耳を傾けているのだから、主張を押し通した独善的な文章には見えない。最後に、自分の賛成意見のみをまとめた要約文で文章を示せば、無意識のうちに、読み手は説得されてしまう。 また、終盤に出てくる、作文ミスのチェック表は、非常にユーモアのある構成。例えば22番、 Needless to say, avoid, you know, useless words (p. 181). ※「不要な言葉は省け」というメッセージを伝えるために、筆者が不要だと指摘する"needless to say"(「言うまでもなく」)や、"you know"(「ほら」「知っての通り」)をわざと含んでいる。 英作文向けなので、もちろん文法についての話もある。しかし、大半は書くための姿勢や、ちょっとした小技の紹介に費やされている。論理的でわかりやすい文章を書く方法が紹介されている本は少なくないが、本書のように、その先にある「名文を書く」という段階まで見据えている本は意外と少ない。もちろん、テクニックを使いすぎて逆に仰々しい文になってしまったり、わかりやすさを犠牲にしてしまっては、本末転倒と言える。それでも、知っておくと便利な知識は多い。 PR |
2010/02/04 09:40
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非識字社会アメリカ ジョナサン・コゾル 脇浜義明訳 明石書店 1997年 国民の約3分の1が、まったく文字が読めなかったり、作業に必要な説明書が読めなかったりする。子どもに本を読んでやれないことに、やりきれない思いを抱く母親がいる。そんな現状にもかかわらず、政府は識字教育には無関心で、そのための予算は減らされていく一方である・・・これは、現在のいわゆる発展途上国の現状ではない。1980年代のアメリカの姿なのである。本書は、高度な文明の象徴であるアメリカ合衆国が抱える深刻な問題に迫る。学校からドロップアウトせざるを得なかった人々や、識字教室を運営する人々の悲痛な叫びから、アメリカ社会の持つべき方向性を問う。 識字問題が、いかに様々な問題を内包しているかが、よく伝わってくる本。識字能力において1つの基準になるのが、「機能的識字」である。これは、単に文字が読めるに留まらず、日常の生活や仕事において最低限必要な識字能力のことを指す。その基準に照らし合わせると、少なくとも1980年の時点においては、アメリカ国民の3分の1が「非識字」に分類されるのだという。本書の前半では、このような人々の苦労や悲しみが豊富な事例に基づいて紹介される。何とか仕事にありつけ、朝はコーヒーを飲みながら朝刊を読むという、何とも優雅な生活を満喫しているように見える男性。実は、この男性は文字が読めないことを隠して生活しているのである。だから、朝刊を読んでいるふりをする必要があるのだ。また、5歳の子どもに、自分が文字を読めないことを知られ、悲しみに胸を打ち砕かれる女性もいる。これらの人々の中には、何らかの理由で学校を辞めなければならなかった者が多く存在する。人種という、アメリカならではの問題もある。 そして、筆者が抱える、当時のアメリカ社会への怒りが最も露わに、そして雄弁に語られるのが、本書の後半である。筆者は、「機能的識字」の概念に疑問を呈する。筆者は、真の識字力とは、与えられた最低限のものをこなすためのものではなく、社会に溢れる悪意に満ちた言説を疑い、批判的精神をもって読解する力であると主張する。だから、仕事に最低限支障が出ない読解力があれば構わないという考え方に対し、懐疑的な姿勢を持つ。識字は、弱いものが支配的な勢力に抵抗する術になり得るのだ。 「機能的識字」を超えた識字を、誰もが身に付けることができる社会とはどうすれば実現するのか。筆者は、狭い区分に囚われた学問界の統合、批判的な思考を養う教育など、いくつか解決策を示す。しかし、実現に向けての努力はまだ始まったばかりである。 ちなみに、近年は別の視点から「機能的識字」の概念に疑問を投げかける動きもある。識字が大切で、社会参加のための必須条件ということを過度に主張することで、ディスレクシアや、視覚障害を持つ人々、在日外国人など、識字にハンデをもつ人々には、社会参加が許されないという暗黙の差別に繋がる可能性があるからだ。そう考えると、識字問題は奥が深い、人間の本質にかかわる問題であることがわかる。 |
2010/01/20 11:08
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読ませるブログ 心をつかむ文章術 樋口裕一 ベスト新書 2009年 何万ものブログが溢れる現在、どのようなブログは読まれ、どのようなブログは読者を失うのだろうか。受験界の小論文指導に長年携わってきた筆者が、自分のブログを読んでもらうためのコツを伝授する。 このような本をブログによって紹介するのは、いささか変な気もするが・・・ 現在のインターネット社会を批判する言説も多々ある中、筆者はブログの利点や長所を述べている。これは新鮮である。その背景には、ものを書くことが人間そもそもの欲求であるという点と、人に読まれることを意識したブログを書くことで、文章力も鍛えられるという考えがある。したがって、本書はブログをまだ開設したことがない人にも一読の価値ある内容になっている。 かつては特権的な階級のみに許された、万人に情報を発するという行為。現在は多くの人が自ら情報を発することが可能になった。これを、時代の 変化による恩恵と捉える筆者の姿勢には好感が持てる。 読み手をひきつけるための修辞法や書き出しの工夫など、いっぺんにすべてを応用できなくても、それらを意識して文章を書くのと、何も意識しないで書くのとでは、文章の質や視点の面白さには雲泥の差が生じるであろう。 さて、このような本をブログ上で取り扱うのは、少し気が引けるものである。当然この本を読んだのだから、記事の随所に工夫が見られるべきではないかという指摘が出るのがもっともなため。いやはや、言うは易く、行うは難し・・・ ちなみに、筆者のブログは、樋口裕一の筆不精作家のブログ。 |
2010/01/13 21:45
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予習という病 高木幹夫+日能研 講談社現代新書 2009年 自分が予想できる範囲のことにしか対応できず、未知の物、既存の枠組みでは捉えきれない物に遭遇すると、まったく対応できなくなってしまうことを、筆者は「予習病」と名付け、現代社会において憂慮すべき問題であるとする。では、その予防には、どんなことが有効なのか。現代の教育のあり方に問題意識を投げかけ、日能研における教育実践から、現代社会において求められる教育スタイルや社会の仕組みを提言する。 タイトルの割には、本書で扱っている内容は幅広い。学力を、身に付けた知識や計算力によってのみ測り、「学力低下」の懸念の下、総合的な学習の時間を批判するという社会情勢に対する反駁は頷ける。そして、生きていく上で問題解決力が必要な今、教育でもそれを重点課題としていくべきだという姿勢には納得がいく。 本書で提唱されている学習は、90年代から徐々に影響を増してきたconstructivismという思想に影響を受けているものだ。この考え方によると、知識は他者との交流の中で身に付くものである。そして、教科や科目といった枠組みに囚われず、幅広い知識を統合していく姿勢を重視する。ひとつの専門分野からでは解決できない問題が目白押しの現代社会において、大変注目されている教育である。 しかし、著者に日能研が含まれていることからも分かるように、日能研や私立中学の魅力をやや強調している印象を持たざるを得ない。私立学校贔屓の事情については、『亡国の中学受験』という本が批判している。実はこの2冊、出版社は異なるものの、形態は同じ新書であり、発売時期もほぼ同時。中学受験、受験産業、私立の教育実践、そこに通う生徒、公立学校の実態などに対する記述で好対照をなしている2冊を読み比べることで、多角的な視野を持てる事柄は多い。 最後に、「予習病」は、一見分かりやすく目を惹く単語だが、筆者はこの言葉をあまりに多くの問題に適用しすぎているように思える。その分、言葉の定義が曖昧になってしまっているのが問題。 ■追記■ 朝日新聞2010年1月31日の書評で本書が取り上げられました。 |
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