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# 『ハマータウンの野郎ども』
2010/10/12 16:58
ハマータウンの野郎ども ポール・ウィリス 熊沢誠・山田潤訳 ちくま学芸文庫 1996年



1970年代のイギリスの公立中等教育は、学業において優秀な生徒が通う学校と、いわゆる落ちこぼれが通う学校とに、しっかりと分離していた。特に、職業訓練を重視したセカンダリー・モダン・スクールに通う生徒の中でも、反学校的な文化を担う労働階級の者達は、「野郎ども」と呼ばれていた。彼らは学校に対して反抗的で、いわゆる「不良」である。この一見反社会的に思える野郎どもは、実は社会の底辺で働く手労働者に自ら進んでなることによって、むしろ資本制社会の構造を見事に支えている。このような逆接はなぜ起こるのか。インタビューによる記録を中心に据えた「生活誌」と、現象について考察する「分析」から成る、二部構成の文化批評。

筆者の分析の目は、非常に興味深い現象を浮かび上がらせる。社会で単純な手労働に就く者は、自分の労働が無価値であるように思いながらも、日々働いているという側面を持つ。そして、そのような労働者は、社会の仕組み上、必ず発生するし、必要でもある。では、手労働者になることを納得してもらうよう、社会が用意する方法は何か。1つ目は、学校社会を通した競争である。学校で真面目に勉強して良い成績を修めれば、良い職に就けるという原理だ。必ずしもそうはならない側面があるものの、これは概ね良好に機能する。学業成績が悪い生徒は、「努力不足だから仕方がない」ということで現実を甘受し、底辺の職へと進む。

2つ目が、反学校文化の担い手、野郎どもの生き方である。野郎どもは、学校文化に真っ向から対立し、ホワイトカラー対ブルーカラーという対立を相対化する。彼らは、社会については学校教師よりも自分達の方がよっぽどよく知っているという自信を掲げ、手労働に男らしさ、自分達にしかできないという誇りを見出していく。結果、反学校文化の先導者が、いつの間にか労働階級の地位を再生産し、社会に順応するまでに至ってしまうのだ。

このような分析・記述が妥当なものかは、専門家の判断を仰ぐとして、このような現象は現代の日本においてどんな意味を持つかについて考えるのは興味深い。例えば、学校教育を競争と選別の場とし、そこからこぼれ落ちた者を「努力不足」と評するという記述だ。現在、学歴社会が崩壊したなり、以前存続するなり、議論が交わされているとしても、近年急速に競争と選別の装置として機能し始めたのが、コミュニケーション能力や困難に立ち向かう力などである。これらの基準で自らの能力を測られ、職に就けない者は、「努力不足」ということで独り責任を背負い込むことになる。しかし、そもそも皆がやりたがるような職が限られているのだから、この結果は社会の根本的な仕組みから生じるものではないかと考えると、一筋縄ではいかない。

皆が求める限られた職を奪い合うという価値観を転覆させてみせるのが、野郎どもの文化だった。では、日本において、このような文化はあるのだろうか。漫画の世界では、90年代が終わりに近づくにつれ、不良漫画が消えていったということが指摘されている。その代わり、エヴァンゲリオンに代表されるような、個人が社会ではなく、自分の心と戦うという内向きな作品が増加していった。日本でパンクロックといっても、作品が訴えていることは思春期の恋愛であったりと、野郎どもの文化に通じるようなカウンターカルチャーの様相を呈した作品は、案外多くはない。日本で社会の底辺に押し込められている人々は、何を拠り所にして生きれば良いのか。そんなことを考えさせられる。

学校・社会・労働といったテーマについて考えるに当たって、様々な示唆を与えてくれる名著だ。
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# My Father's Dragon
2010/10/05 20:37
"My Father's Dragon" Ruth Stiles Gannett 講談社英語文庫 2000



物語の語り手の父親であるエルマーは、捨て猫に出会ったことをきっかけに、不思議な冒険に旅立つ。ジャングルでの探検、最後に訪れる竜との出会いなど、少年エルマーの冒険を描いた名作。

子どもの頃1回読んだだけの本など、内容をすっかり忘れているものであると実感した。本書のタイトルは、My Father's Dragon。なぜ、父親が登場するのか。それはこの本の語り手が、エルマーの子どもだからなのである。いやはや、そんな重大なことを忘れていたのか。

機知に富んだエルマーの行動と、それにはまっていく動物達の滑稽な姿が、面白い。2回目の読書では、地図を見ながらエルマーの行動を追ってみたり、随所で書かれているみかんの個数を足し算・引き算しながら読んだりする楽しみ方もあろう。

原文を読む楽しさを再確認できる本である。動物達の口調は、それぞれが特徴を持っている。片方の猪の理屈っぽい喋り方、鼠の言い間違い方などに触れると、英語読書の醍醐味を実感できる。

なお、児童書ではあるが、高校生でも苦労するだろうなというレベルの英語で書かれている。特に、英語の教科書や受験ではめったにお目にかかれない単語がやっかいだ。「ライオンのたてがみ」「サイの角」… これらの単語がすぐに浮かぶ人は、結構英語に慣れた人であろう。

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# My Humorous Japan
2010/10/04 16:54
"My Humorous Japan" Brian W. Powle, NHK出版 1991年



イギリス人が日本に来て感じたカルチャー・ショックを、ユーモアたっぷりに綴ったエッセイ集。かつてNHKラジオ英会話のテキストに掲載されたもの。

本書の序文には、以下のような文章がある。

Do you enjoy joke or perhaps laughing at life itself? Do you want to better your English without reading a lot of dull textbooks? If the answer is 'yes' to these questions then this little book is for you.

この文句が、本書の魅力・特徴を語り尽くしているように思う。日本の文化・社会について知らないとこんな思いをするのかと、日本人に新たな視点を与えてくれる。たとえ皮肉や批判があっても、必要な場合にはきちんとフォローすることを忘れない。いわゆる「ここが変だよ日本人」で終わらせず、客観的な視点は忘れない。ユーモアのあるべき姿を見せてくれる秀逸なエッセイだ。内容も、20年前のものにしては、それほど古さを感じずにすむ。約30000語の英文も苦にならない。

実は、日本関連のエッセイは途中から姿を消し、筆者の個人的な経験や体験が中心になる。正直、「Japanはどこへ?」と思ってしまった。初めの通勤ラッシュの話からぐいぐいと引き込まれていった私にとっては、少し残念なことだった。

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# 『数学はインドのロープ魔術を解く 楽しさ本位の数学世界ガイド』
2010/09/28 10:15
数学はインドのロープ魔術を解く 楽しさ本位の数学世界ガイド デイヴィッド・アチソン 伊藤文英 ハヤカワ文庫 2004年



2000年以上前から存在し、中学生が学習する三平方の定理から、ケプラーの惑星運動に関する法則、カオス、現代の技術への応用まで、様々な数学のトピックについて、面白いところに絞って紹介する本。三平方の定理の証明法など忘れていた私は、鮮やかな証明に「なるほど」と思ってしまった。

日常生活への応用例も興味深い。例えば、缶詰の中身の量を変えず、缶の表面積を最大にする(すなわち、缶の資源を最も節約できる)ようにするには、どうすれば良いのかという問題がある。そうか、関数の最大値・最小値という問題も、このように示されれば、現実味を帯びるのだなと、大きな感動を覚えた(ちなみに答えは、「底面の直径と缶の高さを等しくする」)。

内容は高度であっても、絵や図が豊富で、楽しく読める。説明に必要な証明過程が適宜取捨選択されているので、スピード感を持って読むことができる。さらに興味を持った読者用の読書案内も充実していて、世界を広げられるようになっている。

数学は苦手ではなかったが好きではなかったという人に特にお薦めできる、目から鱗の数学再入門本。

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# Charlie and the Chocolate Factory
2010/09/26 09:35
"Charlie and the Chocolate Factory" Roald Dahl 講談社英語文庫 2005



貧しい家に暮らすCharlieは、チョコレートが大好き。自宅の近くにある、謎の大きなチョコレート工場がの前を通っては、匂いを嗅いでいた。ある日、その工場が5人の子どもを招待し、特別に工場の中を見せると言い出した。工場の経営者Wonkaの意図とは、そして、チョコレート工場に招待された5人の子供達とその保護者の運命はいかに。

ストーリーとしては、児童書の王道を行っている。貧しくても心優しい人が最後には報われ、反対に富ばかり持っていて、驕り高ぶった人が痛い目に遭う。

とはいっても、ストーリーの構成など、見事な作品だ。Charlieがすぐには招待券を手に入れることができず、うまく読者をじらす序盤。他の招待者である子どもと保護者の滑稽な姿の描写。子供達が次々と誘惑に負けて災難に遭う展開から、次は何が起こるのかと期待させる展開。ラストに明かされる、チョコレート工場の秘密。読者を飽きさせず、物語にぐいぐいと引き込む力がある。約30000語の英文でありながらも、スピード感を持って読むことができる。おそらくそこには、作者の文章力も影響しているのだろう。

それなりに難度のある作品なので、巻末の語注が有り難い。

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# Frog and Toad Are Friends (I Can Read Book)
2010/09/23 11:00
"Frog and Toad Are Friends" Arnold Lobel HarperCollins 1970



2匹の蛙が繰り広げる、時にコミカルで、時にほのぼのとした物語を5編収録。日本の小学校の教科書にも載っているという話も含まれる。1冊で語数は約2000語。

2匹のやり取りがほのぼのしていて、心温まる。ちょっと気難しいところがあって、人付き合いが苦手なところのあるToadと、優しさ溢れるFrogの組み合わせは、面白い話、良い話のどちらにも活かされる。

5話目の手紙の話では、優しさを見せるFrogだが、4話目の水遊びの話では、つい余計なことを言ってしまって、滑稽な展開を招くことになってしまう。性格が固定的でないところが、人間らしくて(?)魅力的だ。

3話目でToadが作ってあげたジャケットを5話目でToadが着ているなど、挿絵の細かい演出はお見事。さすが、長いこと発行され続けている絵本だ。

ちなみに、英語は決して簡単ではない。文法・単語ともに、高1終了レベルくらいはないと、太刀打ちできない。それでも、それほど難しくない英語でそれなりの内容が書かれたものを読みたいという欲求に応えてくれる、素晴らしい本であることは間違いない。

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# 『英文読解完全マニュアル』
2010/09/18 14:46
英文読解完全マニュアル 澤井繁男 ちくま新書 2002年



決して英文が読めないわけではない。基本的なことはわかっている。だけど、その先が… というような人向けに書かれたのが、本書。大学受験で出題された文章の中でも、英検準1級レベルと言えるような読み応えのある文章を題材にし、英語上級者への道筋を示す。

本書で扱われているは、上位の大学を出た人であっても、十分には身に付いていない可能性のある事項だ。名詞構文のような、大学受験用の参考書でも見かけるような事項は元より、なかなか受験用の参考書ではお目にかかれない内容も散見している。特に、訳し方のポイントなど、深く突っ込まれると、案外理解できていない領域があるのだなと、自分の英語力に対する反省が促される。

本書の初めでは、現在の学校で行われる英語教育に対する、筆者の批判的な見解が述べられる。生徒の論理的思考力を無視した、辞書を引かせない授業、英文の背景にある文法事項や語法などの要素を解説できない教師(特に公立校)の能力の低さなど、なるほどなと思わせる批判もある。

筆者は現場の痛いところを突いてきていると言えるだろう。しかし、それでは、筆者が英語教育を通して伝えたいことは何か。それは、今後中学生・高校生が社会に出て行く上で、どのように活かされるのか。筆者が盛んに主張する「論理的思考力」は、英文読解・和訳を通さなければ身に付かないのか。あるいは、英語は論理的思考力を身に付けるための道具で良いのか。英語の面白さとは、語学的な面だけで十分なのか。言語を実際に使用する楽しさについてはどう考えるのか。

辞書指導についても、検討すべき点はある。確かに辞書が素晴らしい英語教材であるのはわかる。しかし、右も左もわからない中学1年生が、辞書から様々なことを学ぶことは可能なのか。ある程度知識が身に付いてから辞書を引いて整理していく、というやり方だってあるのではないだろうか。

このような点について考えさせられるという点では、本書は英文読解法を題材としつつも、英語教育論のあり方について考えるきっかけも与えてくれる。

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# 『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』
2010/09/11 14:04
なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか 中井俊已 学研新書 2010年



男女は、育つ過程が違えば、興味の対象も違う。教師との関わり方も違う。男女別学には、男女それぞれの特性を活かし、能力を開花させる秘密がある。日本の男子校女子校の進学指導や生徒指導の態勢に、欧米での別学事情、近年の脳科学の成果も合わせて紹介し、別学の意義を問いかける。

男女平等の観点から、戦後日本では共学が広く普及した。しかし、共学のみが望ましいとは言えないのではないか。男女別学の良さもあるのではないか。そのような主張を筆者は展開する。筆者はあくまで、男女は平等であるべきだと考えているし、共学の良さも認めている。それでも、各々の成長過程を考えると、両者を同じ教室で指導するのはどうも難しいのではないかということを、豊富な事例を基に考察する。

本書の内容に反論できる点は、2つある。実は、本書のデータは、完全とは言えない。例えば、男女校を目指す保護者に対する意識調査が、共学校を望む保護者のデータと比べることなく掲載されていることがある。2つ目として、個人差の問題があろう。男女の境界とは、ホルモンの量によるものであり、連続的で、曖昧だ。男子との方が気が合う女子がいれば、その逆もあろう。

しかし、全体としては非常に示唆にとんだ内容である。特に、共学の環境では発達障害に分類されてしまうような男子生徒が、別学の環境では活き活きと能力を発揮したという事例は、感動的でさえある。海外の事例も紹介されていて、日本でも真剣に議論すべき課題かもしれない。

男女別学の是非は、男女平等とはいかなる状態を指すのかという、一筋縄ではいかない問題を内包している。これまで以上に、脳科学・教育学、政治学・社会学・心理学・現場の実践が手を結び、考えていくべきテーマだ。

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# 『理系志望のための高校生活ガイド 理系をめざしたら何をすればいいのか?』
2010/09/08 09:52
理系志望のための高校生活ガイド 理系をめざしたら何をすればいいのか? 鍵本聡 講談社ブルーバックス 2000年



何となく、進路というと文系を選択するのが普通で、理系は難しい、大変そうだ、特殊だ、という印象が持たれている。それゆえ、理系の生徒がどのように受験に向かえば良いのかという情報は、案外少ない。理数専門の塾を経営する筆者が、豊富な指導経験から理系の生徒を主眼にして執筆した、高校生活のススメ。

そもそも、理系にはどのような世界が広がっているのかという点から、志望学部選び、実際の受験勉強の進め方、偏差値の仕組み、塾・予備校の利用法まで、おおよそ理系の受験にとって必要なことはすべて載っているのが、本書最大の売り。文理の選択で迷っている者から、実際の受験勉強に取り掛かっている者まで、幅広い高校生に対応できる。

本書の弱点は、大まかに言えば、2点だ。1点目は、平均以上に勉強のできる高校生が主眼に置かれていることだ。勧められている勉強法やペースは、ある程度勉強のできる高校生でないと、とても消化できないように思う。それに、中学校から高校1年生レベルの数学の計算で躓くレベルの高校生に対して、安易に「迷ったら理系」などと言えたものではない。2点目は、コーチングやカウンセリングの知見が活かされていない点。これは、10年前という出版の時期を考えれば、いた仕方ないことだとは思うが、「気の持ちよう」という言葉で片付けてしまっている部分が散見される。メンタル面の管理については、近年の書籍を参考にされたい。

弱点はあれど、本書の存在意義は大きい。世の中の高校生の6割から7割位が文系を選択する状況から考えると、理系の勉強法などといった本の需要は小さい。この本は、そんな社会に対して理系を見直させる役割も果たしているのではないだろうか。

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# 『「渋滞」の先頭は何をしているのか?』
2010/09/07 12:56
「渋滞」の先頭は何をしているのか? 西成活裕 宝島社新書 2009年



渋滞を、自己駆動粒子という概念で捉えると、思わぬ世界が広がる。車の流れはもちろんのこと、たくさんの人が群がった状態、蟻の列、インターネットの混雑、電車・バスの遅れ… 工学の視点から渋滞を解析し、渋滞解消に役立てることを目指す学問、「渋滞学」の基本概念を一般向けに解説した本。個人個人が今すぐにでも実践できる取り組みも多く紹介。

私はかつて、「渋滞の先頭は一体何をしているのだろう?」と疑問に思ったことがある。塾の先生からは、大体の場合は工事などで車線が減少する点に突き当たると教わった。それは、れっきとした事実であり、そのような渋滞はボトルネックと言われている。しかし、ボトルネックのない場合でも渋滞は起こり得るのだ。自動車が列になって走っているとき、ある車が少し減速したとする。減速は、後ろの車に次々と伝わっていき、最終的にはどこかの車が停車する。そして、俗に言う渋滞が起こるのだ。何だか、わかるようなわからないような。これが、本書の言う自然渋滞だ。この場合、渋滞を走る車はどれも、一瞬だが渋滞の先頭を走ることになる。「先頭のバカは何やっている」と思っている瞬間に、自らが渋滞の先頭を行くことも十分あり得るのだ。

自己駆動粒子という概念(詳しくは本文で説明されている)を用いることで、渋滞の考え方は、幅広い現象に応用できる。本書で紹介される1つ1つの現象自体も面白い。しかし、渋滞解消には、個々人が利他精神をどのくらい発揮できるかも鍵になるというのが、最も興味深い点。テクノロジーの発展によって渋滞解消を目指そうという取り組みはもちろんあるけれども、人間の心持ちも馬鹿にできないくらい重要なのだ。

そうなると、どうやって人間の利他精神を引き出すかといった、社会学や心理学の知見も大きく関わってくる。渋滞学の分野横断的、学際的側面を垣間見た瞬間だ。

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