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# 『E'S Unknown Kingdom』
2010/09/06 10:30
小説版E'S(2) E'S Unknown Kingdom 結賀さとる エニックス 2000年



世界の中で支配力を増す巨大企業「アシュラム」の任務中に事故に遭ったところ、戒は勇基と明日香に助けられる。居候する戒は、勇基とともに仕事に出掛けることに。しかし、その仕事には思わぬ秘密が隠されていた。しかも、明日香が2人について来てしまい、ますます危険な状況に。過去に閉鎖された地下の工場で繰り広げられるサスペンス。

小説版の『E'S』第2弾。今回は、ガルドで暮らす3人に焦点が当てられる。3人が向かった先は、かつての軍事工場。そこで、3人は、アンドリューというロボットに出会う。人間対超能力者という対立が漫画版の大きなテーマになっているのに対して、小説版の第2弾では、そこに人工知能を搭載したロボットという新たな対立項を入れることによって、生命とは何か、人間とその他のものの境界線はどこにあるのかという問いに深みが増すようになっている。

エピローグでは、コミカルなやり取りもあり、『E'S』の世界を存分に楽しめるようになっている。


◇過去の記事◇
『E'S The Time to Baptisma』
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# 『差別と向き合うマンガたち』
2010/09/02 14:41
差別と向き合うマンガたち 吉村和真・田中聡・表智之 臨川書店 2007年



漫画という表現媒体には、差別について語る格好のトピックスが溢れている。漫画表現そのもの、漫画における歴史描写、現代思想との関連について、3人の著者がそれぞれの見解を語る。

「この漫画には、このような差別表現がある」などと言うのは簡単だが、漫画と差別の関係は、それほど単純なものではない。漫画表現とは、差異やステレオタイプを巧みに用いることで、限られたスペースに最大限の情報を盛り込もうとするからだ。その意味で、漫画と差別には切っても切れない縁がある。

漫画の中で、背が低く、足の短いキャラクターは、どんな性格として描かれているのか?方言を話す登場人物の位置づけは?黒人の描写の仕方は?そのようなステレオタイプを用いずにして漫画を描くことは可能なのか?筆者の意図しないところで差別表現が問題になったとき、誰がどのようにして問題を解決するべきなのか?一筋縄ではいかない問題が潜んでいるのがよくわかる。

漫画が日本と世界を結ぶキーワードとして盛り上がりだしている現在、差別表現の問題は、ますます重みを増してきている。単なる漫画好きが、偶然差別問題について少々の関心を持って、本書を手に取る場合、差別問題に関心の高い人が、普段あまり読まない漫画という世界の差別問題を考えてみたい場合の、どちらにも対応できるであろう書籍だ。差別と漫画の両者が接点を持つことは、真の「クール・ジャパン」を追求するためにも有益であろう。

表現とは何か、どうあるべきかという広漠とした疑問を、本書は随所で投げかける。表現という人間の根本的な営みについて考える材料にもなる。

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# 『山びこ学校』
2010/08/31 10:48
山びこ学校 無着成恭 岩波文庫 1995年



敗戦直後の山形県山元村の中学校で実践された、生活綴方の成果をまとめたもの。日々の暮らしの記録、考えたこと、詩、学級日記の内容と、様々な文章が、実際の筆者の名前付きで収録されている。

60年ほど前の教育実践から生まれた本であるが、現在までなお生き残っているのに納得がいく。個々の作文は、それぞれの生活に密接に関わっていて、そこから勉強が始まる。教科書に書いてあったことと比べて自分の生活はどうなのか。今何がわかり、これから何が必要なのか。どうしたら今の暮らしをもっと良くできるのだろうか。何が悪いのかを検討するために、生徒達は、時には算数・数学の知識を用いて、資料を分析する。またある時には、日本の歴史を紐解いていく。

非常に生々しい現実が書かれていることもある。特に、何度か登場するのが、闇市の話だ。正規のルートで販売していたら、とても生活を成り立たせることなどできない。世の中の矛盾に対して、どうしたら良いのかという子ども達の切実な想いが伝わってくる。

農村の貧困を扱った本書は、翻訳されて海外でも読まれたという。現在どうなっているのかはわからないが、もっと日本国外でも読まれるべき価値を持っていると思う。もちろん、日本でも、読まれ続けていくべき作品であろう。編者は、あとがきで、子ども達の教育に関わっていくにつれ、「貧乏を運命とあきらめる道徳にガンと反抗して、貧乏を乗り超えて行く道徳」が芽生えていく勢いを感じたと述べている。この編者の言葉によって、本書の意義は、ほぼ説明されるのではないかと思う。「貧乏を運命とあきらめる道徳」は、今現在でも消滅したとは言い切れない。むしろ、暗澹とした世の中には、格差を背負いつつも世に抵抗するエネルギーを失くしてしまっている気運さえある。

作文を書いた生徒達は、ちょうど敗戦を挟んで教育を受けた世代であるため、手のひらを返したような教育の大転換に対して、怒りや矛盾を感じざるを得なかった。心の内に秘めた行き場のない思いを抱えた生徒の中には、非行に走る者もいた。そんな子ども達を導き、世の中に目を向けることの大切さを指導していった無着先生の力量には、目を見張るものがある。教育の可能性について考えさせられる。

非常に感動的な本であるが、読んで涙するだけでは、書き手達にとっては不本意なことであろう。本当に求められているのは、本書を読んで、自分は何をすべきか考え、行動に移すことではないだろうか。

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# 『日本人が必ず迷う・間違う英語の「壁」突破法』
2010/08/29 20:56
日本人が必ず迷う・間違う英語の「壁」突破法 飯室真紀子 講談社 2001年



英検の1級や準1級を目指そうという人であっても、曖昧だったり、知らなかったりする表現や語法が、かなりあるのが現状だ。筆者の豊富な指導経験から、日本人が引っかかる表現を厳選し、英語上級者への道を示す本。

第Ⅰ部では、日本人がミスしがちな語法について解説。大学受験でお馴染みの表現から、参考書ではお目にかかれないものまで、幅広く取り上げられている充実の内容。語彙力というと、単語の数に目が行きがちだが、実際は1つ1つの単語を深く知っていることも、語彙力の大切な要素。

第Ⅱ部では、知っているようで知らない、言えるようで言えない表現が続々と登場。nightとeveningの境目が述べられていたり、日本語の「驚く」を表す単語が程度別に並べられたり、色や野菜に関する派生語が芋づる式に上げられていたりと、深さと幅の両方がターゲットにされる。量が多く、1回読んだだけでは覚えられない。

この手の本は、書き手によって、「正しい表現」の基準が若干異なることがままある。何冊か類書を読み、自分で調べ、実際に使い、理解を深めていくのが理想だ。

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# 『訴えてやる!大賞 本当にあった仰天裁判73』
2010/08/28 00:14
訴えてやる!大賞 本当にあった仰天裁判73 ランディ・カッシンガム 鬼澤忍 ハヤカワ文庫 2006年



訴訟社会、アメリカ。人々は、些細なことで訴訟を起こし、被告から多額の賠償金が支払われる。都市伝説などではなく、実例を紹介し、アメリカ社会の裁判のあり方を問うた作品。

今や訴訟の濫用が起こっていると主張する筆者。その根拠を挙げるべく、実際の裁判例を探し(それは、苦労せずとも見つかったらしい)、紹介する。呆れる事例、思わず笑ってしまう事例、などなど。ファースト・フード店が、注意せずに自分に対して商品を売り続けたから肥満になったと訴える男性、クレジットカード会社から、たった18セントを巡って訴えられた女性、薬の副作用に対して賠償が認められたのに乗じて、虚偽の申請をする男…

しかし、笑って済ませてはいけないというのが、筆者の最も強調したいところ。訴訟の濫用によって、本当に重大な事件の裁判手続きが遅れたり、必要な人に必要な額の賠償が為されなかったりと、被害は大きいというのだ。また、各企業が、訴訟のリスクを恐れれば、その分商品の値段を上げざるを得ないであろうし、いつ訴訟が起きてもおかしくない状況では、月々の保険料も値上がりする一方になる。もちろん、連邦や州が設置した裁判所で取られる正式な手続きには、市民の血税が用いられている。他人事ではなく、結局は一般大衆がどうしようもない裁判の負担を背負うことになるのだ。筆者によると、2002年現在、アメリカGDPの2.33%が民事訴訟に使われているという。

本書で扱われている73例の中には、読者が読んでみて、それほど馬鹿げたという印象を受けないものもあると思う。単なる呆れる訴訟と言って片付けてしまうにしては、難しい問題もある。個人の価値観や思想が大きく反映される問題だからこそ、片やくだらないと笑われる裁判の裏にも、大真面目で訴えを起こしている原告がいるのだ。

一方、日本はどうだろうか。周知の通り、日本はアメリカほどの訴訟社会ではない。しかし、モンスター・ペアレンツの理不尽な要求に悩まされる学校など、案外訴訟という形は取らなくとも、本書の現状と似たり寄ったりの場面があるとも言える。また、裁判員制度が始まった以上、市民が賠償の決まる場面に居合わせることになる可能性も、無きにしも非ずだ。アメリカの二の舞にならないようにするためにも、本書から得られる教訓は大切にしたい。

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# 『E'S The Time to Baptisma』
2010/08/26 15:25
小説版E'S(1) E'S The Time to Baptisma 結賀さとる エニックス 1999年



3度目の世界大戦を経験した後の近未来。そこは、人間と少数の超能力者が混ざって暮らす世界だった。しかし、両者の関係は、共存とはかけ離れたものだった。人間は超能力者に対して恐怖の念を抱き、超能力者は人間に対して憎しみを感じていた。世界を支配しつつある巨大12企業の1つである「アシュラム」は、超能力者を保護の名目の下集め、何かを企んでいる。「アシュラム」に所属する超能力者達に焦点を当てたストーリー。

今年の2月に最終巻が発売され、完結した作品である『E'S』の小説版。ただし、一般的なノベライズとは異なり、漫画の原作者自身が文章を書き、表紙絵や挿絵も担当するという、珍しい手法。元から、作者の作品を読んでいると、語彙の豊富さを感じることはあった。それは小説版においても健在。小説としても特に違和感なく読み進むことができた。

ところどころ原作の隙間を埋めるようなエピソードも盛り込まれているけれども、パラレルな展開も多い。原作でもテーマの1つになっている、能力者差別の状況を克明に描写したり、小説版オリジナルの大樹という「アシュラム」の脱走兵を用意したりすることで、超能力者達が抱える苦悩を大きく取り上げている。企業の利益のために能力者が売買されているなど、人種問題のような能力者差別の現状を扱うなど、本作の抱えるテーマは案外重いのだ。

原作では、ゲリラ掃討作戦中に負傷して以来、人格の改造を施されてしまった神露も、本作では元気な姿を見せる。戒に恋する神露を見ることができる、貴重な作品だ。

漫画の場合、台詞以外では、絵で示される表情や動作などしか、人物の心情を推測する手掛かりがない。それが小説になると、心情が文章で明示的に書かれる場合もある。そんなとき、一見すらすら理解できるように思える漫画や映像も、解釈には独自の高度な力が必要なのだと思ってしまう。

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# 『GOSICK Ⅴ ―ゴシック・ベルゼブブの頭蓋―』
2010/08/20 14:48
GOSICK Ⅴ ―ゴシック・ベルゼブブの頭蓋― 桜庭一樹 富士見ミステリー文庫 2005年



夏休みが終わる頃、一弥はいつものようにヴィクトリカを迎えに行くが、彼女は見当たらない。一弥は、ヴィクトリカを探して汽車に乗り、「ベルゼブブの頭蓋」と呼ばれる場所へと向かう。謎の建物の中で立て続けに事件が起こる中、一弥とヴィクトリカは無事学園まで戻ることができるのか。

気丈に振る舞い続けてきたヴィクトリカが、初めて弱さを見せることになる。助けに来た一弥に対し、素直に寂しさを見せる。2人の仲が深まったなと思わせる名シーンだ。

名もなき村の事件以来、物語中に登場しては消え、また現れては姿を消していたブライアン・ロスコー、ヴィクトリカの母に当たるコルデリア・ギャロの秘密がとうとう明かされる。コルデリア・ギャロに至っては、初めてご本人の登場となる。また、ソヴュール国内における、オカルト省と科学アカデミーの対立構造という、重要な設定も詳しく明かされる。

ソヴュール国内の対立には、ヴィクトリカの父、アルベール・ド・ブロワが大いに関わっていて、ヴィクトリカの存在そのものが鍵であった。彼女がこれまで、なぜ世の中の人間に対して時に非常に冷酷な態度を取ってきたのか、なぜ世間を震わせる怪奇事件や心霊現象に極めて懐疑的であったかの謎は、彼女の生い立ちに隠されていたのだ。自分の存在意義について悩むヴィクトリカに対して一弥がかけた言葉は、胸を打つ。

ベルゼブブの頭蓋で起こった事件については、一応の解決を見た。しかし、本当の事件はまだまだこれからだった。不吉な建物を何とかぬけ出した一弥とヴィクトリカが乗り込んだ列車で、再び殺人事件が起こる。真の意味での安らぎが訪れるのは、次作まで待たなければならない。本作はまた、次の物語の序章でもあるのだ。


△過去の記事△
『GOSICK Ⅱ ―ゴシック・その罪は名もなき―』
『GOSICK Ⅲ ―ゴシック・青い薔薇の下で―』
『GOSICK Ⅳ ―ゴシック・愚者を代弁せよ―』
『GOSICK s Ⅱ ―ゴシックエス・夏から遠ざかる列車―』

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# 『火の賜物 ヒトは料理で進化した』
2010/08/13 11:01
火の賜物 ヒトは料理で進化した リチャード・ランガム 依田卓巳 NTT出版 2010年



実は、人類の歴史上、料理が果たしてきた役割は計り知れない。料理という視点から人類の進化・社会の歴史を眺めてみると、意外なことがわかってくる。我々と料理との関係とは。人類学的な見地を中心に据えつつ、栄養学や社会学的な観点からも迫る。

これまで、人類が進化する過程で料理の存在が大きかったという説に出会ったことはなかった。直立二足歩行、道具の使用、言葉の使用、そして、せいぜい火の使用。人類を人類たらしめる要素と言えば、そんなところだ。

しかし、料理が人類の進化上決定的な役割を担ったというのが、筆者の主張だ。1つ目が、消化器官の問題。調理を施した食物は、生の食物に比べて、圧倒的に消化効率が良い。それゆえに、ヒトは消化器官を短くし、消化にかかる時間とエネルギーを減らし、他の生物よりも有意に立ったという。2つ目は、性別分業の問題。料理には、いかんせん時間がかかる。食料を敵から守る必要から、共同体の仕組みが強化されるとともに、料理が女性の仕事となっていったという。

1つ目の消化器官の問題は、具体的な事例が豊富に示され、非常に納得のいくものになっている。文化人類学や栄養学、生物学の研究成果を踏まえた記述は、明快でわかりやすい。調理技術が進んだ現在は、消化効率が以前よりも上がっているゆえに、肥満の問題も深刻化している。このゆゆしき事態については、最終章でじっくりと論じられている。第2の性別分業の問題は、当然ながらジェンダーの問題と切っても切れない関係にある。特に、食料を守ることが以前よりも容易になりつつある現代では、男女の分業をどう捉えれば良いのか。人類がこれまで通してきたやり方と、現代求められる状況には、齟齬が生じてきている。筆者は、今まで料理が女性の仕事として押し付けられてきた過程を論じた。その後の議論は、社会全体を巻き込みながら、妥協点を探していくものになろう。

料理に注目するだけで、人間の歴史や社会をこうも新鮮に眺めることができるのかと思わされる、知的好奇心を刺激する本。アプローチも様々なので、対象とする人を選ばない、多くの人々にお薦めできる書物と言えるだろう。

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# 『慶應の人脈力』
2010/07/28 15:10
慶應の人脈力 國貞文隆 朝日新書 2010年



私のこれまでの経験上、東京近辺で頭の良い人は東大や早稲田を受けるというのが、一般的なイメージなのではないかと思う。それに対して、慶應という名が浮かぶのは、それよりも後のような気がする。現に、世間一般には「早慶」という言い方が広まっていて、親しみの度合いなら、早稲田のほうが勝っているかもしれない。

しかし、一方で、慶應という言葉から発せられる、高貴、洗練、お金持ちといったイメージは、他の難関大学からはなかなか得られない。また、少なからぬ人々にとって、慶應とは憧れの場であり、必死になって目指す目標となっている。それは、どうしてなのか。一体、慶應の魅力とはどこにあるのか。本書はこのような疑問に立ち向かうべく、慶應義塾の歴史、福沢諭吉の思想、政財界との繋がり、慶應閥など、様々な視点から、慶應について分析していく。

ファミリービジネスの一大拠点として、大企業の二世、三世が集い、強力な人脈を作り上げていく過程は、まるで、卵が先か、鶏が先かと思わせるような、富裕層が富裕層を生み出していくサイクル。財閥系に対する強さも未だに健在。就職活動においても、他の学生から頭一つ抜きん出た社会人らしさは絶大な評価を得ている。結局のところ、どうしてここまで慶應は力があるのか。本書には、その答えが散りばめられているけれども、読めば読むほど謎も深まる。ただ1つ言えるのは、読後、称賛なり嫌悪感なり、慶應義塾に対する様々な感情が喚起されるであろうことだ。良い意味でも悪い意味でも、慶應は日本の実業界の中核を担ってきた。日本社会に脈々と生き続けてきた慶應の息吹が感じられる。

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# 『セクシィ古文』
2010/07/22 11:18
セクシィ古文 田中貴子・田中圭一 メディアファクトリー新書 2010年



学校の教科書では絶対に取り上げられないような、古文のエロティックな世界が次々と紹介される。原文、くだけた現代語訳、状況を描写した絶妙な漫画とともに、古文に描かれるエロを楽しめる本。

古文に描かれたエロを読む。本書を一言で表現するなら、このような言葉が適切だと思う。エロという言葉は、小中学生が興味本位で知ろうとすることにも使えるし、大人の真面目な性的な問題についても用いることができる。本書の内容は、まさにそのような幅広いエロなのだ。

『源氏物語』が、やはり古文とエロのキーワードを結ぶ作品としては最も有名どころであろう。しかし、本書で扱われる作品には、『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』など、教科書でも定番の説話集からの出典も多い。実は、性的な話題が好まれていたという現実がわかるとともに、教科書からはわからない、奥深い世界が広がっているかがわかる。

ただし、当時の時代背景ゆえに、男尊女卑の世界が描かれているのは、れっきとした事実。実質的にはレイプに当たってしまうであろう話も載っていて、その辺りに不快な思いを抱く人がいるであろう。その点では、万人にはお勧めできない。笑い話として読める話も多いだけに、残念。もちろん、現実は現実として知らなければいけないという考え方もあろうが。

それでも、本書の価値は大いにある。とにかく原文を読んでほしいという著者の願いから、すべての話には原文が付いている。作品の解説も、案外真面目。それでいて歯に衣着せぬ物言いも魅力的。1度目の読みでは、原文や解説までは印象に残りにくいかもしれないが、2度、3度と読めば、本当の意味で古文ができるようになるのではないかと思う。

もし、自分が男子校の国語教師だったら、10冊くらいまとめ買いして、生徒にいつでも貸し出しできるようにしたかもしれない。

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