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# 『英語多読法 やさしい本で始めれば使える英語は必ず身につく!』
2010/07/16 14:43
英語多読法 やさしい本で始めれば使える英語は必ず身につく! 古川昭夫 小学館101新書 2010年



英会話学校に通わなくても、挫折することなく学習を続け、高い英語力を身に付けることは可能。その鍵となるのが、多読という方法だ。本書は、多読の意義から、予備校SEGでの実践法まで解説する、多読への入り口となる本。

非常に丁寧に、多読について幅広く述べている。多読賛成派の主張、反対派の主張をバランス良く取り上げ、理想的な多読指導法を探る姿勢は良い。勉強法や指導法は、ともすると理念や理想が先行してしまうものだ。なぜ、その方法が良いのか、問題はないのか、欠点をどのようにして克服するか、といった観点が置き去りになってしまいがちだ。それに対して、本書は文法・語彙の重要性を随所で指摘していて、とことん量をこなしていくのみという、多読の一般的なイメージを見事に覆すとともに、批判への真摯な回答も提示している。

また、そもそも、英語の読書を苦痛ではなく楽しみとすることが何よりも効果を発揮すると述べているのもポイント。「苦労して辞書を引いてこそ、英語力が身に付く」といった哲学を持った先生の下で学び、英語が嫌になってしまった人にとっては、目から鱗の朗報だ。

巻末では、多読に関する入門書やウェブサイトも紹介されていて、これまでの蓄積を大いに活用していこうという意気込みが感じられる。塾の経営者の著作ながら、塾の宣伝に終始していない点も、好感が持てる。英語を勉強したい人はもちろん、英語教育に携わっている人にも一読の価値あり。
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# 『知的生産の技術』
2010/07/13 15:05
知的生産の技術 梅棹忠夫 岩波新書 1969年



知識を教わる機会は多くとも、知的な作業を行うための方法に関しては、どれだけ教えられているのだろうか。本書は、そのような疑問の下、知的な作業を行うための「技術」を伝授する。情報の整理の仕方、本の読み方、文章の書き方… ちょっとした工夫で、作業の能率が上がり、かつ良い出来栄えのものを生産できるようになる。

梅棹忠夫氏に追悼の意を込めて、この機会にと思って、読んでみた。出版年は古いけれども、今日的にも意義を持った記述は多い。例えば、情報をすべて同じ形式のカードにまとめて整理するという方法は、本書で紹介する技術の要。なぜその方法に行き着いたのか、カード式の利点が事細かに書かれていて、情報整理の基本を学べる。印象に残ったのは、整理と整頓は違うということである。一見、きちんと物事が整えられているように見える「整頓」で満足してしまい、どこに何があるのか正確に把握できる状況である「整理」という視点を欠いてはいけない。反対に、一見乱雑に思える収納をしていても、「整理」できていれば、問題はないのである。なかなか含蓄があるように思えないだろうか。また、後半の読書・文章に関する部分でも、なるほどと思える手法が紹介される。特に、当時は読書の方法というと、文学的な批評、文章の書き方というと、文芸的な観点からの文章法が多くを占めていた時代である。その中で、学術的な文章を読み、書く方法を考えあぐねた本書の意義は大きいであろう。

本書の目的は、ハウツーを徹底的に紹介することではない。むしろ、知的な作業を行う方法について、話題提供をすることにある。だから、知的生産にそぐわない文房具の現状を批判的に述べたり、文章を書くための形式が定まっておらず、苦心している編集者の現状を示したり、タイプライターと相性の悪い日本語の表記体系について一考を巡らせたりと、幅広い話題を扱う。

本書が発売されてから、一般向けのコンピュータとして革命を起こしたWindows 95の発売までは、四半世紀の時を待たねばならなかった。本書に書かれていることの中には、ワープロやPCによって解決された問題もある。特に文章の書き方、情報の処理の仕方は、PCの普及によって、革命的な変化を遂げた。その意味では、「知的生産の技術」は大きな改変を必要とするであろうし、本書の記述には、時代にそぐわなくなっている部分もある。

しかし、それは、ある意味当然だ。むしろ、40年も前の状況と現在の状況を比べてあれこれ言うのは、全く生産性がない。では、本書の価値はどんなところにあるのか。それは、試験での点取りに収まらない勉強の方法をきちんと教えることの大切さ、きちんと分かりやすい文章を書く方法を指導する重要性を指摘しているということにあろう。この問題は、未だに解決されたとは言い難い。また、情報のまとめ方といった基本的な作業は、家庭用コンピュータが普及した時代でも、大いに参考になる。そして最後に、何となく低級なものとして嫌われている技術について、お互いの経験を共有し合うことの意義があろう。ハウツー本が氾濫する現代においても、案外個人の閉じた世界に封印された技術は多い。個人の工夫に任されっぱなしの領域を、どのようにして世の中で共有するか。これは、伝達する技術が向上し、普及するだけでは解決できない問題である。本質的な課題は、本書出版から40年経過した現代でも残されたままだ。

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# 『感情が経済を動かす 新しい経済学「ヒューマノミクス」の革命的挑戦 』
2010/07/06 10:21
感情が経済を動かす 新しい経済学「ヒューマノミクス」の革命的挑戦 ウヴェ・ジャン・ホイザー 柴田さとみ PHP研究所 2010年



かつての経済学が想定してきた、常に合理的な選択を行なう人間という像は、崩れつつある。本書では、時に感情に駆られ、時に非合理的な行動を取る人間を前提とした、行動経済学の理論を基に、経済のあり方を問う。

行動経済学に関する入門書はそれなりに出版されているけれども、本書が類書と決定的に異なる点は、行動経済学の知見をどのようにして国家の経済政策に活用していくかという視点に重点を置いていることだ。それゆえに、扱う対象は、幸福、税の問題など、経済学が扱うべく根本的な問題である。

幸福は、絶対的な指標ではなく、あくまで相対的な立ち位置から感じられるものであることがわかった。では、どんな政策によって、人々の幸福度を上げることができるか。人々が税を支払う条件について、行動経済学的な視点から分析することができた。では、どんな税制が敷かれれば、人々は満足できるのか。本書では、このような問題がじっくりと検討される。そして、行動経済学の成果を取り入れることによって、単なる「大きな政府」か「小さな政府」かという枠を越えた深い議論が可能になるという道筋を示してくれる。消費税議論が選挙戦での1つの焦点となっている昨今の日本において、本書の視点は非常に示唆に富んでいると言えるだろう。

人間は、常に合理的に動く存在などではない。かといって、常に一時の感情に支配されるほど愚かでもない。人間の性質、さらには土地の文化までもを見極めた絶妙な経済政策の実現こそ、現代の政治家の手腕が問われる領域かもしれない。

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# 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
2010/07/03 16:05
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 ダイヤモンド社 2009年



まさにタイトルのごとく、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読み、その内容を野球部の運営に活かしたら、どうなるのかを仮定して描いた物語。都立程久保高校に通う川島みなみは、野球部のマネージャーを務める親友の宮田夕紀が入院したことをきっかけに、2年生の途中から野球部のマネージャーに就任。『マネジメント』の記述を参考にしながら、部員達を甲子園へと導くべく奮闘する。

経営学、マネジメントという言葉を聞いて即思い浮かべるのは、企業の経営や戦略といったところであろう。しかし、本書はその考え方が間違っているということを示してくれる。マネジメントとは、人が集まるところ、組織があるところにおいて、どうすれば皆が満足しつつ、全体としての成果を得られるかという課題について考えることなのだということが、ひしひしと伝わってくる。人がいるところにマネジメントありなのだ。だから、部活という非営利団体にも、マネジメントの理論は当てはまる。

この部活という材料こそが、本書の肝である。部活は、中学校・高校で誰もが1度くらいは経験した可能性が高いゆえに、企業の経営といった材料と比べて、非常に親近感を感じられる。だから、社会に出たことのない高校生や大学生でも、大いに楽しめるのだ。また、野球部が甲子園に挑戦するという設定自体、多分に青春小説の要素を含んでいる。マネジメントと高校野球という2つのテーマをうまく組み合わせた筆者のセンスには脱帽である。

組織というものには、人を幸せにする面もあれば、人を悩ませる面もある。組織の中に自分の存在意義を見いだせずに、やり場のない思いを抱く人もいるし、苦手な人がいて、何となく人付き合いを敬遠してしまう人もいるであろう。本書から滲み出てくるのは、人と人が繋がって組織ができることによって得られる喜びや、生きがいである。マネージャー、野球部員、監督の交流を通して、組織の中で自分の役割を発揮し、責任感を持ち、結果を出していくことの素晴らしさを疑似体験することができる。

もちろん、うまくいき過ぎだという批判もあろう。選手がやる気を出し、目に見える結果が現れ、作戦が奏功し… しかし、組織は変わるということ、不可能が可能になる奇跡が起こることは、ワールドカップ南アフリカ大会での日本代表の戦いを見て、誰もが心の中で思ったことではないだろうか。そんなこともあるかもしれないと思わせるリアリティは維持する。作者のさじ加減の見事さが、ここにはある。

本書を野球本として読んでも、興味深い。程久保高校野球部が採用した作戦の一部は、セーバーメトリックスという、野球を統計的に分析して、戦略や選手選びを考える取り組みの提案と一致する。送りバントの禁止、ボール球を振らないで球数を稼がせるという作戦は、その代表格である。程久保高校が採用した作戦は、決して突飛なものでもないのだ。もちろん、盗塁の推進という面など、セイバーメトリックスの提案と反対の作戦もあることにも注意。野球本としての評価も気になる。


★リンク★
「もしドラ」公式HP

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# 『モードの方程式』
2010/06/19 17:31
モードの方程式 中野香織 新潮文庫 2007年



普段何気なく着ている衣服にも、隠された物語がある。日常に潜む思わぬ事実を纏め上げたエッセイ。

各項目は、約3ページずつで進むことが多く、簡潔に終わっていくところが読みやすい。時に辛口に、時になるほどと思わせる語り口で、衣服にまつわる薀蓄、衣服が発するメッセージについて縦横無尽に語り尽くす。

タイトルに「方程式」とあるように、衣服が発するメッセージを読み取ることも、本書の大きなテーマ。不思議なことに、衣服に多大な関心を抱く人も、まったく無頓着な人も、老若男女問わず、着る物によってメッセージを発しているのだ。例えば、スカートの下にジャージを穿く女子中高生の姿が、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」という映画ののヒロインの姿に重なってしまうという指摘は面白い。

男にスカートを許すべきかなど、男女のファッションに関するキーワードの取りまとめ方も巧い。ファッションが、文化、思想、社会といかに密接な関わりを持っているかがわかる。

また、軽妙洒脱な筆致で語られるエッセイは、筆者の文章が巧みであることを物語る。話題をどう落とし込むか、どう書くか、そんなところも学べる優れ物。

それだけに、巻末の文庫版特別収録の、筆者、河毛俊作、栗野宏文3者による対談は、少し残念。クールビズ批判に始まり、男性のカジュアルダウン批判、最近の若者がファッションの型を身につけないことへの嘆き、男性性はどこへ行ったのだという懸念… 現在の流行から発せられるメッセージについてでも話してくれたら、巻末に相応しかったであろうに。

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# 『就活革命』
2010/06/14 16:34
就活革命 辻太一朗 NHK出版生活人新書 2010年



現在の日本の就職活動の状況を見ていると、何かがおかしい。そして、学生も、企業も、大学も、すべてが駄目な方向へ向かっているように見える。本書は、このような感覚の実態に迫り、就職活動の問題点を洗いざらいにする。最後に、問題点を打破するための解決策を提示する。

筆者はまず、学生、企業、大学それぞれの中にある問題点を主張する。まず、問題の元凶とするのが、学生の自己分析。下手に自己分析をしたところで、自分に陶酔する若者しかできない、学生は「やりたいこと」「できること」ばかりに執着して世界を狭めてしまうというのが筆者の主張。次に、優秀な人材を早く獲得しようとして企業が進める採用の早期化と、それに伴う学生の就職活動の長期化。最後に、企業からも学生からも軽視され、学問をする場として機能しなくなっているうえに、学生の就職指導に追われる大学。

それでは、どうすれば問題の解決が見えてくるのか。学生・企業・大学の三者が、それぞれ相互作用を起こしつつ、負のスパイラルに陥っているというのが、筆者の見方。さらに、冒頭で筆者は「学生は被害者」というコメントをしている。それならば、三者の問題点をまとめたうえで、大学と企業を中心に変革をしつつ、学生にも就職活動や勉学の意義を再確認してもらうという道筋が想定されるはずだ。

しかし、筆者の記述を細かく見ていくと、最も変革を求められているのは、学生、次に大学、最後に企業という構図が見えてくる。学生に対する要求は、「狭小な自己分析などに陥らず、何でもやってみるという気概を持て」「大学時代は勉学に励み、論理的思考と、知識を使って考える訓練を積め」というもの。大学に対しては、「しっかりと学生に勉強させ、厳正な単位認定システムを取り入れろ」「授業のシラバスを公開し、企業が評価する参考にできるようにしろ」。では、企業はというと、「現在の採用方法を見直し、優秀な学生をきちんと評価できるようにする」。一見、それなりに妥当に思えるが、企業が果たすべき責任など、微々たるものだ。

例えば、自分が希望した職種以外に就くことを嫌がることに対する批判。これは、そもそも学生の専門性を軽視し、「総合職」という曖昧な枠での採用を行い、「何でもやります。どこへでも行きます」と言わせる、日本の企業の体質と無縁ではない。日本の企業が採用の際に職種と本人の専門性を明確にして採用していないことが、欧米の企業と比べると特殊であるということについては、本ブログでも取り上げた、『多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで』に詳しい記述がある。それから、大学教育を改革するということについても、問題がある。大学生に対する給付奨学金が充実していない日本において、学生が勉学に集中することは可能なのであろうか。下手すると、アルバイトが必要な学生を排除することになりはしないだろうか。それに対して、筆者が企業に求めていることは非常に少ない。現在の採用方法を批判的に検討するのも、それは企業が優秀な人材を逃すことを憂慮してという条件付きである。おまけに、面接で測れないことの評価には、大学での成績を利用するという、丸投げ状態。筆者の提案する大学4年生の秋に行う2度目の採用などは、既に行われていることである。しかも、採用活動の早期化問題については、学生が勉強することのメリットを大学が示すことが先という始末。

「勉強しろ」「社会人基礎力を身に付けろ」と学生の尻を叩き、意義のある教育をしろと、大学に迫る。それでいて、企業については批判的なコメントが少ない。現実路線を見出そうとすると、そのような結果になるのかもしれないのだが、しこりは残る。妥当な選択肢は、他にないのだろうか。

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# 『カオスが紡ぐ夢の中で』
2010/06/12 11:17
カオスが紡ぐ夢の中で 金子邦彦 ハヤカワ文庫 2010年



複雑系研究の第一人者によるエッセイ、小説「カオス出門」「進物史観」を収録。表現形式が多彩なだけに、切り口も多彩。複雑系とは、カオスとは、いかに。

本書を何かしらのジャンルに分類することは、困難を極める。エッセイもあるけれど、小説もある。内容は複雑系やカオスになっているが、扱っている対象は、日常の出来事から物語を作り出すコンピュータまで。それでいて、「複雑系入門」「科学啓蒙書」なんてラベルを付けたら、筆者に怒られてしまうであろう(理由は本書参照)。分類不能さを楽しむことが、本書を楽しむ秘訣である。

序盤のエッセイでは、筆者と複雑系との出会いに関するエピソードも挿入しつつ、時に科学全般に関して語る。特に、欧米で流行ったものは何でも良しとして、日本の研究に注意を払わない姿勢に対する批判は痛烈。さらには、メディアや大学の研究費獲得競争に対しても、批判的な目を向ける。

後半の大部分を占める「小説 進物史観」は、物語を自動的に生成する機械と、その研究に携わる研究者達の奮闘が描かれる。もちろん、複雑系に関する話題も登場するが、人間はなぜ物語を求めるのかという哲学的なテーマ、物語の手法といった文学や批評と関連するテーマも取り上げられている、摩訶不思議な作品。

ちなみに、巻末のインタビュー形式のあとがきは、筆者が作り出した仮想のインタビュー。そして、解説は、「小説 進物史観」に出てくる、仮想の小説家(便宜的に設けられた「作者」)、円城塔。この辺りが、作者のひねくれ具合と、新たな表現に対する旺盛な好奇心を物語っている。

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# 『GOSICK s Ⅱ ―ゴシックエス・夏から遠ざかる列車―』
2010/05/31 21:03
GOSICK s Ⅱ ―ゴシック・夏から遠ざかる列車― 桜庭一樹 富士見ミステリー文庫 2006年



聖マルグリット学園は、2ヶ月の夏休みに入る。学校は休みでも、事件は休んでくれない。相変わらず、ヴィクトリカに振り回されつつ、一弥は日々を過ごす。夏の間に起こった事件をまとめた全6話の短編集。

いつもの長編と比べると、非常にのどかな事件や微笑ましい事件も多く、ほっとできる内容。一弥の兄とヴィクトリカとの謎かけ勝負が展開される、「仔馬のパズル」、イタリア人少年の淡い恋心が事件の核心となる「花降る亡霊」、過去にあった2人の少女の物語と現在がパラレルに描かれ、やがて2つの物語が交差する「夏から遠ざかる列車」、男嫌いの一弥の姉と軍人の武者小路との物語である「怪人の夏」、街に出た一弥が偶然遭遇した盗難事件を扱った「絵から出てきた娘」、ブロワ警部が幼馴染の女性、ジャクリーヌのために奮闘する「初恋」と、バラエティに富んだ展開。

過去の長編で触れられていたことが再び出てくるなど、長編を読んでいた読者には嬉しい箇所もある。また、ついに本格的に登場した一弥の姉の瑠璃は、一弥の性格や生い立ちを語る上で欠かすことのできない人物になりそうだ。瑠璃の設定一つ一つが巧い。

第五話の「絵から出てきた娘」の最後には、ヴィクトリカが普段は生徒でいっぱいのベンチで過すシーンがある。彼女にとって、夏休みは学園内を比較的自由に歩き回れる数少ない機会なのであろう。彼女にとっての長いようで短い、儚いひとときが演出されていた。


♦過去の記事♦
『GOSICK Ⅱ ―ゴシック・その罪は名もなき―』
『GOSICK Ⅲ ―ゴシック・青い薔薇の下で―』
『GOSICK Ⅳ ―ゴシック・愚者を代弁せよ―』

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# 『「分かりやすい教え方」の技術 「教え上手」になるための13のポイント』
2010/05/29 11:30
「分かりやすい教え方」の技術 「教え上手」になるための13のポイント 藤沢晃治 講談社ブルーバックス 2008年



「分かりやすい教え方」とは、どんなものなのだろうか。この答えに迫るべく、そもそも教えるとはどのような行為なのかに始まり、具体的な心構えや技術を簡潔に示した、教えるためのハンドブック。教えることは案外身近に溢れている。突如先生役になった場合でも、教え上手になれる方法を伝授する。

痒いところに手が届く構成。「分かりやすい教え方」を定義するために、まずは「分かりにくい」教え方について考え、どこがいけないのかを探る。さらに、教える立場にある者が持つべく心構え、教えるための技術が紹介されていて、そのどれもが納得のいくものである。特に、技術については具体的な場面の例または比喩が必ず提示されていて、なるほどと思える。上司が部下に仕事を任せる状況を示した会話例と、その改善例。目標を示すことは、先にジグソーパズルの完成例を示すこと。などなど。本書で、比喩や例示は分かりやすく教えるための技術であると筆者は説明している。「教える」ことを語るために、筆者は自らの教える技術を存分に発揮しているのだ。この辺りが、感嘆すべきところである。

教える機会は身近に転がっている。あまり気張らずに取り組み、ついでに自分も成長してしまおう。それが、筆者が主張する姿勢。やはり、楽しむことも大切だ。

本書の高度な利用法としては、本書で述べられた教える技術を、相手と自分に用いることである。すなわち、人にものを教える場面で実践しつつ、自分の教える技術や心構えの達成度を評価するときにも、本書の内容を活用してしまおうという方法である。そもそも、相手を伸ばすために有効な技術は、自分を伸ばすためにも利用できるはずだ。自分が達成できたこと、今ひとつなところを分析し、褒めるべきところは褒め、悪いところは改善点を指摘する。定着させるために繰り返す。自分で説明してみる。問いを発してみる… 相手を教える技術の中には、自分を「教える」ためにも使えそうなネタがてんこ盛りである。そうやって自らも成長できれば、一石二鳥だ。

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# 『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』
2010/05/27 20:30
博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話 サイモン・ウィンチェスター 鈴木主税 ハヤカワ文庫 2006年



英語の辞書においては、もはや絶対的な権威を持つと言っても過言ではないのが、OED(Oxford English Dictionary)。この辞書は、英語のすべての語について、いつ使われ始めたかという歴史的な側面と、どんな意味があるのかという言語的な側面を紹介すべく、実際に当時の書物に用いられていた文例を載せている、とんでもない手間のかかった代物である。当然、辞書の編纂には、膨大な時間と人手を要した。本書は、編纂過程において多大な貢献を果たした2人の人物、編纂者のジェームズ・マレーと、篤志協力者のW・C・マイナーに焦点を当て、辞典編纂の裏で起こった出来事を纏め上げたノンフィクションである。

恐るべき業績の背景には、まるで誰かに仕組まれたかのような必然が潜んでいるのだろうか。読後、そのようなことを考えてしまった。2人の出会いと、OEDの完成に至るまでの過程には、数々の偶然の積み重ねがある。

マイナーがOEDの作成に協力することになるきっかけは、けっして喜ばしいことではない。マイナーは、元は非常に優秀な家系に生まれ落ちた軍医である。ところが、南北戦争の経験からやがて精神を病み、殺人事件を犯し、精神病院行きを余儀なくされてしまう。ところが、マレーが出した広告を偶然目にしたマイナーは、類稀な知性とこだわりを発揮して、辞典編集の篤志協力者の中でトップレベルの貢献度を示すことになったのだ。指定された時代の書籍を読み、注目すべき語を見つけては、それをカードに書き出し、文例を正確に書き写すというのが、篤志協力者の仕事。それは、一見単純そうに見え、それでいて、「注目すべき」とは何かという、曖昧な問題も含んだ作業。マイナーは、まさに編纂者達の意図を汲んだ理想的なカードを作り、しかもそれを辞書編纂のペースに合わせて送るという偉業を成し遂げた。マレーが、謎の人物、マイナーの元を尋ねてからは、2人は親しい友人となった。この2人の友情物語も、非常に印象に残る。

物語は、マイナーの殺人事件に始まり、2人の生い立ち、辞書編纂の物語が描かれるにつれ、徐々に2人の人生が交わっていくという構成で、物語としても見事な出来栄え。また、奇跡の辞書が完成されるには、おそらく不可欠だったと思われる、マイナーの殺人事件の被害者となってしまったジョージ・メリットを、是非記憶に刻んでおいてもらいたいというあとがきからは、筆者の誠意が伝わってくる。40万もの言葉を収録した大辞典完成の裏にあった悲しい出来事が、物語を引き締める。

最後にある、豊﨑由美氏の解説も、秀逸。本書の魅力を余すことなく簡潔に纏めている。

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