2025/04/22 04:59
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2010/07/03 16:05
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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 ダイヤモンド社 2009年 まさにタイトルのごとく、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読み、その内容を野球部の運営に活かしたら、どうなるのかを仮定して描いた物語。都立程久保高校に通う川島みなみは、野球部のマネージャーを務める親友の宮田夕紀が入院したことをきっかけに、2年生の途中から野球部のマネージャーに就任。『マネジメント』の記述を参考にしながら、部員達を甲子園へと導くべく奮闘する。 経営学、マネジメントという言葉を聞いて即思い浮かべるのは、企業の経営や戦略といったところであろう。しかし、本書はその考え方が間違っているということを示してくれる。マネジメントとは、人が集まるところ、組織があるところにおいて、どうすれば皆が満足しつつ、全体としての成果を得られるかという課題について考えることなのだということが、ひしひしと伝わってくる。人がいるところにマネジメントありなのだ。だから、部活という非営利団体にも、マネジメントの理論は当てはまる。 この部活という材料こそが、本書の肝である。部活は、中学校・高校で誰もが1度くらいは経験した可能性が高いゆえに、企業の経営といった材料と比べて、非常に親近感を感じられる。だから、社会に出たことのない高校生や大学生でも、大いに楽しめるのだ。また、野球部が甲子園に挑戦するという設定自体、多分に青春小説の要素を含んでいる。マネジメントと高校野球という2つのテーマをうまく組み合わせた筆者のセンスには脱帽である。 組織というものには、人を幸せにする面もあれば、人を悩ませる面もある。組織の中に自分の存在意義を見いだせずに、やり場のない思いを抱く人もいるし、苦手な人がいて、何となく人付き合いを敬遠してしまう人もいるであろう。本書から滲み出てくるのは、人と人が繋がって組織ができることによって得られる喜びや、生きがいである。マネージャー、野球部員、監督の交流を通して、組織の中で自分の役割を発揮し、責任感を持ち、結果を出していくことの素晴らしさを疑似体験することができる。 もちろん、うまくいき過ぎだという批判もあろう。選手がやる気を出し、目に見える結果が現れ、作戦が奏功し… しかし、組織は変わるということ、不可能が可能になる奇跡が起こることは、ワールドカップ南アフリカ大会での日本代表の戦いを見て、誰もが心の中で思ったことではないだろうか。そんなこともあるかもしれないと思わせるリアリティは維持する。作者のさじ加減の見事さが、ここにはある。 本書を野球本として読んでも、興味深い。程久保高校野球部が採用した作戦の一部は、セーバーメトリックスという、野球を統計的に分析して、戦略や選手選びを考える取り組みの提案と一致する。送りバントの禁止、ボール球を振らないで球数を稼がせるという作戦は、その代表格である。程久保高校が採用した作戦は、決して突飛なものでもないのだ。もちろん、盗塁の推進という面など、セイバーメトリックスの提案と反対の作戦もあることにも注意。野球本としての評価も気になる。 ★リンク★ 「もしドラ」公式HP |
2010/06/14 16:34
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就活革命 辻太一朗 NHK出版生活人新書 2010年 現在の日本の就職活動の状況を見ていると、何かがおかしい。そして、学生も、企業も、大学も、すべてが駄目な方向へ向かっているように見える。本書は、このような感覚の実態に迫り、就職活動の問題点を洗いざらいにする。最後に、問題点を打破するための解決策を提示する。 筆者はまず、学生、企業、大学それぞれの中にある問題点を主張する。まず、問題の元凶とするのが、学生の自己分析。下手に自己分析をしたところで、自分に陶酔する若者しかできない、学生は「やりたいこと」「できること」ばかりに執着して世界を狭めてしまうというのが筆者の主張。次に、優秀な人材を早く獲得しようとして企業が進める採用の早期化と、それに伴う学生の就職活動の長期化。最後に、企業からも学生からも軽視され、学問をする場として機能しなくなっているうえに、学生の就職指導に追われる大学。 それでは、どうすれば問題の解決が見えてくるのか。学生・企業・大学の三者が、それぞれ相互作用を起こしつつ、負のスパイラルに陥っているというのが、筆者の見方。さらに、冒頭で筆者は「学生は被害者」というコメントをしている。それならば、三者の問題点をまとめたうえで、大学と企業を中心に変革をしつつ、学生にも就職活動や勉学の意義を再確認してもらうという道筋が想定されるはずだ。 しかし、筆者の記述を細かく見ていくと、最も変革を求められているのは、学生、次に大学、最後に企業という構図が見えてくる。学生に対する要求は、「狭小な自己分析などに陥らず、何でもやってみるという気概を持て」「大学時代は勉学に励み、論理的思考と、知識を使って考える訓練を積め」というもの。大学に対しては、「しっかりと学生に勉強させ、厳正な単位認定システムを取り入れろ」「授業のシラバスを公開し、企業が評価する参考にできるようにしろ」。では、企業はというと、「現在の採用方法を見直し、優秀な学生をきちんと評価できるようにする」。一見、それなりに妥当に思えるが、企業が果たすべき責任など、微々たるものだ。 例えば、自分が希望した職種以外に就くことを嫌がることに対する批判。これは、そもそも学生の専門性を軽視し、「総合職」という曖昧な枠での採用を行い、「何でもやります。どこへでも行きます」と言わせる、日本の企業の体質と無縁ではない。日本の企業が採用の際に職種と本人の専門性を明確にして採用していないことが、欧米の企業と比べると特殊であるということについては、本ブログでも取り上げた、『多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで』に詳しい記述がある。それから、大学教育を改革するということについても、問題がある。大学生に対する給付奨学金が充実していない日本において、学生が勉学に集中することは可能なのであろうか。下手すると、アルバイトが必要な学生を排除することになりはしないだろうか。それに対して、筆者が企業に求めていることは非常に少ない。現在の採用方法を批判的に検討するのも、それは企業が優秀な人材を逃すことを憂慮してという条件付きである。おまけに、面接で測れないことの評価には、大学での成績を利用するという、丸投げ状態。筆者の提案する大学4年生の秋に行う2度目の採用などは、既に行われていることである。しかも、採用活動の早期化問題については、学生が勉強することのメリットを大学が示すことが先という始末。 「勉強しろ」「社会人基礎力を身に付けろ」と学生の尻を叩き、意義のある教育をしろと、大学に迫る。それでいて、企業については批判的なコメントが少ない。現実路線を見出そうとすると、そのような結果になるのかもしれないのだが、しこりは残る。妥当な選択肢は、他にないのだろうか。 |
2010/05/31 21:03
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GOSICK s Ⅱ ―ゴシック・夏から遠ざかる列車― 桜庭一樹 富士見ミステリー文庫 2006年 聖マルグリット学園は、2ヶ月の夏休みに入る。学校は休みでも、事件は休んでくれない。相変わらず、ヴィクトリカに振り回されつつ、一弥は日々を過ごす。夏の間に起こった事件をまとめた全6話の短編集。 いつもの長編と比べると、非常にのどかな事件や微笑ましい事件も多く、ほっとできる内容。一弥の兄とヴィクトリカとの謎かけ勝負が展開される、「仔馬のパズル」、イタリア人少年の淡い恋心が事件の核心となる「花降る亡霊」、過去にあった2人の少女の物語と現在がパラレルに描かれ、やがて2つの物語が交差する「夏から遠ざかる列車」、男嫌いの一弥の姉と軍人の武者小路との物語である「怪人の夏」、街に出た一弥が偶然遭遇した盗難事件を扱った「絵から出てきた娘」、ブロワ警部が幼馴染の女性、ジャクリーヌのために奮闘する「初恋」と、バラエティに富んだ展開。 過去の長編で触れられていたことが再び出てくるなど、長編を読んでいた読者には嬉しい箇所もある。また、ついに本格的に登場した一弥の姉の瑠璃は、一弥の性格や生い立ちを語る上で欠かすことのできない人物になりそうだ。瑠璃の設定一つ一つが巧い。 第五話の「絵から出てきた娘」の最後には、ヴィクトリカが普段は生徒でいっぱいのベンチで過すシーンがある。彼女にとって、夏休みは学園内を比較的自由に歩き回れる数少ない機会なのであろう。彼女にとっての長いようで短い、儚いひとときが演出されていた。 ♦過去の記事♦ 『GOSICK Ⅱ ―ゴシック・その罪は名もなき―』 『GOSICK Ⅲ ―ゴシック・青い薔薇の下で―』 『GOSICK Ⅳ ―ゴシック・愚者を代弁せよ―』 |
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